世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
地球全体に目配りした報道を
地球をぐるぐる回して始まる BS放送の世界のニュースや天気予報はありがたいのだが、ほとんどが北半球に限られている。
グローブ(地球)全体を認識せずに、世界の認識は難しいから、せめて天気予報ぐらいは省かず報道してほしい。
このままでは存在できない
地球の存在なくして人類も社会も存在しないが、地球を返り見ることなく、消費(GDP)と競争を社会の仕組みの原理として、我々は生きている。
田舎や都市の意味
「 便利な都会と不便な田舎」と言われ、都市は文化的に進み田舎は文化的に遅れてるかのように考えられていないか?
ところが、「自然の中に身を置くことによって、宇宙の中にある自分のいのちを感じ、深い喜びや気づきや癒しを得ることができるはず。」との説もあるり、今は共感出来る気がする。 後者を伴わない文化はあり得ない。
前者と後者には視点の違いがあるとは言うものの、全体的な絵(big picture)で見たとき、前者の言説の意味を問い直さなければならない。
これは、(時代の歴史的転換)とも関わってくるのではないか。
転換すべき2つのこと
「時代は転換期」と言われるがそれは、、成長目印のGDP(総消費量)から(総生産量)への転換ではないだろうか。
(生産)の概念は地球的な意味を持たせて用いる。
現在(消費)を成長の目印としているのは、生産者の成果を測る目的であり、消費者の立場に立ったものではない。
借金や増税でする震災復興がGDPを押し上げ、経済成長の材料となる。常識では考えられない事が世界に闊歩している。
概念的に転換するのは容易いが、実際は社会全体の仕組みになっているから変えるのは難しい。
ただ、行く先を見通さないと、軟着陸は難しく犠牲が大きい。
もう一つ、(競争原理)から(協力・共生原理)への転換が求められる。
比較・競争が 人間の本性であるかのように言われてるが、行き詰まりの背景になっている現実を見ると、(人間の本性)だと断定できず、むしろ基底になる本性は 競争の反対の概念ではないか。生まれたての赤ちゃんや、親子、他人同士であっても愛し合う関係には、競争や勝負は一般的には見られない。