世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
その日暮らし
何時のころからか、布団に入る度、明日の朝まで生きてるかなーと思うようになった。
朝、目を覚まして「あーまだ生きていた」と思ってから、その時一番考えたいことを考えるのが、習慣化したようだ。
正にその日暮らしなのだが、仮に不老長寿の薬を飲んで、その薬が効いて底知れず命が絶えなかったらどうだろう?
幕の閉まらない芝居のようで、主人公は居場所がなく路頭に迷うこと、この上ない。
自ら 極刑の死刑欲する人もいると言うが、終わりのない人生を課せられたら死刑どころでないこの世の地獄が永遠に終わらない。
永 六輔さんの著書にそんなのがあった気がしていると、妻も民話でそんな話を読んだと言う。
娘に、覚悟はできているか?と言うと、少し困った顔をして二階へ上がって行った。
一日一日が凝縮し、毎日が人生の連続で、だから、思いっきいり人生がやれ、それでいてご褒美の(千の風)にはチャンとなれる、と言う最高の生き方が、娘はまーだ分かっていないワイ…ブツブツ。
今こそ、歴史に学ぶ
地球の異常な現象をもたらしているのは 世界マネーによる支配の仕組みに因るのだろう。
行き過ぎた今日の資本主義を (金融資本主義)とも言われるが、その頭に「独占」を付け加えた方がよりマッチしていないか。
それは、自由であるべき市場経済が金融市場によってコントロールされているからである。
国家経済の多くは 企業の生業によって賄われているが、大企業と言えども金融機関や投機筋の動きに従わざるを得ない。
主権を持つとされる国家も国民もその仕組みの中にある。
こう考えると、全く絶望的なのだが、弱肉強食は恐竜が地上から姿を消したように、最終的には存在しえない。
現在、世界的に見られる国家や企業の破綻とも言える現象はその兆候ではないか。
( お金と競争)の意味を文明的に問い直すことが求められている時代なのだと思う。
ハゲタカが怖いからなのか、すっぽり仕組みに組み込まれているからなのか、支配の構造は話題にすらならない。
このことを棚上げした環境や政治・経済・文化の対策は問題の先送りで当面を糊塗しても根本的な解決にはならず矛盾を増幅する。
長年かけて築いてきた(お金と競争)の仕組みからの方向転換は とてつもなく大きな自然災害か経済破綻以外にないのだろうか?
確かに歴史的な転換は(破綻やリスク)を十分払ってなされてきたが、人類はそういう歴史から学んでも良いはずだ。