ギャップ

30年も前かな クラスにかなり重い小児喘息を患っていた男の子がいた。
 体育が終わって教室で着替えをしていると、目を血走らせているのを何度か見た。
 少しは配慮はしたような気もするが特別な事はしなかった。
 自分は57歳の時、風邪をこじらせたと思って病院へ行くと、「喘息だから、一生治りません。病気と付き合うだけです。)と言われ、確かに現在までその通りだった。
 30年前の教え子を思い出す。(あの子の辛さを感じて上げられなかったなあ)
 経験がなかったから仕方がないかも知れないが、
 もしそうだとしても‥
 この世で自然の前に人間の存在が小さなものだと心から感じられる人間はどれだけいるだろう?
 頭では誰でも100パーセント意識できるが、感覚や行動はそうはならない。
 ある意味でお坊さんは一生その修行続ける。
  政治や経済のリーダーは見たところ、お坊さんとは対極で、人間中心の感じが強い。自然を人間の外に置き、人間中心に考えてリードをする事にならないか?
 しかし現実は紛れもなく、大きな自然の中にある。
 今ある世の中の不安や危機ははそのギャップから生じてはいないだだろうか?
 自然界をはっきり意識して取り掛からないと、経験がなかった、感じなかったでは済まないかもしれない。
 30年もたってから気が付くひとがここにいる。
 

 
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ハイテク日本に、求められてる事

最近の経済指標を見ると、言われてる景気の2番底は意外と早そう。
年末年始にかけて下降しそうという指摘も出てきているが、来年度予算論議の時期と重なったりすると、混乱は避けられない。(前政権の経済対策の結果だが、現政権政党やメディアによっては、新政権の責任にする可能性はなくはない。)
 (混乱は時間の問題で、避けられないだろう事は以前に書いた。)
 ところで、世界的に日本の技術は高く評価されている。
 日本経済の再生の拠り所とも言える。その通りだろうが、これからの技術も発想の転換なしには、これまで経済政策で失敗してきた金融・ものづくり・第1次産業と同様の結果になるのではないか。
 高度な技術よりどういう技術かが問われるのではないか。
 端的に言うと、(作る技術)から(育てる技術)への転換が必要になると思う。
 それは、地球との共存が避けられない所まで来ているからである。
 仕分けせず、従来のように高品質のものを大量に作る技術を中心にして行き詰まった事を改めて考えてみなくてはならない。
 要するに地球を視座にした産業の構造転換に資する形で技術の発展・貢献が求められている。
 飛躍するようだが、教育も作る教育《技術》から育てる教育《技術》への転換が急がれてるが‥学校教育にはそんな空気はない。企業も使い捨てで育てる感じではない。

 
 
 
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )