今 思い出した

「世界が幸福にならない限り 個人の幸福は無い」

 学生時代 下宿屋で頂いた食事時の湯呑に書かれていた言葉を思い出した。

 あれから 60年 人は世界の幸福を求めて来ただろうか? 自分は求めて来ただろうか?

 あの時 それなりに納得し感銘したあの言葉と現実の違い ‥‥ でも今 思い出した。長い旅をして来たもんだ。

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自己中の典型か?それも良し

 人の自己中心性の間違いを幾度となく書いてきた。

 しかし、振り返ると 自分は 子どもの頃から自分が気が付く程我ままだった。しかもそれを自己主張として自認し良しとしてきた。 

 嫌なことに堪え性が無く我慢できなかった。 そして今も相変わらず良しとして自認し,このまま最後まで行きそう。だから書いていることは正しいかもしれないし 間違っているかもしれない‥‥

 

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情報を繋ぐ

こういう世の中にあっては 個々人の持つ情報や価値観はそれぞれ異なるが それを繋ぐことの大切さを了解し合うことではないだろうか。

 しかも 社会的には市民 暮らしの主体者としての庶民を土台にした 繋ぎ方が求められているんだと思う。

 それは断絶した立場やイデオロギーに依る不毛なの論議を脱却し 新たなフレーズへと進めるだろうと と思う。

 

  

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よく目にする景色

   リーダーが 世界の共生と団結を呼びかけた翌日  同じリーダーが一部の軍事協力を約束し世界に発信する。

  これに似た景色は個人でもマスコミなどでもよく目にするが、 これは 分かることと 覚悟することの違いなんだろう。 他人事ではない 自分が一番酷い。

    

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 オリンピックより面白いマスゲーム

世界は 多くの災禍も手伝って認識し易くなり発展の道筋も見え易くなっているが 覚悟不足で新たな道に踏み出せないでいる。

しかし 現状は ひたすら発展を促し続けている。このマスゲームはオリンピックより面白い。

 

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覚悟

世界が感染症でおびえている中で 伝統のお祭りを実施したように
 
美辞麗句を並べ立て 言を左右して、持続不可能な道を変えられずにいるのは ひとえに持続可能な新たな道を選択する【覚悟】が出来ていないからだ と思う。 

一日一日 覚悟の如何が問われる いつのまにかそんな齢になってしまった。

新たな道で見るであろう景色のかけらの一つでも多く見い出したい。

 

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