ベーヤンからメールがきた。
小樽のロケが終わったら最後の冬蟹を食べにゆこうよ、というので寿司屋へ。
ベーヤン「雪のあるうちに来年用の映像の撮りだめだよん」
「そうだよね。雪が降りだしたからといって雪の映像はすぐにはとれないもんね」
ベーヤン「大体冬の初めの映像は、前のシーズンの冷凍パックよ・・・」
「あっちは元気なの?」
ペーヤン「うん、冬は和恵とマンションに籠もっていた」
「まあラブラブでいいじゃん」
ベーヤン「この間の榊原の話を聞いていて思ったんだ。日本は不倫こそ全ての人種なんだと言うことに(*^▽^*)」
「それゃ農本主義の国だったから、妻とか親子という関係は昔から希薄だったさ。だから少子化でも気にしないというわけさ」
ベーヤン「だよね、快楽のなれの果てに子供が出来ても、昔ならばさて何処へ里子に出そうかなという世界だった。今は親族が少ないからそんなことはできない。ならば作らないというわけで少子化になった。夫婦が必ずしも子供を作るとは限らないからね」
「だからそのあたりから、先祖というラインはごちゃごちゃになるんだろうね」
ベーヤン「家系にこだわりたい日本人なんだろう。うちはラインがつながっておりますといって・・・」
「家系はもちろんつながっているけど、信長とか家康の家系なんかもそうなんだけどラインに乗らない子供が沢山いたんだよ。ただ書かなかっただけ。家系図は都合の良いところだけ書いた。それが昔のプロモーションではないかなぁー」
ベーヤン「日本じゃ乱脈多産系なのさ・・・」
「榊原さんの話じゃ、フィリピンでは不倫は愛がない証拠だから、離婚になるといってたかなぁー!」
ベーヤン「日本じゃ、新しい女が出来たからお前はもういらない!。そういって暇乞いして奥さんは実家に帰させたんだろうな。それでまた奥さんは新しい旦那をつくるんだよ」
「雇い妻みたいだな」
ベーヤン「やとい亭主というのもいるよ」
「そんなんで男と女がくつついたり別れたりを繰り返しながら、社会がまわっていたんだよ」
ベーヤン「いまじゃ離婚するとお金がかかるから、お互いに仮面夫婦をしながら節税かなぁー。そのあたりからよそよそしさができた。つまり愛情がない世界なんだろう」
「好きな女とずーっと暮らせる幸せ感覚を感じなくなったんだよ」
ベーヤン「好きでもなく、そろそろ歳頃だからというので自分で自分を納得させてへんな理屈でくっついたから愛情なんか最初からないのさ」
「好きでもないのに抱かれるあたりが日本人の諦めの良さだろうか。そのあたりは娼婦と変わらないよ。大方の日本人は、そうでしょうよ・・・」
ペーヤン「だよね。お前も歳頃だから嫁にゆけ、と親に言われて突然男が好きになるなんておかしいさ・・・」
「大方は、好きでもない男を愛と錯覚して結婚するという空々しい世界が日本でしょう。晩婚がたたったな!。だって歳をとると分別ができちゃう。だから、親も歳をとる前に好きではないけど抱かれてガキでもつくるかという分別で結婚するんだろう。分別というのは、世事に対して常識的な判断や考慮をすることなんだけど・・・」
ベーヤン「分別してから結婚するわけだ・・・分別が先か、好きになるのが先かの違いはあるよなぁー」
「多分理由は分からないけど好きになった。だから抱いた。だから結婚した。それで後になって惚れた男だしなぁー・・といって納得する。それが恋女房でしょうね。つまり分別が後に来るんだよ。それでずーーっとラブラブでいられるのが本来の男と女の姿だよ。だから恋愛は分別が後に来るわけさ」
ベーヤン「男と女がラブラブで暮らすなんて簡単な話だけどなぁー」
「だ・よ・ね・・・。なんでしょうかね。最初に分別がくる日本のよそよそしさは!?(*^▽^*)。榊原さんならそういうさ・・・」
ペーヤン「あいつは今フィリピンだよ。日本は寒いもん、来ないさ(*^▽^*)。」
・・・
外に出たら空の端がすこし明るかった。
陽がながくなったと感じる、まだ道ばたに排雪された雪が残る小樽である。