いつのまにか

 山の木を見ていると
             いつのまにか自分の中に木が育ち

             いつのまにか木になっていて

           いつのまにか子供たちが遊びに来てるかもしれない

       

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挨拶や礼儀は要らないか?

金正日氏の死に、アメリカや日本をはじめ主要国からお悔やみの言葉が聞こえない。

 (ならず者国家の首領)だと罵っても、死んだら話は別で、お悔やみの一つも言えないのだろうか?

 親戚や、近所、職場にだって気が合わず仲の悪い人の1人や2人はいるもんだ。だからとお悔やみも言えなければ逆に人格が疑われる。

     キリスト教の(主の祈り)でも 「我々に罪を犯すものを許す如くわれらの罪を許し給え」と祈るではな いか。

     親鸞の悪人正機説なら「善人なおもて往生とぐ、況や悪人おや」と教える。

   個人と個人であろうと国家間であろうと最低限の礼儀も言えず、何が出来るだろう?

   子供の喧嘩でもあるまいし、対立していれば、尚更礼儀はだけは正さなければならない。何故なら、人間的な面から対立の正当性が疑われる。
     
          国際的に恥ずかしくはないのだろうか?   国際関係が挨拶が出来ないぐらい野蛮だと言うなら、国連で国際的にルールにしたら良い。   人類はこんなに恥ずかしいレベルなのか?

   

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黄色で良いのだ!


時々、自分の思考が迷路に迷いこんだか?と心配になることがあったが、昨日、雑誌(世界)の特集で樋口陽一氏と西谷修氏の文を読み自分の位置が確かめられたような気がして安心した。
安心したことがもう一つ
この間買った真黄色の中古の車を見て、無二の親友は「とうとう、おかしくなったか?」と夫婦して笑いこけていた。さすが、自分も照れ笑いでごまかした。あれから2か月もたったろうか、意外と黄色い車が多いのと我々の目が慣れてきたのとで、我が家は満足しはじめていたら、娘が植えた夏みかんが50個ほど真黄色になり満足が倍加した。喜んでいると、コップいっぱいの暖めた蜂蜜入りのオレンジジュースが目の前に追加された。

 

 

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そんなに大きいことか?

 「冷えますねー」が隣近所との朝夕のあいさつになった。

 確かに、石油ストーブを炊き、ダルマのように着込んでるのだが、どこか冷え冷えする。

  昨日から内外のメディアは隣国の金正日総書記の死一色で占めどこも(情報収集と今後の動きに注目)を強調している。季節のせいか このメディアのニュースのバランス感覚に(冷え冷え)したものを感じた。

  ニュースは安全上を考えてニュスの構成や優先順が決められるべきだと思う。

     今日だって、地球環境の異変やアフリカの飢餓やフィリピンの水害のこと、 国内だって今日1日で自殺者と孤独死者を合わせると、180人を超えるだろうこと(情報収集や今後の動き)からは目を離せないはずだが。

 

 

 

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