世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
例えその人が
例えその人が 独裁者であろうと 幾万の人を殺めようと
人を殺して歓喜しそれを正当化する人々は 美しくない
(法律や人権や民主主義)を正義だと大言する人たちが それを正当化するか押し黙るかの世の中で 私たちは 生きるのか
私たち以上に 建前と実体のズレを 子供たちは 感じ取る
目的と手段を取り違えた前者と後者に違いはあるか?
裁きは 歴史的に先送りされた
見上げてごらん夜の星を
見上げてごらん 夜の星を
小さな星の小さな光が ささやかな幸せを 歌ってる
見上げてごらん 夜の星を
僕らのように名もない星が ささやかな幸せを 祈ってる
手をつなごう ぼくと 追いかけよう 夢を
二人なら苦しくなんかないさ
見上げてごらん 夜の星を…
坂本九さんが 千の風になって 火星から夜空に浮かぶ地球を 心配そうに見ながら歌っているかもしれない
名も無い星の名も無い私たちは ささやかな幸せを歌い祈っているだろうか…
でも 追いかけよう夢を 二人なら苦しくなんかないさ
まして 千の風が いつもそばにいる
民主主義の体裁だけ
TPPへの参加が、日本の経済社会の将来を大きく左右するだろうと考えるのは誰しも同じだろう。
政府の原案もないことから国会にも上程されておらず、論議されていない。
今は、政党や国民レベルで論議されるべき段階にあるのだろう。
ところが、経団連等の経済団体は(TPP参加)態度を表明し、テレビや新聞のマスコミの(目にした限り)全てが、強力に参加を催促している。
国民が議論し出てきたものが民意だが、常々マスコミは自らの主張そのものを(民意)として押しつけてきた。
TPPの問題も国民的議論をしている時に、先だってマスコミが賛意とその理由になる情報を一方的流して、どうして国民は客観的な論議ができるだろう?
マスコミがやらなければならないのは、論議し結論を出すため、それに関わる大事な情報を提供することではないか。
現在マスコミに登場している視点や情報は日本の将来を考えられるようなものには全くなっていない。
この強引な誘導のもとで世論調査をいくらやっても政治家をコントロールするぐらいの意味しかなく、国会で多数決で決するとすれば、それは民主主義の体裁だけではないか。
世界への貢献の一つ
客観的状況は悪化するばかりなのに、世界はひたすら漂流し続ける。
取り分け日本の状況と情報の乖離は大きく、太平洋戦争の敗戦時にも劣らぬ意外な展開を余儀なくされそう。
比較競争色の強い日本が、いつのまにか個人も国も(他人任せの思考と行動)のパターンにはまってしまっているようだ。
いつの日か、世界が これまで日の目を見なかった農業者に日があたる時代が来た時、日本は明るい展望に繋がる歴史的な貢献の一つの事例になるかもしれない。
(単なる妄想だと良いが… もう少し良い役回りは出来ないものか )
バックで決まる
財界とそれにテコ入れするメディアは 全てを牛耳っているかのようだ。
バックは、(民意)と(民主主義)を操り、やりたい放題。
TPP参加、増税、武器輸出や購入、原発再稼働・輸出、小さな政府、道州制など主要な政策は、ほとんどバックからのもの。
大坂知事が強いのも例に漏れない。
( 民主主義)は恐ろしい
市場の競争力を中心にTPP参加が論議されてるようだが、
食糧安保や地球環境と同時に、人が暮らす社会の共同体(地域や家族)的性質との関係の視点は欠かせないはず。
危うい時代に、誰かが横車押すような論議の乱暴さが目につく。
財界、メディア、政党が、ほとんどこぞって旗を振るのだから形だけの(民主主義)は恐ろしい。
打つ手を欠いたG20
地球環境は壊れ目標の経済成長はままならず、世界経済の打開を期待されたG20が打つ手を欠いたまま閉幕したのは、現在の世界を端的に物語っていないか。
模索されたのは 失敗を重ねてきたこれまで同様の金融緩和策だけである。
一定期間危機を脱したかに見えても、結局経済は悪化の一路をたどるのは幾度と経験してきた。
今月の中ごろ、朝日新聞は各界の著名人を集め、3日間にわたって(世界の危機を救う)フォーラムを実施した。
その内容は、十分とは言えないまでも、これまでの人間中心の発想から地球の自然へと発想を変えたもので、出口を伺わせる考えがそこにはあった。
こうして出口の案が全く無いわけではないのに、現実の国内・国際政治には全く繋がらず参考にすらしない。
現実の政治に実質的に影響力をもつところが、これまで以上に猶予できないダメージを受けないと、まともに政治は機能しないのかもしれない。
現在の(世界の経済戦争)は、自然:人間 であるかのようだ。 人間は自然に勝てる筈がないから、強い人間であっても結局は治まるところに収まらざるを得ない。時間の無駄使いも必要なのだろうか?この仕分けは誰がするのだろう?
21世紀が求める学力
今月末、白梅大の汐見学長が上記の題で講演するので聞きに行くつもりだが、その準備のためにも私見を確認しておきたい。
私見を(自然から学び対応する力)とまとめた。
20世紀的経済効率優先の結果招いた「「地球環境の悪化」に対してどうするかが、21世紀は人類的に問われているのだから、教育も原則に立ち返ることが求められる。
地上の生き物であるヒトは地球の自然があっての存在だから、そこから学びそれに対応する力を持たないでいると、存在そのものが困難になる。
産業の構造転換を図るためにも、子供にも増して大人が(21世紀型の学力)を早急に身につける必要がある。
車は食べられない
韓国のFTAに遅れまいとメディアの煽りも手伝って、日本はTPP参加へ向けてバタバタ走り出した感がある。
日本が昔のような農業国で60年代のように工業製品の輸出の条件が良い時代であればまだしも、今は反対の状況。
自由競争は国別の国際競争だが、日本は農産物については競争どころかまず輸入しなければならなく、工業製品の輸出は国際的な環境から次第に縮小を余儀なくされる。
すでに、国際的な食糧の値上がりが始まっており、日本の工場は海外へ移転し空洞化は進んでいる。
これでは(経済連携)の名で日本は(夕張化)しかねない。
経済の背景として自然環境の悪化と経済成長の限界を無視できず、
国の経済は大きな(枠組み)の中で成り立つものであって、グローバル企業といえども(思わく)だけでは成り立たず、小さい枠に気を取られていようといまいと、日本も大きな枠でしか動かざるを得ない。
メディアが「解説する「農業の再生計画がカギ」等の問題ではない。
立場によって利益の異なる問題でバタバタするより、誰もが緊急に対策を必要とするウイールス対策に、環太平洋とは言わず全世界が知恵と力を傾注すればいい。
我々人類は ウイルスの蔓延を原発同様、「想定外」と言うのだろうか。
« 前ページ | 次ページ » |