時代は 変わってる

「 戦争は 悲劇だからやってはいけない。」より「愚かだから やってはいけない。」が 今の心境。

  歴史的には、富を得る目的で戦争をしていたが 現在、(富を得る手段)が成り立つとは考え難い。

   確かな検証を必要とするが 概括的・直感的に そう考えている。

   戦争を語る時 大雑把ではあっても 時代の変化を勘案した その観点の無いことが不思議である。

 

 

 

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 ヒトは生命体

 

  

    「生命や財産を守る。」と言うなら、何にも先んじて ヒトを60億年を経た 地上の(生命体)として見なければならないのは当然なこと。

   ホモサピエンスが言葉によって大量の食料を獲得し、今や70億になり、かつてない文明を築いた。

    しかし、この先 このまま無限に発展するとは 考えられない。

    もし、子供たちの将来を考えるなら、先ずは ヒトを生命体として捉え 現在の文明やあり様を見直すことだろう。

    限られた地上で争って富を獲得しながら、「生命や財産を守る。」ことが出来ないのはあまりにも明白なこと。

     悲しいかな、人は いかなることも情報を信じそれによって行動するより他ない。

 

 

 

    

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言われるまま

 

    隣国の大統領が「歴史に向き合って」と言われたら 「いちゃもんつけられた」印象になり メルケル首相に言われると「メルケルは哲人」に見え、ホワイトハウスに言われると「やばい」

     になる。 マスコミ報道の文脈の違いにもよるが、ほとんどはマスコミの言われるまま、人々は判断する。

   

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メルケル首相に見えた日本

どんな小さな島国の人々だって、面積の大小に関係なく「小さな国」とは考えない。

   自国中心に考えるのは自然だし日本が地勢的にも、グローバルに位置づけるのは難しい。

   メルケル首相と安部首相の世界観の違いは?

 

  

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迷子か?

 

 足元も見ず、周囲も見ず、過去にも向き合わず、まして未来など見えるはずはない。

   一体、どこを見てどこに向かって 日本丸は進んでいるのか?  どうも、迷子になったようだから、おまわりさんを呼ばなくちゃ!

     

     

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優先すべきは

 

         連日「安全保障」の話が絶えないが…

         そもそも  ( かもしれない)将来の危機と(目の前の実際の危機)の優先順位は?

     怪我や病気を直してから仕事や勉強をするのが 常識だろう。

    国の安全も同じで、現に国は借金の山を作り 社会はズタズタになり、貧困は子供をも害しているのに、日本はいつか来る(かもしれない)安全のため 軍備を急いでいる。

     為政者も国民も危機管理能力が問われていないか。

      他所の国から見ると、どうだろう?   家族の安否を確認してからお出かけの準備をするのは万国共通。

 

   

  

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受容の認識無くして どうして?

 

     イスラム国のことも川崎のことも 出来事は事実。

       事実として受け入れ(YESやNOの意味以前の事実認識)因果を解明すること無しに 解決したものはない。

      何故解決に向かわない?

       

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ヒトの生体反応

 

      

      昨夜から、「ヒトの生体反応 」の言葉が 頭にちらつく

    大人は お金に反応しても子供に反応しない世相

     今年 100個も実をつけた庭の夏みかんの木 いつか見た 死んだ子供を小脇に抱え何日もすごしたサルの母親のこと

      どこへ行ったか?川崎や福島の話    軍隊の話は 毎日続く  

      ヒトの生体反応は?

     

       

          

        

       

    

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解決の緒にも着かない

 

    川崎の事件とISの顛末を一緒にすると「ミソとクソを一緒にするな!」とお叱りをうけそうだが、感じるものは感じる。

   共に、弱いものの陥りやすい行動であって本質ではないが この事象から 人々が考え学ぶべきものは多いはずだが そうはなっていない。

     整理されないまま 情報が 商業用宣伝と同様に 喧伝されている。 

     

    

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限度を超えてる商業宣伝

 

 

    あちこちが 商業宣伝(コマーシャル)に満ち溢れ、居場所がなくなりそうだ。

   それが、社会生活に欠かせない新聞やテレビを支配し社会の隅々まで覆っているから始末が悪い。スポンサーが出す広告と社会生活に必要な情報が入り乱れ、区別するのは難しい。

    コマーシャルも必要ではあるが、社会の壊れようは その限度を超えているからだろう。

    政治・経済・文化・教育の  全体が商業化した情報の中で動き 結果として情報によって利益を受けるべき人々が 不利益をこうむり 抜け出せずにいる。

    

  

 

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