世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
自民党再生論議で現状と先を見る
日本の歴史的?政権交代で自民党の再生・再建論議が盛んでマスメディアもそれを追い細かく報道している。
今日も日本テレビ(読売)が自民党総裁候補3人を中心に特別番組を組んで再生の方向を探っていた。
新政権が(期待しながらも)時間の問題で行き詰まるとdoziは見ているので、自民党の再生論議には期待しているが、今日見たところでは目先を変える程度で、本気で模索しているとは思えなかった。それはある意味で仕方ないとは思うが、番組を作る或いは自民党の再生を促そうとする局側のスタッフや助言役の学識経験者(今日は竹中平蔵氏)の頭に再生のビジョンの無いことが、今日の行き詰まりの実態を実感させられた。
(新しい価値)までは出て来るがその先が全く無く、候補者同様、目先を変える堂々巡りをやっている。
(新しい価値)は新しい【場】からしか生まれないのに、候補者も助言者も頭に描いてる場はこれまでと少しも変わっていない。
日本や世界の行き詰まりを端的に見ている感じだった。
今後大きな不景気か危機で何度か痛い思いをしないと
【場】の認識の間違いに気が付かないだろうとの仮説を改めて確信した。
地球温暖化や疫病は勿論、経済活動をはじめ全ての人間活動が、地球や自然を
ベース(土台)にしている事の認識をいい加減にしては済まない所まで既に来ていることを、今日の混乱や行き詰まりが、連日【皆に】見せてくれているのに‥。
今日も日本テレビ(読売)が自民党総裁候補3人を中心に特別番組を組んで再生の方向を探っていた。
新政権が(期待しながらも)時間の問題で行き詰まるとdoziは見ているので、自民党の再生論議には期待しているが、今日見たところでは目先を変える程度で、本気で模索しているとは思えなかった。それはある意味で仕方ないとは思うが、番組を作る或いは自民党の再生を促そうとする局側のスタッフや助言役の学識経験者(今日は竹中平蔵氏)の頭に再生のビジョンの無いことが、今日の行き詰まりの実態を実感させられた。
(新しい価値)までは出て来るがその先が全く無く、候補者同様、目先を変える堂々巡りをやっている。
(新しい価値)は新しい【場】からしか生まれないのに、候補者も助言者も頭に描いてる場はこれまでと少しも変わっていない。
日本や世界の行き詰まりを端的に見ている感じだった。
今後大きな不景気か危機で何度か痛い思いをしないと
【場】の認識の間違いに気が付かないだろうとの仮説を改めて確信した。
地球温暖化や疫病は勿論、経済活動をはじめ全ての人間活動が、地球や自然を
ベース(土台)にしている事の認識をいい加減にしては済まない所まで既に来ていることを、今日の混乱や行き詰まりが、連日【皆に】見せてくれているのに‥。
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高齢者差別
昨夜、イギリスの高齢者差別、特に就業の機会が奪われ自尊心や生活の基盤を失う事への不安や嘆きが報道されていた。
これまで「高齢者差別」の言葉自身意識した事がなかったが、見ていると現状は日本も同じようだった。
普通行われる社会的待遇と思われている物がが社会的打算であって、合理的・科学的かどうかは別と言う話もあった。
文化の伝承には技術以前の経験でしか獲得できない(智恵の伝承)があるが現在はその辺がうまく機能していないような気もする。特に産業や教育でそう思うことが多い。
そのうち自分も高齢者の悲哀を感じ、むなしさを感じる時が来るかもしれないが
今のところ、内側の変化を追っていて、(今が、1番)の感じだ。
これまで「高齢者差別」の言葉自身意識した事がなかったが、見ていると現状は日本も同じようだった。
普通行われる社会的待遇と思われている物がが社会的打算であって、合理的・科学的かどうかは別と言う話もあった。
文化の伝承には技術以前の経験でしか獲得できない(智恵の伝承)があるが現在はその辺がうまく機能していないような気もする。特に産業や教育でそう思うことが多い。
そのうち自分も高齢者の悲哀を感じ、むなしさを感じる時が来るかもしれないが
今のところ、内側の変化を追っていて、(今が、1番)の感じだ。
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鳩山新政権
昨日、認証式を済ませ、正式に発足した。記者会見などを見ていると、全体的にこれまでより清新なものを感じた。
脱官僚・政治主導へ、国民生活重視、主権在民、自立した外交、党首は(友愛)と一言で表現もした。財源なきばら撒きと批判されたマニフェストの実行は10月国会と来年度予算編成作業で早速始まる。
当然成功するよう願ってはいるが、目先は変わっても地球的な自然条件をベースとした視座を持たない政権構想は必ず行き詰まるだろうと考えざるを得ない。新首相は「未知の世界に遭遇していく。失敗もあろうかと思う。その時は是非、内向きなならず外向きに」と仲間に訴えたそうである。
その通りだ。似たもの同士の交代劇や、離合集散では間に合わないはずだから、
そういう時こそ仲間内だけではなく、立場や発想を異にした人間に目を向け十分話し合えば、何が不足し何が必要かが見えてくるものだ。
発想の問題だから誰が方向転換してもいい。
発想は政府だけの責任ではなく、メディアや学者をはじめ全ての国民一人ひとりの責任と意識が問われる。
そういうものだと考えているオヤジが、一人や二人いてもおかしくない。
脱官僚・政治主導へ、国民生活重視、主権在民、自立した外交、党首は(友愛)と一言で表現もした。財源なきばら撒きと批判されたマニフェストの実行は10月国会と来年度予算編成作業で早速始まる。
当然成功するよう願ってはいるが、目先は変わっても地球的な自然条件をベースとした視座を持たない政権構想は必ず行き詰まるだろうと考えざるを得ない。新首相は「未知の世界に遭遇していく。失敗もあろうかと思う。その時は是非、内向きなならず外向きに」と仲間に訴えたそうである。
その通りだ。似たもの同士の交代劇や、離合集散では間に合わないはずだから、
そういう時こそ仲間内だけではなく、立場や発想を異にした人間に目を向け十分話し合えば、何が不足し何が必要かが見えてくるものだ。
発想の問題だから誰が方向転換してもいい。
発想は政府だけの責任ではなく、メディアや学者をはじめ全ての国民一人ひとりの責任と意識が問われる。
そういうものだと考えているオヤジが、一人や二人いてもおかしくない。
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屁理屈かもしれないが
麻生氏は最後の閣僚会議で、謝意を述べると同時に「経済危機を経済対策によってくい止めた。道半ばながらそれがこの内閣の実績だった。」と述べた。
政府が1年間で経済危機から脱出できるのなら、何故、はじめから政府は経済危機に見舞われないようにしなかったのか?
これまで「アメリカ発の経済危機」に巻き込まれたように言ってきた。
「アメリカを中心とした国際社会の努力もあって」と付け加えたとしても、
日米運命共同体のようにやってきたのだから、日米は国際的な努力にって未然に防げたはずである。
100年に1度の病は急には来ない。それが全治3年、1年間で快復の目途が立ったと言うなら、お医者さんは病気になる3年前1年前は、何をしていたのだろう?
100年に1度の経済危機が自然災害でもなく、突発的な事故でもなく、
今になって、国際会議で再発しないようにと対策を考えているように、危機への症状を世界的に見落としていただけではなかったのか?
ドジは屁理屈かもしれないとためらいながら、しかし本気でそう考えているようだ。
政府が1年間で経済危機から脱出できるのなら、何故、はじめから政府は経済危機に見舞われないようにしなかったのか?
これまで「アメリカ発の経済危機」に巻き込まれたように言ってきた。
「アメリカを中心とした国際社会の努力もあって」と付け加えたとしても、
日米運命共同体のようにやってきたのだから、日米は国際的な努力にって未然に防げたはずである。
100年に1度の病は急には来ない。それが全治3年、1年間で快復の目途が立ったと言うなら、お医者さんは病気になる3年前1年前は、何をしていたのだろう?
100年に1度の経済危機が自然災害でもなく、突発的な事故でもなく、
今になって、国際会議で再発しないようにと対策を考えているように、危機への症状を世界的に見落としていただけではなかったのか?
ドジは屁理屈かもしれないとためらいながら、しかし本気でそう考えているようだ。
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少子高齢化をやっている人が言う
今世紀末には人類は現在の150パーセント増の90億人が予測されている中で、先進国は軒並少子高齢化が進み、年金どころか経済活動から人類の危機をも懸念されていると言う。
日本政府も少子化対策を打ち出しているが、食い止められないようだ。
どだい、少子高齢化が自然現象のような響きで言われているが、そうだろうか?
(後になってだが)
市場競争の行き過ぎが人間性や人間関係そして共同社会(家族、地域)を壊している事が原因していたのではないか?と考えるようになった。
だから、市場競争を激化させながら、少子化対策にお金をかけても根本的な解決にはならないと思う。
これも産業の行き詰まり同様、自然を無視した人間の意識や意思を中心にした文明文化を問い直した方が早い。
日本政府も少子化対策を打ち出しているが、食い止められないようだ。
どだい、少子高齢化が自然現象のような響きで言われているが、そうだろうか?
(後になってだが)
市場競争の行き過ぎが人間性や人間関係そして共同社会(家族、地域)を壊している事が原因していたのではないか?と考えるようになった。
だから、市場競争を激化させながら、少子化対策にお金をかけても根本的な解決にはならないと思う。
これも産業の行き詰まり同様、自然を無視した人間の意識や意思を中心にした文明文化を問い直した方が早い。
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ギャップ
30年も前かな クラスにかなり重い小児喘息を患っていた男の子がいた。
体育が終わって教室で着替えをしていると、目を血走らせているのを何度か見た。
少しは配慮はしたような気もするが特別な事はしなかった。
自分は57歳の時、風邪をこじらせたと思って病院へ行くと、「喘息だから、一生治りません。病気と付き合うだけです。)と言われ、確かに現在までその通りだった。
30年前の教え子を思い出す。(あの子の辛さを感じて上げられなかったなあ)
経験がなかったから仕方がないかも知れないが、
もしそうだとしても‥
この世で自然の前に人間の存在が小さなものだと心から感じられる人間はどれだけいるだろう?
頭では誰でも100パーセント意識できるが、感覚や行動はそうはならない。
ある意味でお坊さんは一生その修行続ける。
政治や経済のリーダーは見たところ、お坊さんとは対極で、人間中心の感じが強い。自然を人間の外に置き、人間中心に考えてリードをする事にならないか?
しかし現実は紛れもなく、大きな自然の中にある。
今ある世の中の不安や危機ははそのギャップから生じてはいないだだろうか?
自然界をはっきり意識して取り掛からないと、経験がなかった、感じなかったでは済まないかもしれない。
30年もたってから気が付くひとがここにいる。
体育が終わって教室で着替えをしていると、目を血走らせているのを何度か見た。
少しは配慮はしたような気もするが特別な事はしなかった。
自分は57歳の時、風邪をこじらせたと思って病院へ行くと、「喘息だから、一生治りません。病気と付き合うだけです。)と言われ、確かに現在までその通りだった。
30年前の教え子を思い出す。(あの子の辛さを感じて上げられなかったなあ)
経験がなかったから仕方がないかも知れないが、
もしそうだとしても‥
この世で自然の前に人間の存在が小さなものだと心から感じられる人間はどれだけいるだろう?
頭では誰でも100パーセント意識できるが、感覚や行動はそうはならない。
ある意味でお坊さんは一生その修行続ける。
政治や経済のリーダーは見たところ、お坊さんとは対極で、人間中心の感じが強い。自然を人間の外に置き、人間中心に考えてリードをする事にならないか?
しかし現実は紛れもなく、大きな自然の中にある。
今ある世の中の不安や危機ははそのギャップから生じてはいないだだろうか?
自然界をはっきり意識して取り掛からないと、経験がなかった、感じなかったでは済まないかもしれない。
30年もたってから気が付くひとがここにいる。
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ハイテク日本に、求められてる事
最近の経済指標を見ると、言われてる景気の2番底は意外と早そう。
年末年始にかけて下降しそうという指摘も出てきているが、来年度予算論議の時期と重なったりすると、混乱は避けられない。(前政権の経済対策の結果だが、現政権政党やメディアによっては、新政権の責任にする可能性はなくはない。)
(混乱は時間の問題で、避けられないだろう事は以前に書いた。)
ところで、世界的に日本の技術は高く評価されている。
日本経済の再生の拠り所とも言える。その通りだろうが、これからの技術も発想の転換なしには、これまで経済政策で失敗してきた金融・ものづくり・第1次産業と同様の結果になるのではないか。
高度な技術よりどういう技術かが問われるのではないか。
端的に言うと、(作る技術)から(育てる技術)への転換が必要になると思う。
それは、地球との共存が避けられない所まで来ているからである。
仕分けせず、従来のように高品質のものを大量に作る技術を中心にして行き詰まった事を改めて考えてみなくてはならない。
要するに地球を視座にした産業の構造転換に資する形で技術の発展・貢献が求められている。
飛躍するようだが、教育も作る教育《技術》から育てる教育《技術》への転換が急がれてるが‥学校教育にはそんな空気はない。企業も使い捨てで育てる感じではない。
年末年始にかけて下降しそうという指摘も出てきているが、来年度予算論議の時期と重なったりすると、混乱は避けられない。(前政権の経済対策の結果だが、現政権政党やメディアによっては、新政権の責任にする可能性はなくはない。)
(混乱は時間の問題で、避けられないだろう事は以前に書いた。)
ところで、世界的に日本の技術は高く評価されている。
日本経済の再生の拠り所とも言える。その通りだろうが、これからの技術も発想の転換なしには、これまで経済政策で失敗してきた金融・ものづくり・第1次産業と同様の結果になるのではないか。
高度な技術よりどういう技術かが問われるのではないか。
端的に言うと、(作る技術)から(育てる技術)への転換が必要になると思う。
それは、地球との共存が避けられない所まで来ているからである。
仕分けせず、従来のように高品質のものを大量に作る技術を中心にして行き詰まった事を改めて考えてみなくてはならない。
要するに地球を視座にした産業の構造転換に資する形で技術の発展・貢献が求められている。
飛躍するようだが、教育も作る教育《技術》から育てる教育《技術》への転換が急がれてるが‥学校教育にはそんな空気はない。企業も使い捨てで育てる感じではない。
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日本の政府に期待する事
政府与党バラまきマニフェストは実行できるはずもないし、期待もしていない。
大方同じだろう。
私が望んでいる事( 昨日書いた(国際貢献)を補足したい。
世界や日本が行き詰まり、先の見えない不安は立場を超えた人類共通の基底的な心だと思う。
要するに、人類が始めて遭遇した危機感を持ちながら、何をどうしてよいかが分らない状態にあると思う。
日本は60数年前焼け野原に立ち、呆然と虚空を見つめた後、生きるために何でもありのような混乱状態に陥ったのに似ている。
戦前の視座や価値観では生きていけなかった。社会的にも個々人も極貧状態だった。
しかし、視座を海外に拡げ新しい価値観を基に新しい目標に向かったから、大人も子どもも、(頑張れば、将来は良くなる)と誰しも思い、食べるに困っていても今よりは皆明るかった。あの時は本当に(国敗れて山河あり)の感じだったと思う。
今の世界は(国に敗れて(経済戦争)山河なし)のようで、子どもや若者が生き生きしていない。自殺もあの戦後以上だ。
視座の狭さが武力戦争と経済戦争でも極端な形で失敗した世界的にも珍しい経験をした国だと思う。
視野・視座の大切さを痛いほど国を挙げて知らされたとも言える。
この経験を通して世界の先行きのグラウンドデザインの視座・視点を国の内外、全ての人に伝えられる立場にいないだろうか?
何を勘違いしているのか、世界が金融危機に陥った時、日本の為政者は先行経験した金融緩和政策を成功経験として世界に大声で発信した。世界はそれを実行した。
あれは、現実に合わない視座の狭さで、巻き込まれた形だが、結局は敗れ失敗していたのに(もっと戦え、もっと繰り返せ)と伝授したようなもので、結果は、時間差はあるがやがて世界的に現れると思う。
今日の世界を見たとき、視座をムラや国、人間中心の世界に置くのでは間に合わない事は明白。
はっきりと人間の意志だけでなく、地球の限界、地球資源、自然そのものを視座に納めない限り、出来事の原因も解明できないし対策も立たない所にきている。
これは常識的なことだが、社会は文明の迷路に入り、これ(当たり前)を見失っていないか?
日本は経験したことを率直に振り返り、当たり前のことを当たり前に述べるだけでいい。
日本の政府に期待しているのはその事だけである。
財政赤字をどれだけ抱えていようと、産業界もアメリカも、そして国民も本当はそれを求めているのではないか。お互い先が見えないのだから。
国の内外のセイフティネットの確立は緊急の優先課題だが、言われてる国際貢献、国民生活や社会保障の名で状況を見ずバラ蒔くのは急いでする仕事ではない。
お金もいらない当たり前の注文だけど、そうは行かないようだ。
大方同じだろう。
私が望んでいる事( 昨日書いた(国際貢献)を補足したい。
世界や日本が行き詰まり、先の見えない不安は立場を超えた人類共通の基底的な心だと思う。
要するに、人類が始めて遭遇した危機感を持ちながら、何をどうしてよいかが分らない状態にあると思う。
日本は60数年前焼け野原に立ち、呆然と虚空を見つめた後、生きるために何でもありのような混乱状態に陥ったのに似ている。
戦前の視座や価値観では生きていけなかった。社会的にも個々人も極貧状態だった。
しかし、視座を海外に拡げ新しい価値観を基に新しい目標に向かったから、大人も子どもも、(頑張れば、将来は良くなる)と誰しも思い、食べるに困っていても今よりは皆明るかった。あの時は本当に(国敗れて山河あり)の感じだったと思う。
今の世界は(国に敗れて(経済戦争)山河なし)のようで、子どもや若者が生き生きしていない。自殺もあの戦後以上だ。
視座の狭さが武力戦争と経済戦争でも極端な形で失敗した世界的にも珍しい経験をした国だと思う。
視野・視座の大切さを痛いほど国を挙げて知らされたとも言える。
この経験を通して世界の先行きのグラウンドデザインの視座・視点を国の内外、全ての人に伝えられる立場にいないだろうか?
何を勘違いしているのか、世界が金融危機に陥った時、日本の為政者は先行経験した金融緩和政策を成功経験として世界に大声で発信した。世界はそれを実行した。
あれは、現実に合わない視座の狭さで、巻き込まれた形だが、結局は敗れ失敗していたのに(もっと戦え、もっと繰り返せ)と伝授したようなもので、結果は、時間差はあるがやがて世界的に現れると思う。
今日の世界を見たとき、視座をムラや国、人間中心の世界に置くのでは間に合わない事は明白。
はっきりと人間の意志だけでなく、地球の限界、地球資源、自然そのものを視座に納めない限り、出来事の原因も解明できないし対策も立たない所にきている。
これは常識的なことだが、社会は文明の迷路に入り、これ(当たり前)を見失っていないか?
日本は経験したことを率直に振り返り、当たり前のことを当たり前に述べるだけでいい。
日本の政府に期待しているのはその事だけである。
財政赤字をどれだけ抱えていようと、産業界もアメリカも、そして国民も本当はそれを求めているのではないか。お互い先が見えないのだから。
国の内外のセイフティネットの確立は緊急の優先課題だが、言われてる国際貢献、国民生活や社会保障の名で状況を見ずバラ蒔くのは急いでする仕事ではない。
お金もいらない当たり前の注文だけど、そうは行かないようだ。
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国際貢献
新政権は財界に炭酸ガス排出目標を、アメリカに基地や地位協定の見直しと、政府の主体的立場を内外に明らかにした。
独立した主権国家だから、当然と言えば当然である。
ここまでは歌舞伎の大見栄えきったようでいいのだが、実際には難しい意と思う。
今、日本が国の内外で果たせる役割は、逐一マニフェストを実行することではなく(実際できないだろうし)出口を模索し、内外に指し示す事ではないだろうか。
お金は要らないし、誰もが待ち望んでいるのはこの事ではないか。
ただ、当の政府与党や首相がその認識をもてるかどうかだが、状況は難しそう。
独立した主権国家だから、当然と言えば当然である。
ここまでは歌舞伎の大見栄えきったようでいいのだが、実際には難しい意と思う。
今、日本が国の内外で果たせる役割は、逐一マニフェストを実行することではなく(実際できないだろうし)出口を模索し、内外に指し示す事ではないだろうか。
お金は要らないし、誰もが待ち望んでいるのはこの事ではないか。
ただ、当の政府与党や首相がその認識をもてるかどうかだが、状況は難しそう。
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期待したが‥やっぱり
雑誌(世界)10月号は《大不況がもたらす産業転換 ー 再生の契機はどこに》
を特集していた。
(産業転換)の言葉に視座の拡大を期待したが結局誰一人、地球を視座にした人はいなかった。
新しい発想は視座の見直し無に出来るのだろうか?
インフルエンザにしろ温暖化にしろ、政治・経済どころか人の生存に関わる地球的規模起きていることは、地球規模でないと解決しないのに‥
を特集していた。
(産業転換)の言葉に視座の拡大を期待したが結局誰一人、地球を視座にした人はいなかった。
新しい発想は視座の見直し無に出来るのだろうか?
インフルエンザにしろ温暖化にしろ、政治・経済どころか人の生存に関わる地球的規模起きていることは、地球規模でないと解決しないのに‥
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