気をつけたい2つの事。

見ていて、気になる事が2つある。
一つは、オリンピック、1つは、国政。
オリンピック熱が高まる中、日本オリンピック委員会は、日本の目標は、金メダル10個、メダル総数30個と発表した。
 メダル獲得の予測番組はたけなわな。評論家は、メダルの(量産)期待を口にし、メダル獲得をオッピラに宣言し約束するかのような選手や監督も出てくる。
 東京都知事は多額の税金をつぎ込んでいるのだから、メダルを期待するのは当然だと言う。
 私も、日本選手が頑張ってくれることを願って、連日競技を追うだろう。
 選手が金メダルを目指して競っているのだから、当然と言えば当然。
  しかし、上ついたかまびしさには違和感を感じる。
 そもそもの【スポーツ】の語源(リラックス)や歴史を考えたら、せっかっくやっと我々が手にしたスポーツ権とも言うべきものを、自らこんな扱いをしていいのか?と思う。
 自分もスポーツは大好きだし、囲碁と同様、勝負をかけてやる。でも、夢中になるのはスポーツや囲碁の中に勝負以上のものがあるからである。それを見失ったり、それを超えて期待するのはお互い止めたほうがいい。

   もう一つは、政治による経済の舵取り。
 新内閣を《安心実現内閣》と名づけたようだが、やはり感覚的なズレを感じる。
  昨今の状況は、安心ではなく、安全を求めているのではないか?
 ちょっとした言葉の違いだが、内容は大きく違う。

  例えば、日本の経済は今、安心を求められるような状況や可能性が  あるだろうか。
 世界の動きの中にあって、手足は縛られ、誰が政治を担当しても、国民に経済の安心を宣言し約束できるような状況にはないと思う。
 それどころか、経済や社会があちこちが壊れている中にあっては先ずは安全のための応急措置が必要ではないか。
  毎日、100人からの自殺、孤独死300人、家出300件、離婚800件など、家庭崩壊、人間崩壊は現在の経済社会の壊れの端的な表れ。
 
   大至急手当てしなければ、どんな政治も経済も意味がない。

 とてもとても安心を期待するどこではない。まして、景気浮揚策や税金云々している場合ではない。
 まずは、国民の安全を図る(セフティネットの修繕)事を、最優先にし、それを前提にして、物を語るべき。

 例えば国の歳出歳入も、現実の国民生活の安全を最優先して考えられるべきで、言われてる(骨太も、シーリングも、無駄ずかいも)これまでの経済成長を基にした枠内の話。

 そういう現実はとっくに過去のもの。
  大病の患者(国)に最優先するのは何かを考えればいい。
 ちょっとそっとの予定変更では済まない。
 
  まして、景気再浮揚策にうつつを抜かしている場合ではない。先ずは休ませ、痛みをとること。それから食や運動もリハビリも必要になる。元気に働くのは、それからだ。
 
   ばら撒きも、借金も、、どんな経済対策も緊急な応急措置が前提なのに、今はそうはなっていない。 

 気をつける2つの事は、我々の心や命に関わること。 
 
  庭に来るすずめの中に、これを見失ったすずめは、唯の一羽も       いない。
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