本気になれない我々

自分のことばかり話して他人の話に耳をかさない風潮(自分が1番かもしれないが)は飲み屋の会話から国会や討論会・座談会・研究会、海外のニュースやメディアに至るまで広く見られる。
 
 与野党は共に(経済や政治や社会の危機)を訴えながら話を聞くどころか口を極めて相手を非難する。(この人たちは 本当に危機だと思っているのかな?)と疑問になる。
 家族に何事かあったとき、争っているだろうか?たとえ争っていてもいよいよの時は争いを中断して話を聞かないだろうか?
 国家間の戦争だって、異変を無視して続けるだろうか?
 
 世界や日本の事態がここまできて口では(危機)と言いながらも 
本気になれず現状にあぐらをかく我々。
  
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ものは単純

 

今のアメリカや自民党、巨人、学校長などの管理職もあまり好きにはなれない。
  多分、【あぐら】をかいているように見えてるからだと思う。

   昨日、「今は、どんな立場の人も 現状にマッチした情報を集める事が課題」だと書いた。    しかし、現実は 民主党の幹部のみならず、テレビに登場する政治家や評論家まで他人に耳を傾ける人を見出すのは可也難しい。それは おエラ人だけでなく自分自身にまで及ぶ。結局は現状にあぐらをかいている事になる。
  
スポーツの応援から世界を動かす国やリーダーそして身近な人間関係まで、自分の好き嫌いは 理屈を並べながらも結局は 【あぐらをかいている】かどうかで決めているようだ。
 
思い出してみると、この傾向は可也子どもの頃に遡る。
  高校生の頃、気取っていた世界史と物理の先生に対し、教科書を買わずに抵抗したり、
   小学校の頃、クラスで優等生と自他共に?認めていた男の子をうまいこと言って思いっきり頭を拳骨でぶん殴った。
  よくよく思い出してみると、死んだ親父の性格を引き継いでいたようで、
  6人の男兄弟はそこだけは今も皆似ている。
  
   名も泣く貧しく働き者だった両親、とりわけ親父は【人格的なあぐら】が大嫌いな人
   のようだった。
 
   そんな親父(両親)のお陰で学校へもやってもらい新しい時代を生きてきたが、
  何のことはない親父の性格を引き継いでいるだけ。

だけど、凄く嬉しい感じがする。
そして、大きな意味もあるような気がする。


   
 
  
 
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