民主主義は、ふた?

 
  行き詰まているニンゲンが、新しい理念や政策を生み出せないのは、社会の仕組みがあるからだろうと、考えてきた。
 もう少し考えてみた。
 多数決は民意を問う選挙によってデモクラシー(民主主義)の根幹の仕組みになっている。
 
  60数億のニンゲンがいても、新しい理念や対応は個人や少数からしか生まれない。
  そうすると、現在の民主主義の体制が新しい理念や政策を生み出すのに蓋をしていない
   とも言い切れない。
   現在の民主主義はそういう物を内包しているかもしれない。
  もう一つ、(民主 )とは言うものの、所詮人間中心であり、全体とは矛盾している可能性はある。(同じような論理で護憲・改憲とは全く違う立場で憲法も考えてみる必要があるかもしれない。)

 こんな中途半端な原理や理念から生まれたかどうかは分らないが、周りには民主的でないものが、多すぎるように見える。
   例えば、宝と言われてる子供の民主主義は、どうなっている?
   学校で目いっぱいやって、宿題を背負い下校して、そして塾。
   大人の8時間労働どころか、下手するとお父さんの残業以上。家族と一緒に食事も出来ず、一人、隅っこでゲームに逃げる。
大人が《民主主義》にしがみついても、『子供哀史』が何時までも続くはずはない。
 
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普通でいい

ヒトはよく競争して勝ち負けを決める。
 ヒトの普通の暮らしだろうと思われる暮らしが出来なかったり、反対に何倍もの暮らしぶりにヒトもいる。
 競争だから、一方は普通の暮らしが奪われ、一方は普通の暮らしを奪っているのかもしれない。
 みんな普通でいいのに‥ ヒト以外は普通に見えるけど‥ ヒトも普通 に は 還る。
     
  
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