世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
人中心の世界観がもたらすもの
人は 自然無くしては お金 名声 権力 武力 がどれだけあっても 生きられない。
そもそも 人や社会そのものが存在しない。
自然の破壊は即 人や社会への損失に繋がる。
にもかかわらず 生起する出来事を自然との関係で論じないことの意味するものは?
ちょっとして 人類は人中心の世界観をベースにして 社会を作り行動していないだろうか。
科学的センス
科学的センスも名刺や表札と違って常に変化する。
まして加齢の私は センスに磨きをかけるか錆びつかせるかの狭間に居るが、実際どうなんだろう?
科学とは遠い世の中
「自然と人」の基本的な関係は「事実と思い」の関係に通じるところがある。
各種の情報は「事実」に基づくか「思い」に基づくかによって情報の内容は変わってくる。
今日の閉塞感や暗い世相は 後者を主流にした情報が流布されているからだと思う。
事実(科学)とは遠い。
モヤモヤした情報の根本原因
自然と人の基本的な関係を押さえて
米中関係やオリンピック関係の情報を伝えていたら どうなるだろう?
少なくても今よりも明るくスッキリした話題になるのではないか。
虚しい報道
今 目の前のテレビはオリンピックの実況の合間に歴史物語を放映している。
今、それが一番大事な情報だろうか?
世界の行き詰まりや混乱の大元は 「自然と人の基本的な関係」の認識不足だと考えている自分は 大いに不満である。
流布されてる情報で 本来の関係を気付かせてくれるものには滅多に出合わない。
明日の朝も 河原を散歩してエネルギーを補給し認識を確認しよう。
似て非ざる認識
人類が「世界の平和と繁栄」を本当に願うなら
先ず世界は「平和と繁栄」が最も困難な地域を見い出し援助するだろう。
現実は そのように見える所も少なからずあるが、主流はそうではない。
この関係を変えるのは グローバル化の進展と地球規模の災難ではないか と考えている。
人の意識的な努力が加われば良いのだが 現実は‥‥ やっぱり「自然と人の基本的な関係」の認識不足に遡る。
成るべくして成る。
地球の気候変動のような 地球や人類規模で考え解決しなけばならない出来事が次から次へと起きている。
全ては成るべくして成っており、原因を考え対策を講じなければならいのだが、思考や行動様式 そして社会の仕組みを転換するのは難しいようだ。 特に、国際的な関係が目立つ。