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グレイト ネイチャー!

山でも海でも大きいと見るか小さいと見るかはどこから何を基に見るかによって違う。

グローバルを視野にしたら地上の自然はどれも小さく、宇宙へ飛んでいくロケットから見ると大きくはなく地球そのものが小さなお星さまにしか見えない。

世界がグローバル化する中では、国土は相対的に小さく認識される。

火山の爆発を見て「グレイトネイチャー」と叫ぶか「スモールネイチャー」と叫ぶかは分からないが、見え方感じ方表現が違ってくる。

一つの例

 福島の原発事故後、ある財界の代表は「年間7000人からが交通事故で死ぬ。原発事故では一人も死ななかったのだから…」

 言葉は難しい。

 

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私のリーダー観


政治で(リーダーシップ)云々をよく耳にするが、

最低、人為かどうかは別にしても自然が壊れてることと、今の経済が持続可能な経済体制でないことを自覚、それを念頭に考え物が言える人だろう。

(家庭の主なら家のことと、収入のことはだいたい把握しているものだ。世界や国のリーダーに該当する人はいるのだろうか?)

 それから、学者や専門家とリーダーは 勘違いし易くされ易い。

要するにリーダーは(細かいことより)周囲と全体を大まかでいいから把握していることが最低条件ではないか。

 

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地雷原か

宇宙人が地球で人間が何をやってるのか?といぶかるかどうかは分からないが、ずーっと地上で生活していても疑問なことは少なくない。

ギリシャの財政赤字が公表されていた2倍あったことが政権が代わってはじめて分かったと言う。

 政権がだれであれ、国家の機構でそんなことができるとは考えたこともなかった。

 それなら、ほかの国もありうること。確かにアメリカや日本のバブルの時も(陰ではともかく)公には全く知らされていなかった。

 企業などの粉飾決算も同様で、バレた形で公にされる。

 その辺、世界がどうなっているか政治家も分からないぐらいだから、庶民にとってはいつどこで何が起きてもおかしくないだろう。

世界中に、予想される地雷と予想が難しい地雷がどれだけ埋められているかを考えておかないと、「100年に1度」とか「想定外」の人災は次々起きる。

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ワールドドリーム

映画なんかではアメリカがうらやましく思ったこともあったが、現実政治では野蛮に思えることが圧倒的に多かった。

今朝、BSでアメリカのデモの様子が映し出されていた。

仕事を求めたり、ウォール街を批判するプラカードと一緒に(アメリカンドリームを再び)と言うのも見られた。

 経済格差の大きいアメリカで貧困層と中産階級が一緒に街頭にデモに出る。

日本では考えにく情景である。

 (昔ならまだしも)日常アフリカなどの難民の情報も目にする今日にあっても、あのように本でおおらかに振る舞うアメリカ人が昔見た映画のようで

 暖かいものを感じた。

(アメリカンドリーム)はオバマ氏の就任演説にもあった言葉だが、時代が時代だから、あの言葉が(ワールドドリーム)なら、なおよかった。

 

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有限な自然を無限な人為(科学の発展を含め)が乗り越えられるとの前提で人間活動は営まれているが、自然に多くの余力の有った時代はまだしも、

有限な自然の限界が見え始めていはいないだろうか。

社会は長年 繰り出す政策の失敗に目をつぶってきたが、近ごろは否応なく目の覆いようがなくなってきてはいないか。

 これまでと違った構造改革の方向転換が、少しでもマスコミに登場するようになると良いのだけど…

 

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(主義)の問題ではない

 日本の経済対策の増税案に相続税や固定資産税は政党レベルの議論のテーブルにすらのらない。

アメリカ政府は相続税をギリシャ政府は固定資産税の増税を政府案として提起している。

 

 共に資本主義を経済体制とした先進国だが、日本との違いは何か。

 多分、(私有財産)に対する、社会的な相対的位置付けの違いで、日本はより財産家中心で主義に忠実とも言えるが、

   (主義で経済は成り立たないから)日本は 現実に即した 応用力や創造性が問われてる。

 

  

 

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星は何でも知っている

地上のことを考える時、遠くの星から端を発して地球に近づきズームアップして考えるように心がけている。

その方が整理して考えやすい。

そのうち考えなくても、お星さまそのものになれるのに…

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どっこい、まだまだ

先日、八ヶ岳の(森の幼稚園)に園児(爺)として参加した。

子供も保護者もスタッフも誰もかれもがイキイキ光っていた。

時々出かける長野の山あいの村も極楽に見えて来ることすらある。

 都市生活とメディアの情報に流される中で、希望を見 勇気づけられる空間がしっかりあった。

 

 

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ニュースがほしい

宇宙にあって唯一生物が存在すると考えられてる星【地球】の異変が人間活動によるかどうかを別にして、【異変】はそこに棲む生物である人間にとって放っては置けない。

だから、全体としては地球の異変やそれに対する人間の行動は、自らの存否や安全をかけた最優先されるべきニュースだろうと思う。

そう言う中にあって、それに繋がる具体的な内容は、一人一人の置かれる状況や立場によって優先順位は異なる。

 毎朝、新聞やテレビで内外のニュースに目を通すのだが、肝心のニュースがあまり見当たらない。

 それは地球の異変だけでなく身の回りの異変すらあまり伝えられず、優先順位を付けるのも難しい。

 我々はニュース感覚を失ってきているかもしれない。状況の変化に反応出来ないでいるとしたらもっと大変だ。

 

 

 

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食糧の値上げが意味するもの

  このところ野菜の値上がりが目につく。

 食糧の値上がりは、世界的な傾向のようだが必然とも言える。

戦後の日本は、街場の人が高価な反物をもって農家に行って食糧と交換していたことを思い出す。

 そんな折、食糧受給率40パーセントを切る日本の財界・メディア・政界がこぞって日本の食糧を世界市場に出そうと言うが、これは農業従事者の問題ではなく、日本人の食糧の問題である。

 人は、切羽詰っても車や電気用品を買うだろうか?

 3・11後のスーパーの棚がどうなったか?

 将来ではなく、現在の問題なのに…

 

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