Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE1580. 小説:小樽の翆2. 堀越庸夫、宮本常一、今和次郎

2020年01月16日 | Sensual novel

 

 

 トップ画像は、1月10日のブログで書いた妄想の小樽の翆のイメージかな。翆は姉さん気質だし、僕が湯冷めしそうになると身体で暖めてくれるというぐらいの即物的行動だから元は他県の公立病院に勤めていたナースだった。2番目の画像は翆のアパートイメージ。実際小樽は、こうした木造建築が今でも少しばかり残っている。3番目は氷点下の凍てつく寒さだ。そして4番目は、小樽の飲み屋や寿司屋がある界隈。右側の鉄道のガード下を抜けると珈琲を飲みに出かける小樽の商店街。そんな風に妄想の旅・小樽のイメージを広げてみたが手元に冬の雪の小樽の画像がないので私のイメージとは大分異なる。じゃ、いざ!、撮影にゆくかと思ったが今年は暖冬で肝心の雪がない。

 冬の小樽ほど旅に出かけたいと思うが実際にゆくことはなく冬が過ぎてゆく。

 さて堀越庸夫さんの「蒸気機関車がいた時代」とする画像がWEBにアップされている。それは函館本線の倶知安から小樽に至るいくつかの峠越えで国産最大の蒸気機関車が走る鉄道写真だ。

 堀越さんは当時の撮影についてを次のようにWEBで述べている。

「初めて冬の北海道に渡ったのは昭和41年の3月。巨大なC62が重連で長万部-小樽間のいくつもの雪の峠道を全力で走り抜ける姿に言葉も出ないほど打ちのめされた。その後、毎冬北海道に行くたびに何日も撮影に費やしたが、圧倒的な存在感に押され、どうやって撮ればよいのか最後まで迷っていたような気がする。」

 このWEBサイトには、迫力ある蒸気機関車の画像が数多くアップされている。そうしたSL画像の端々に昭和の頃の小樽や北海道の空気が漂っている。今は、そんな古い木造民家が建ち並ぶ小樽でもないが、それでも所々でみかけることがある

 そんな昭和の頃の地方の生活の風景を数多く撮影したのは、民俗学者の宮本常一。泊まった民宿1200軒以上というぐらいだから、ほぼ昭和の日本の風景が全国的に実にマニアックに撮影記録されている。そこには、まだ豊かとはいえない地方の姿、といって不幸だとも思われない姿が生き生きと写されている。そうした風景の多くは、今は既になくなってしまった日本の風景だ。地球何周分かを歩き回って日本全国を踏破し、小さな機材で記録されていた。

 こうした物事の全てを記録撮影しようとする周到な姿勢は誰に学んだのだろうか。それは、やはりあいつだ!、今和次郎!!。東京芸術大学出身の画家であり、その後民族学をはじめとして多分野の活動を行ってきた著名な学者・研究者である。その記録をみると詳細なスケッチばかりだ。

 宮本も今も、調査の記録をビジュアルイメージとして記録している点で共通している。そんなわけで私の民俗学の関心は、宮本-今という軸が形成され、退屈な柳田國男を迂回している。柳田は全国の民俗調査の中から、どこの地方にも適用できる一般的特性は何かという視点に関心があった。

 しかし地方には、それぞれなりのとらえ方や、やり方があるのだ。従ってどこの地方にも適用できる一般的特性などは、存在しないのである。だから地方毎に異なる要素は柳田の手元から抜け落ちてゆく。つまり柳田の方法論は間違っていたことになる。

 というのも、どの地方にも適応できる民俗学の一般的法則性を柳田は見いだしたかといえば、そんなものはかなったと私は結論づけている。一般化できないからこそ、それぞれの生活をもった日本の地方が形成されていると理解したほうが民俗学としては興味深い。もし、共通する一般的特性という視点で見るならば、それは民俗学を越えた分野であり視点だろう、哲学とか、人間とか、自然科学とか・・・、の事だろう。

 さて小樽の翆の話を書くつもりが、アカデミックな話になってしまった。さて小樽の話に戻らねば・・・。

 

堀越康夫(2020年1月10日時点):http://locomotivesteam.web.fc2.com/PhotoTeine3.htm

 

1)尾道(2014年6月7日)

OLUMPUS E-M1,M.ZUIKO DG17mm/F1.7

ISO1600,焦点距離17mm,露出補正-0.3,f/1.8,1/60

2)小樽(2012年6月24日)

OLUMPUS E-P3,Leica Macro Elmarit Asph 45mm/F2.8

ISO250,焦点距離45mm,露出補正-0.3,f/2.8,1/100

3)滋賀県米原市柏原(2013年2月9日)

OLUMPUS E-PM2,Leica Macro Elmarit Asph 45mm/F2.8

ISO800,焦点距離45mm,露出補正0,f/2.8,1/1000

4)小樽(2012年6月24日)

OLUMPUS E-M5,M.ZUIKO DG ED9-18mm,F/4.5,1/80

ISO320,焦点距離10mm,露出補正-0.3,f/4.5,1/80

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ZEISSの空気68. 機材論or技術論!

2020年01月15日 | field work

 

 最近、使用頻度が高く、大変小さく、軽く、リーズナブル(ボディ¥39,000)のSONYα6000を携えて街を徘徊している事が多い撮影画像は、photoshopで修正しブログ画像としている。

 これだけ多用していると、新たにα6600ボディと小さな長焦点レンズのセットを加えたいと思う。α6000ボディ+E10-18(15-27mm)レンズに、α6600+E18-135mm(27-202mm)レンズの2台体制で、すべて合わせて1.5kg以下の重さ。もう少し価格が下がってきたらこのセット調達か。最初は、お試し気分で使い始めたSONYだったが、使い出すとITの進化した機能をいかんなく盛り込み大変優れものである事に気づかされる。

 それよりさらに小さな機材といえば、発色の良いGoproがある。世界のメディアが予備機材として必ず持参しており、これをサポートするサードパーティーのパーツが多いから、地球のあらゆる場所に持ち出せる。

 さらにいえばドローンがカメラを積んで登場してきた。サードパーティー製でもCaddxやRumCamなどの更に小さく軽く安価な動画用カメラもある。私達が見ている空撮映像をはじめとして、こうした小さなカメラの画像はデレビや映像の世界では無意識のうちに私達はみている。

 そんな世界中で撮影機材が大量に使用されているにもかかわらず、日本のカメラメーカーの業績が良くないという話がある。

 さて、50年程前に日本でも模型飛行機にカメラを積んで活火山の噴火口を撮影する人がいた。そんな遊び心とITを正しく理解していれば、地上に足の付いた2次元的撮影と、大空を自由な位置からの3次元的撮影とでは、撮影範囲が飛躍的に拡大し、コンセプトが違うことにカメラメーカーだったら気がついたでしょう。

 だから日本のカメラメーカーがドローン用のカメラを率先して開発すべきだったが、なんでそこに足を踏み入れなかったのだろうか。

 つまりパーソナルコンピュータの時と同様に、あっ、また日本はチョンボしたと私は思った。

 例えば、当時の日本の技術力ならトロンというOSを積んでAppleコンピュータと同等の製品をつくれる能力が十分あったはず。そこには最先端、特殊、専門を目指す技術姿勢が支配的であり、よいデザインで一般化するという姿勢を置き忘れていた。結果として今の日本は世界の部品メーカーに甘んじ、中国に追い抜かれている。そんなチョンボを日本は、これからも続けるんだろうか。

 つまり物事の見方が特殊・専門的であるところは得意だが、科学の基本概念である一般化という言葉が示すように、考え方を広げ応用する能力が欠落していることに、いまも変わりがないのでは・・・。

 

沖縄県那覇市

SONYα6000、Carl Zeiss Vario-Tessar E 4/16-70mm

1)ISO100,焦点距離35mm,露出補正0,f/4,1/0.5s

2)ISO125,焦点距離51mm,露出補正0,f/8,1/90

3)ISO160,焦点距離34mm,露出補正0,f/8,1/60

4)ISO100,焦点距離51mm,露出補正0,f/8,1/90


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PEN LIFE1579. 夢

2020年01月14日 | field work

 

先日夢をみていた。

D社という大手広告代理店の若い社員がやってきて、「これから相談する時間を設けて頂きたい」。

実際にD社とは、過去に一緒に仕事をしたことがあるが、夢に登場した若い社員は初対面だ。

それも私の実家がある東京神楽坂での立ち話なのだ。

「じゃ、2時頃にしますか?」

D社「2時の前とか後とか・・!??、じゃその辺で、実際我々も忙しいので・・・・!×△・」

「場所は、名古屋の大学の研究室で」

D社「じゃ、それで・・・」

それで引き上げた。おいおい名古屋の大学の研究室といったって、ここからなら2時間以上はかかるぜ。夢だから距離感覚がない。

私が追いかけて若い社員を捕まえたら、そこに同僚がいた。見た記憶のある上品な年配のやり手営業マン風顔だが名前が思い出せない。

「時間と場所はどうしますか」

D社「2時なら短い時間で、4時半以降なら我々も時間が空きます」

「なら4時半に神楽坂で・・・」

一見落着して、そこで眼が覚めた。夢の中にまで登場するぐらいだから、なんともすごい広告代理店だ。

 夢には、あなたの将来の夢は?、といった具合に意識できる夢と、寝ている間に見る無意識な夢とがある。ここでは、後者なのだが、特に寝ている間に脳細胞は、過去の情報をデリートしたり、整理したりしているのではなかろうか。そして眠りが浅くなってくると、そうしたデリートされつつある情報の断片が記憶に留められているのだろう。

 だから夢をみたらスッキリした経験がある。あるいは夢に見なくても一晩寝たらスッキリしたという経験は誰にでもあるだろう。それは脳細胞の情報が寝ている間に整理されたりデリートされているからだろう。私達の脳もコンピュータ同様に動いているわけだ。

 私の推論で言い換えると、脳細胞は、毎日そうした情報の整理をして身体のバランスをとっているのではなかろうか。無意識下だから、私にはわからない。だが目覚めが近づいてくる眠り方の浅い頃になると私達の記憶装置が働きだし、まだ整理し切れていないデリート情報の断片が記録されてしまうのだろう。そうした記録が夢だろうと考えている。そう考えると、夢などみないで熟睡しているのが、一番よさそうだ。

 さて夢に合わせて画像も過去画像から調達した。名古屋の大学の私の当時の研究室、もう一つは東京・神楽坂。阿波踊りは夢の中には登場しなかったが一応神楽坂の代表的な催事であり、地元の連から撮影してくれと依頼されたときのもの。

 過去画像だから、久しぶりにPEN LIFEがテーマだ。もちろんその後オリンパス機材は、キャップ1枚に至るまですべて売却処分してしまったから、もう夢の中に登場してもよい機材なのだが、不思議とこいつの夢は見ない。


1)名古屋市立大学三上訓顯研究室(当時)

OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO DG 7-14mm

2)東京・神楽坂阿波踊り

OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO DG 17mm

ISO1600,焦点距離17mm,露出補正0.3,f/1.8,1/40

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EOSな日221. オキシトシン

2020年01月13日 | field work

 

 昨日のブログで家族は、生殖・生育システムと書いた。いや、うちはそんな即物的ではなく、チャンと夫婦、子供、ともども家族の愛情がある、と反論が登場するだろう。それは否定しないが、でもそんな情緒的な話だけかい?、ほかになんか共有とか共感の経験はないの??、とこちらは首をひねるだろう。

 年末仕事をしながらNHK番組の再放送を横目でみていた(BS世界のドキュメンタリー「愛を科学する」2019年6月13日初放映)。

 その愛情とは何か、スキンシップやセックスで脳内に分泌されるオキシトシンというホルモンが分泌することによって愛情がわくというのが、今の科学の知見だとする番組だった。オキシトシンが分泌されると、闘争欲や遁世欲、恐怖心が減少させられ、男と女、夫と妻、親子、人間と動物も含まれるのだろうけど、愛情や母乳の量、乳児の発育などに影響を与える。つまり良好な人間関係が築かれているときに分泌される脳内ホルモンだそうだ。つまり愛情とは、オキシトシンの分泌によって起こると結論づけられていた。そのオキシトシンよりさらに効果が高いのが合成麻薬MDMAであると番組は伝えていた。

 MDMAは、昨年11月、沼尻エリカが逮捕されたことでも話題になったあの薬物だ。私の理解では、タレントは身体が資本だから体育会系的体質でしょう。だからMDMAを服用して乱交パーティーをでもやっちまったのかな。そこまで快楽を極め尽くしたら、人生や仕事に不満や後悔はないと思うけどな。

 さてオキシトシンに話を戻すと、男と女は最初はラブラブでオキシトシンも大量に分泌されている。やがて数年経ち男と女の間に倦怠期が訪れる。科学的にいえばオキシトシンが分泌されなくなったということで説明ができそうだ。

 何年も男と女が一緒に長い年月を暮らす家族も同様でしょう。長い年月の間にオキシトシンが分泌されないのだから愛情もない。にもかかわらず、家族愛だと言い張るところに、疑似家族や仮面夫婦といった言葉でしめされる感情の形骸化や形式化が始まるのでしょう。ましてカソリックの国ならば離婚はできない。だから愛情がなくても愛するそぶりが必要になるという実に面倒な世界だ。

 つまり愛は感情ではなく、脳内ホルモンの影響だというのが科学の知見である。だから、なんかあいつと一発やりてぇー気分でオキシトシンが分泌され始め、でっ濃密にセックスしたあとフルに分泌されて愛情がわくというのが科学の見方であり順序であり、素直な人間の行動なのだろう。

 科学の知見でまとめると、一発やりてぇー!、が先、愛情はセックスの後にわくものです!。そうした科学の知見で得られた順序をひっくり返したのが恋愛小説だ。だって小説の書き出しから一発やったなんて話から書き始めたのではポルノ小説になってしまう。だからポルノ小説と恋愛小説は表裏一体の構造をなしている。表から見た愛は、裏からみるとセックスだったわけであり、この2つの言葉は同義語だということになる。


ポルトガル・ボルト

EOS1DsMark3、EF28-300mm/F3.5-5.6L,IS,USM

ISO800,焦点距離100mm,露出補正0,f/9,1/250

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EOSな日220. 大切な経験

2020年01月12日 | field work

 


 今年の1月10日のブログで小樽妄想旅行を書いた。妄想としたのにはわけがある。今積丹半島の集落に出かけても、そんな雪国らしい風景が撮影できるということは疑わしいからだ。民家は新建材の建物に建て替えられ、村をあるく住民はノースフェイスのレインコートだったりする。もちろんだるまストーブの雑貨屋はコンビニに変わっているだろう。

 つまり私達の生活環境が変化し、混沌とした空間がなくなりり整然としてきた。一方で小樽では、100年以上続いてきた手宮市場が廃業されるなど流通構造が変化しつつあり、住民のライフスタイルも変わり、次第につまらない街、つまらない日本になりつつある。

 今の日本の市場を歩いていると、なによりも子供達の姿をみかけなくなった。以前の日本ならは、親が働いている姿をみせるのも教育だったし、成長すれば仕事も手伝わざるを得ない。もちろん市場を訪れる子供達もいない。いまは高等教育を受けさせるために、子供達は塾や習い事に追いやられ、高等教育を受けて大企業のサラリーマンをめざす。その結果店自体も後継者がいなくなり廃業するところが多い。

 そんな現象の一端にゆきあたると、混沌としていた空間が消え去り、整然として、ライフスタイルもステレオタイプ化し、「つまらない日本」、という言葉が浮かび上がってくる。日本は次第に、つまらなくなってくる。今は、つまらなさの一時をスマホがうめている。つまらないという言葉が暗示する意味に、国民も政府も無関心だ。

 そんな時に、フィリピンのマロロスの市場を訪れたら、夫婦で店を切り盛りし、そんな親の姿を小さな子供が恐る恐る眺め、成長すれば店の戦力として働き、そして市場を冒険のワンダーランドのように走り回っている子供達がいた。好奇心と冒険心とで子供達の眼は輝いていた。

 1つの仕事を夫婦で、親子で、生活の経験をし苦労するということは大切なことだと私は思う。今日本は旦那は会社で、奥さんは別会社で、子供は塾や稽古で、と1つのことを家族で経験し苦労し共有し共感する機会が少なくなってしまった。精々趣味程度の共有もどきではねぇー・・・。共有や共感がなければ、もはや拡散した疑似家族、仮面家族、あるいは合法的な生殖・生育システムだけ、といってよいかもしれない。

 日本は、家族で生活の共有や共感といった大切な経験を捨ててしまった以上、もはや回復できず、すでに万事遅いのであろう。

 

フィリピン,ブラカン州マロロスの市場

EOS1DsMark3、EF28-300mm/F3.5-5.6L,IS,USM

1)ISO3200,焦点距離60mm,露出補正0.33,f/5.6,1/80

2)ISO3200,焦点距離170mm,露出補正-0.33,f/5.6,1/125

3)ISO3200,焦点距離28mm,露出補正-0.33,f/3.5,1/13

4)ISO3200,焦点距離28mm,露出補正0.33,f/6.3,1/80

5)ISO3200,焦点距離70mm,露出補正0.33,f/5,1/60

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EOS な日219. 旅のリアリティ

2020年01月11日 | field work


 訪れ先に尋ねたい人がいるときに出かけるのが、旅の動機だといってもよい。友達、親戚、教師、恋人あるいは昔の恋人といった具合に。留学というのも立派な旅だ。

 だから尋ねたい人もいない観光旅行でガイドブックに載っている観光地にゆけば、みんな同じような物をみて、同じような写真をとり、同じようにWEBにアップされて、結果としてステレオタイプ化してくる。

 例えばGoogleで小樽と画像検索すれば、あの運河沿いの風景ばかりが山のようにでてくる。だから観光旅行はステレオタイプ化する傾向がある。さらに費用をかけたのだから、それでよいのだと自分を無理無理に納得させる欺瞞的な意識の操作が必要だ。

 私にいわせれば、観光地とか世界遺産などは、およそつまらないので、ついでにゆくぐらいで調度よい。ついでにいって感激すれば、そりゃ、それでよかろうというわけだ。それよりも自分の感性で見た風景を探す方が面白い。

 私にとっては反面教師であるメディアで、最近そんなマイナーな旅番組をみかける。彼らも観光地がつまらないことに気がついている。といってそんなマイナーな地域を尋ねても視聴率は上がらないので、早晩消え去るか、あるいは陳腐化するだろうと私は予想している。

 そんななかフォトグラファー達は、私が述べたような旅を実践し斬新な視覚を切り取り写真集などで公開している。例えば黒テンの毛皮のコートに金縁サングラスをかけたオバ半の姿に、ああっ、これはまさしくロシアだと思わせるものがある、といった具合にだ。

 私がいうところの旅とは、私の感性が刺激し持ち帰ることのできないその場のリアルな瞬間や空気を記録する行為だと定義できる。持ち帰ることができないから撮影という方法で感性や刺激の断片をメモするわけだ。

 さらに危険を顧みずとなれば、フリーランスの戦場フォトグラファー達がいる。なにしろ私達ではみられない画像を代わりに撮ってくるので、今世界は、こうなんだと感性と理性を痛烈に刺激してくれる。

 だから日本のテレビ局もそんなフォトグラファー達に外注ばかりしていないで、時には自ら撮影機材をしょって戦場へでかけて取材をすべきだろう。頭上を砲弾が飛び交うなかで現地リポートを発信しろ!、飛んでくる砲弾を撮せ!!、破壊される瞬間の建築や戦車を撮せ!!!、といいたい。そんな風に私が旅にでたときのリスクを肩代わりしてくれるところにメディアの役割がある。つまりテレビ局は視聴者の身代わりであり私達の眼のかわりだ。テレビの視聴者は、そんなリアリティを求めている。

 開高健:ベトナム従軍期,朝日文庫,1990、は朝日新聞社の特派員として作家が戦場に赴いた数少ない戦場のリアリティが表出するドキュメントである。朝日新聞社のカメラマンが同行していた。彼らは、200人の兵士達について戦場にゆき、戦闘の結果17人しか生還しなかったなかにいた。

 

フィリピン,ブラカン州、ピットピタン

EOS1DsMark3、EF28-300mm/F3.5-5.6L,IS,USM

1)ISO3200,焦点距離70mm,露出補正0.33,f/6.3,1/100

2)ISO3200,焦点距離60mm,露出補正0,f/4.5,1/30

3)ISO3200,焦点距離70mm,露出補正0.33,f/5,1/60

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

番外編422. 小説:小樽の翆1. 冬の旅の妄想

2020年01月10日 | Sensual novel

 寒くて家に閉じこもっているときに、地図を前に妄想の旅をしていた。

 例えば、舞鶴港23時30分発カーフェリーで行くと小樽には翌日の20時45分に着く。雪の小樽だ。丸1日は船の中だが、冬の荒れた日本海の気候で船は少し揺れるかもしれないが、設備は整っているので快適だろう。

 であれば撮影機材は、こだわりたい。さしあたりメインは、トライXのモノクローム・フィルムを詰めたコンタックスT3がはずせない。それにデジタル機材の、オリンパスEM-1Mark2にZUIKO DG12mmとPanasonic Leica Elmarit45mmのシステムだ。フルサイズ換算だと焦点距離は、24mm、35mm、90mmとなり大変使いやすくバランスがとれたシステムだ。実は、このシステムは2018年4月22日のブログでとりあげていた。こんな機材で雪の街が撮れると面白いか・・・。

 そう思って冬の小樽のWEBサイトをみると、運河沿いの風景ばかりじゃないか。これは俗っぽくて撮影したいとは思われない。

 そうなると小樽の生活に深く入りこむほかない。ならば、昔の恋人の翠の家に泊まろうか。あいつは小樽の駅前あたりで小さなカフェ&ランチの店を地味にやっているはずだ。たしか古い木造のアパートで一人暮らしだ。ならば翠の家に長逗留しながら、冬の街の普段の生活でも撮影しよう。

 翠の部屋の二重窓から見える向かいの古い家や雪の街並み、雪かきがされず足跡が目立つアパートの路地裏、吹雪いている街中に微かに見える黄色い明かりは近所のミニ市場、冷たい台所の窓先にはつららが見えている、温泉という名の銭湯の行き帰りに垣間みえる夜の街の風景も面白いか。湯冷めしそうになったら布団に潜り込み翠の体で暖めてもらおう。昔の恋人だからそこそこには、大切にしてくれるだろう。

 朝眼が覚めると翠は、布団に体の跡を残したまま店の支度があるので出かけていた。さて俺は坂を下りた珈琲屋で暖を取り、今日はバスで積丹半島の海岸線を走ってみようか。吹雪いているので、積丹余別までしかゆかれないが。それでも吹雪いている雪の集落は魅力的な風景だから、ポケットで暖めていたコンタックスで撮ろう、雪の中を歩いてくる雪をかぶった村人はElmaritで、だるまストーブがある雑貨屋は12mmの超広角レンズだ。そんな風に雪の集落を徘徊し、夜家に帰ってから撮影画像の整理をしていると、翠が帰ってきた。駅前の三角市場で蟹を買ってきたって。今日は海鮮鍋か。冬の小樽は魚が旨いから。明日は翠の店が休みなので路線バスを使って一緒に朝里川温泉へゆこうか・・・。そんな普段の生活こそ、まさに冬の小樽の風景だ。

 うん!、小樽の翠って誰!!?・・・。これは私の妄想した生活シーンだから架空の存在。まあ実現したきゃフーテンの寅さんみたいに小樽に恋人でもつくるんだろうな。つまり旅は、訪れる街と私との間に何がしかの個人的な関係性がないと、出かける動機として成立しないということだ。

 さてこの画像、寒々しくて冬の旅機材風なのだが、今この機材は全て売却した。それとともに冬の旅の妄想も記憶の狭間に消えていった。

 

 SONYα6000

Carl Zeiss Vario-Tessar E 4/16-70mm

ISO2000,焦点距離36mm,露出補正0,f/4,1/60

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ZEISSの空気67. ゑべっさん!

2020年01月09日 | Kyoto city

 

 京都市内は暖冬である。といっても暖かくなるわけではなく、いつもの寒さが少し緩むだけだ。だから緩寒(ゆるかん)といった方が適切だ。昨夜は屋根をたたく激しい雨音がしていた。明け方雨があがり、透明感ある空気は撮影向きか。

 そこで新年初めて撮影機材を持参して夕方の散歩に出かけた。

 先ずは、ユニクロで超極暖のインナーをもう少し調達しておきたいので河原町へでた。店は春物オンリーだが、超極暖インナーはバーゲン価格になっていたのは幸い。それも1週間もすれば売り切れるだろう。しかし京都はまだ寒い日が続くから、これはまだまだ必需品なのである。

 そして先斗町を抜け、ゑびす神社のお祭りにでかけた。十日が本祭りだが、今日から前夜祭というべき宵ゑびすをおこなっている。通りに屋台はでているが、まだ商売はしていない。今日は人出が少なく楽に歩けるのが幸いだった。明日からは人出が一気に増える。

 子孫繁栄・五穀豊穣の神様は農家の神様である。子供は労働力だから、産めよ増やせよが人々の願いだ。それによって労働力が増大し農作物の生産量があがるわけである。それに対してゑびすさんは、商売繁盛を柱とする都市の神様である。だから京都の街の神様はゑべっさんなのである。

 商売繁盛、笹持って来い!、このかけ声で巫女が踊り、神様を笹に封印するというわけだ。この笹にいろいろと飾り物をつけて1年間家にさしておく。

 もう一つある。京都市内の飲食店にゆくとよくみかける赤い暖簾が付いたマネキである。これも商売の縁起物。みんなこの神社で調達してゆくから、そりゃ明日や十日の人出はすごいのですよ。だから私は近寄りがたいわけ。

 ゑべっさんを尻目に建仁寺を抜け、祇園を横切り、京阪で伏見に向かった。今日はクロッキー教室の日だ。雨上がりの空気に透明感があり街が綺麗に見える薄暮の夕方だった。

 

京都市祇園ゑびす神社

SONYα6000、Carl Zeiss Vario-Tessar E 4/16-70mm

1)ISO500,焦点距離70mm,露出補正0,f/4,1/125

2)ISO4000,焦点距離16mm,露出補正0,f/4,1/60

3)ISO500,焦点距離35mm,露出補正0,f/4,1/60

4)ISO2000,焦点距離56mm,露出補正0,f/4,1/90

5)ISO4000,焦点距離16mm,露出補正0,f/4,1/60

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Nikon Freak430. 冬枯れ

2020年01月08日 | field work

 結局お正月7草粥の頃を過ぎるまで、このブログはお休みしてしまった。

 新年は、どこにも撮影にゆかなかったし、ダイビングは5月頃までオフシーズンだから画像がないのは当然だが、ならば新年最初のブログに朝焼けの画像を、過去のストックからぴっばりだした。目下こんなのしかない。

 お正月に、gooのこれまでのパスワードが使えなくなってしまった。多分クッキーを消去してからブログも不調になりだした。唯一仕事用Mac Proのgooだけが、「ログイン状態を保持する」にチェックをいれていたので、お正月も少しはみられたのだが、これもついにパスワードを入れないと見られなくなってしまった。そこで先日パスワードを変更し、ようやく復旧。ならば書き進めようという意志が少しはでてきた。

 ついでにiPhonの動作が鈍いので初期化復元をおこなったら、ストックしていたAPP以外の曲が全てなくなってしまった。もちろんDVDから入れた曲ばかりなので復元は容易。そんなわけでバックグラウンドサウンドがないブログ書きも、調子は今ひとつだ。

 ブログを書くためには、街へ出かけ、撮影し、画像をみつつ物事を考え、編集みたいなことをする一連の作業が必要だし、それが少しうっとうしいと昨年末は感じていた。しなければそれはそれで良いけど、このブログはFaceBookとリンクさせているので、やはり情報発信をしないのは寂しい。それに毎日習慣化している執筆時間が、皆無というのも違和感がある。このブログも今年で通算13年目だ。

 さて再開・・・、といっても目下冬枯れです(笑)。

 

フィリピン・グラカン州ピットピタン

ニコンCoolpixW300

ISO125,焦点距離4.3mm,露出補正-1,f/2.8,1/30

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年の挨拶

2020年01月01日 | diving

新年あけましておめでとうございます。

旧年中は、我がブログをご愛読して頂きありがとうございました。

また本年も少しだけ頑張って書きますので、引き続きご愛読の程をよろしくお願いいたします。

ところでこのブログも少しお正月休みをします。

もし、寝過ごしたら起こしておくれ。

team_mikami@mac.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする