周囲の変化

  このところ、庭に来るスズメの数が減ったと思っていたら、先日テレビでそのことがあちこちで見られると報じていた。
 それらに詳しい近所の人の話では、セミやトンボやチョウやカエルばかりでなく、近くの川の生き物や水鳥、植生などにも変化が見られると言う。
 この町の人でないとこの町の環境の変化は分らない。しかし、この町にその変化を把握しその情報を伝えるシステムは無い。子供たちは学校でも学ばないし、大人は忙しくてそんなことを追跡できない。
 同じ町に住んでいて周囲の環境の変化の認識が可也違っているようだ。
  いつの間にか共有していた周囲の状況の認識が随分離れてしまっているような気がする。これは情報の個別化とは違い、人の繋がりやコミュニケーションを難しくしている一つかもしれない。
 
 
 
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メディアの中立性

メデイウム=培養液のような情報 に例えられるメディアの政治報道は党派に偏るか、全否定的な政治不信を煽るような情報が多い。社会的責任の上に立った、何人にも役に立つ原則的な情報を中心に伝えられないものだろうか?
確かに中立性(或いは独立性)や普遍性は難しいかもしれないが、少なくてもそれを追求する姿勢は堅持してもらいたい。それによってものの言い方一つも変わって来る。そうすれば人々の思考は深まるし政治の選択の幅も広がる。何より報道そのものがもう少し落ち着いて品がただよう。
 
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