すこしは、近づけるかなー

 

「夫」と「彼」。2人の男性を見守りながら、そして2人に見守られながら、生きてい く。カズコさんはそう、決めた。‥‥‥‥‥
  販売の仕事と介護の仕事をし、孫の世話をし、一人暮らしの夫と時々は会い、彼の元へ  も通う。悩んだ時機もあったけれど、彼には夫の事は黙ったまま、この生活を続けよう  と思う。
  「だって。どれも私には必要なこと。自分を信じて続けます」。人生の「これから」を  決めた64歳の春。           (小林崇志)
  
   5月1日、朝日新聞の(五線譜)という小さな囲み記事の <夫と彼 2人と生       きよう>と題した文章である。
  とにかくこの64歳の女性とそれを言葉にした小林さんの懐の深さと爽やかさに心うた  れ何度も読み返した。同時に自分の偏狭さと暑苦しさを覚え、これもありがたかった。
  少しは、近づけるかなー
  
   
   
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人類よ、宇宙人になれ

 小見出しは、5月1日午前9時から流した NHK番組名。あまり好きではない立花隆氏が小学校に出向いての特別授業の様子である。
 随所に違和感を覚えながらも、彼の伝えたい題字のメッセージには、視座のつながりを感じ心から共感した。
 
 日本人をはじめ(~人)の言い方は多くあり、これまで最大が(地球人)だった。
 現実には地球人的な発想や行動は稀にしか見られず理想論的な意味合いで用いられるだけで、(宇宙人)は、彼方遠くの星からユーホーか円盤に乗ってやってくる意味不明のことを喋る仮想のニンゲンの事だった。それが地上の人類が宇宙人になるように努力せよ、と言うのだから、努力すればその理想に近づき、少なくても自ら描いた宇宙人に近づく。

  しかし、人類が宇宙人になるように努力するとしないとに関わらず、
 (宇宙的に見たら)、今だって宇宙人のはずである。
人と言う種が他の星に居るかどうかは別にして宇宙的に見て人類を一つの種と名づけるなら、既に宇宙人だと言える。
 問題は宇宙人であるかどうかではなく、宇宙的に見る視点とその認識を(視座)を獲得できるかどうかである。
 立花隆氏は、宇宙的な視座を持ち合わせず、地球人的な発想で語っている。
  宇宙人的な発想で語ればもっと良かった。
  (こうして書いている自分もいつの間にか地球人的な発想で書いていた。視座の獲得はこれ程までに難しい)
   それはともかく、古い人間やどうしようもないマスコミ(ヒトの培養液)の中に
 (新しい小さな芽)を発見したような驚きと喜びを感じた。
 
  補足 
超先進国の日本は、既に『宇宙人』を指導者に戴いている。

 
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