荷物整理

子供が小さいころは 自分を犠牲にしても子供を優先したくなるのは普通のようだが、子供も大きくなると、自分は年をとってるのに、(何かしなくちゃ)と考えるものだ。

 自分を生んでくれた親は自分が親になること以外に何かを期待していたのかもしれないし、もともと人間はそういうものなのかもしれない。

これは、子供や家族を離れて ある意味で純粋に自分と向き合えるものがあることを意味しているのかもしれない。

 そこに、個人の根っこがあるとすれば、今は最高の時であり

  そういう人や事柄を探し見い出だす努力そのものが、人生に与えられた最高の喜びのような気がする。

  取りあえずは、(少し寒いけど)二階へ行って50年来の写真の整理をしよう。

 

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学級担任も務まらないリーダーたちは 何をする?

  

     学級担任は 先ずもって学級にいる最も困難な子供に目を向け段取りをとらないと学級はまとまらず、勉強どころで                 はなくなるものだ。

     国の繁栄を口にするなら、今生きていくのが困難な国民に先ずもって目を向け対策をとることなしに、繁栄はあり得               ない。

      世界の平和や繁栄を口にするリーダーも、ハイチやソマリア、ツバルの島に対策を急がずに 何をか言    
          わん。

      対象の困難なところに目を向けることなく 対策が功を奏するはずはない。

      何故なら、最も困難なところに対象の矛盾が集中しているのだから。

       そんな論理を世界のどこに見出したらいいのか。

     

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人間中心のこだわり

人間は 地球自然の中にあって生きていることに間違いない。

 人間の生き方が仮説的であるとするなら、現代は人間中心の生き方をしていると言える。

 全体的に行き詰まっていることだし、このへんで地球自然中心の生き方に変えて見たらどうだろう。

  仮説実験は仮説を確かめ、間違っていたら変えるものだが…

 

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