1987年3月の日曜日に誰が言い出したかは記憶にはないが、私と海外から帰ってきたT君と、今筑波大学の先生であるW君とM君の四人が筑波大学の建築研究室に集合した。日曜日だから誰もいないのは幸いだった。
これからW君のフィアットで私達の大学時代の指導教官である下山眞司先生が設計し、当時建設中であった筑波第一小学校の木造体育館を見に行こうというわけだ。オール木造の体育館は、全国でも珍しい建築だ。
筑波神社の麓の門前町の一角、梅の木が残る曇天の春であり、この辺りには雑木と小さな畑と路地のある微地形がとても居心地よい環境だ。田舎の工事現場だから仮囲いもなく、なんなく工事中の建築の中にはいれたりはラッキーだった。足場をいくつも登り体育館の屋根部分まで上がれた。同行のT君が棟木と下の梁との僅かな隙間に彼の名刺をみえないように差し込んでいた。
「こんなことすると建築家はいやがるだろうな」と笑いながら。
まあ見に来たよという挨拶のつもりで。さてその名刺は発見されたか、あるいはそのまま今も棟木の下にあるのだろうか。
私達4人はつぶさに見学した後、W君の煙を噴くフィアットで東京へ戻り、たまたま入院中のW君の奥さんであり我々の後輩であるW女史の見舞いに駆けつけたのだった。そこで途中で買い込んだ焼き芋をみんなで病室でほおばっている写真が今も手元にあるが、なんか幸せな空気が漂っていた。
今筑波第一小学校は児童数低減のため廃校にされている。昔から門前町には旅館が多々あり、そこの師弟達が通っていた小学校であった。それがつくば市の都心の方が便利だというので転居してしまったようだ。その観光地も往事の面影はない。つくば市の統計によれば、筑波山の観光客数は2014年で年間入込者数170万人位であり、2007年以降一貫して低減し続けているし、筑波山の足であった関東鉄道筑波線も廃止されてしまったから、昔のスタイルの観光地が抱える共通の選択に迫られるのだろう。このまま残すのか、規模縮小して普通のリクレーション地にするか。通例は後者になる。
従って廃校になった筑波第一小学校の校舎や木造体育館は、そのまま通信制の私立学校として今も利用されているようだ。多分下山先生に言わしめれば、「そんなことは最初からわかっていたの!、いまも役だっているじゃん」、といわれそうであるから、我々は寂しい顔はしないことにしている。
茨城県つくば市
NikonF,Nikkor H Auto28mm/F3.5,コダカラー