本気になれないうたかたの(泡沫の)夢

賑やかだったり、どれだけ目立っていても、現在の異常な産業構造や、その経済成長を前提にした話や、黙過した物を見ると、それが芸術や文化の分野であっても、どうしてもその気になれない。テレビや新聞、書籍の紹介やオリンピック報道もその気になれないものが多い。所詮、うたかたの夢と先ず映ってしまう。
 
   畑の草花や、庭に来るすずめや、今夜でも見られそうな月のクレーター、家族や飲み屋での、でまかせのおしゃべりでも、現実感を感じるのに、
何故か、上記の中に現実感を見出すのは難しく、よっぽど気を使う。
 真昼間から、当たり前のことが当たり前でないうたかた(泡沫)に、身を任せるほど、自分ではボケてはいないような気でいるが

本当のところは自分では分らない。

  とりあえず、今日は、昼前はすずめと付き合い、午後は星座(囲碁)の研究、夜、晴れていれば月を見る。そして‥‥時々テレビや新聞でうたかたの夢を見る。

  今朝の朝日新聞の社説【常識を打ち砕いた9秒69】【サブプライムー 脱バブルで成長目指せ】の表題で社説2本を並べる感覚がどうしてうたかたでないと言えるだろう。

「平家物語」や「千夜一夜物語」を今も地でやっていないか?

‥‥と、言い切ろうとすると、社説のそばにその2倍もあるスペースを使い

「水俣が背負った近代化の罪ー『人様』思いやる心取り戻して」 石牟礼道子(81)の文が載る。

かつて(50年以上も前)、「よいわんわ!ややこしくて!ややこしくて!わたしどうしましょ!」と腰のところで両手をばたつかせ走り回った、大阪漫才の花菱アチャコを思い出しちゃった。

    

 

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すずめは、のりが好き?

昨日娘から「すずめは、柔らかいのが好きらしい。」と聞いた。
そう言えば、舌きりすずめも、のりを食べていた。
  今朝、早速釜のご飯を冷蔵庫で冷やし、エサ台にのっけてあげた。来ること来ること!
  ご飯をくわえて逃げるように飛び立つのやら、頭をくっつけっるように車座になり口ばしにご飯をくっつけ空を見ながらパクパクやってたりしているのを見ると、娘の言うとおりかなと思った。
  それにしても、すずめはずいぶんなれてきた。初めのころは近所のドアの開け閉めするちょっとした音や、道に人の気配を感じてもすぐ逃げた。あのころは、部屋の中から見るときもガラス窓に映ったのを見たり、見ない振りして横目で見たりしたもんだ。

   今は,天敵の猫の気配以外は、向かいのおじさんが機械を使って洗車していても,そばの道を車が通っても、殆ど逃げない。

そんなのを見ていると、

「ここへ来て、遊べやすずめ、つべこべ言わぬから。」つい、そんな気持ちになる。 

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