やっぱり!

 あそこで子供が泣いてるよ!
  こけて痛いと泣いてるよ
 あそこでじいさん口閉ざしてるよ!
  諦めちゃったと口閉ざしているよ
   ホラ、イタイのイタイの飛んでゆけ
    そうか、そんなら傍にいてあげる
    だろう 
   やっぱり
  子供がじいさんと遊んでた
     じいさんが子供と遊んでた
      
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

2重の難しさ

日記の指導では「ありのまま、くわしく」をモットーにしてきた。自然の認識が人為的な認識に勝ると考えていたからである。
 しかし今、色んな形で耳目に蓋をしているのを見ると、我々は(ありのまま)を認識する困難さが2重になった思った。
 一つは 普通の状態での社会的な囚われ。
 もう一つは、(何かをする事によって)自らが自らの認識に蓋をする。
  (ありのまま)を知るのはさらに難しくなったようだ。
  携帯、ゲーム、新聞、テレビ、お酒、碁(碁病気) ‥自分も無関係でない。
  
  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

いいのになー

 ‥行き詰まっているのに、目や耳を塞いであらぬ方向へ歩む‥
  京都でゆったりしてきたせいか、帰りの新幹線で(深い眼差しとやさしい目、落ち着いた静かな身のこなし)の仏像を思い浮かべ、はー とついため息。誰だって、(いい)と思うよなー‥‥
    
   
  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )