「前衛ジャズを理解することは前衛ジャズ・ミュージシァンの生活を理解することである。(中略)前衛ジャズメンは生活の総量のほんのわずかしか記録していないし、インサイダー・ジャズメンの方からも、演奏の長時間化という線にそってレコードをはみだしてきている。その典型例がジョン・コルトレーンである。」 9日に亡くなった評論家、平岡正明氏の「ジャズ宣言」の一節で、ジャズ批評誌創刊号に寄せられたものだ。
今となっては67年当時の前衛ジャズという表現は懐かしい響きだが、前衛ジャズがジャズ史に大きな足跡を残し、その後のジャズシーンにも多大な影響を与えることになる。氏はコルトレーンに触れ、「彼は演奏のうえに自己史をもっている。『至上の愛』一枚をもってしても、彼のジャズ的自伝を手に入れることができる。」と。「至上の愛」は承認、決意、追求、賛美の4パートから構成される組曲で、神に捧げた作品だ。66年に来日したとき、記者会見で「10年後のあなたはどんな人間でありたいと思いますか」という質問に対し、「私は聖者になりたい」と答えたというコルトレーンが聖者に近づいた大作である。
「至上の愛」の吹き込みは64年12月で、この年は4月に録音した「クレッセント」とこのアルバムだけしか録音されていない。8箇月の期間をかけてカバラの書物の影響を受けて作曲したといわれる神がかった曲からは、この作品に費やしたエネルギーと、全精力を投入したレギュラー・カルテットの渾身の演奏からも伝わってくる。通常、ジャズ喫茶ではレコードの片面しかかけないが、この作品に限っては両面通してかけるのが常であった。レコード両面に深く刻まれた組曲は、このあと「アセンション」で変転するコルトレーンにとって、プレスティッジ、アトランティック、インパルスに残したそれまでの作品の集大成ともいえるもので、平岡氏の言われる「ジャズ的自伝」という符号に見事に一致するだろう。
平岡氏の著書は、「ジャズより他に神はなし」、「マリリン・モンローはプロパガンダである」、「山口百恵は菩薩である」、「大落語」、最後の作品になった「昭和マンガ家伝説」と多岐に亘っている。前衛は本来、軍事用語で「最前線」の意だが、現状に対して変革を志向し、時代の先端に立とうとするような立場や姿勢のことをいう。100冊を越える著作はどのジャンルに於いても時代の先端を行っていた。享年68歳。合掌。
今となっては67年当時の前衛ジャズという表現は懐かしい響きだが、前衛ジャズがジャズ史に大きな足跡を残し、その後のジャズシーンにも多大な影響を与えることになる。氏はコルトレーンに触れ、「彼は演奏のうえに自己史をもっている。『至上の愛』一枚をもってしても、彼のジャズ的自伝を手に入れることができる。」と。「至上の愛」は承認、決意、追求、賛美の4パートから構成される組曲で、神に捧げた作品だ。66年に来日したとき、記者会見で「10年後のあなたはどんな人間でありたいと思いますか」という質問に対し、「私は聖者になりたい」と答えたというコルトレーンが聖者に近づいた大作である。
「至上の愛」の吹き込みは64年12月で、この年は4月に録音した「クレッセント」とこのアルバムだけしか録音されていない。8箇月の期間をかけてカバラの書物の影響を受けて作曲したといわれる神がかった曲からは、この作品に費やしたエネルギーと、全精力を投入したレギュラー・カルテットの渾身の演奏からも伝わってくる。通常、ジャズ喫茶ではレコードの片面しかかけないが、この作品に限っては両面通してかけるのが常であった。レコード両面に深く刻まれた組曲は、このあと「アセンション」で変転するコルトレーンにとって、プレスティッジ、アトランティック、インパルスに残したそれまでの作品の集大成ともいえるもので、平岡氏の言われる「ジャズ的自伝」という符号に見事に一致するだろう。
平岡氏の著書は、「ジャズより他に神はなし」、「マリリン・モンローはプロパガンダである」、「山口百恵は菩薩である」、「大落語」、最後の作品になった「昭和マンガ家伝説」と多岐に亘っている。前衛は本来、軍事用語で「最前線」の意だが、現状に対して変革を志向し、時代の先端に立とうとするような立場や姿勢のことをいう。100冊を越える著作はどのジャンルに於いても時代の先端を行っていた。享年68歳。合掌。
コルトレーンは多くの作品がありますので、今週はインパルスに限ってお好みのアルバムをお寄せください。
管理人 John Coltrane Impulse Best 3
A Love Supreme
Ballads
Africa / Brass
インパルスだけでも20枚以上の作品があり、平岡正明氏の著書同様、バラードからアヴァンギャルドな作品まで多岐に亘っておりますので、何が挙げられるのか楽しみです。
今週もたくさんのコメントをお待ちしております。
duke様、皆様、こんばんは。
インパルスのトレーンとなると
「至上の愛」
外せない一枚。
「クレッセント」
ナイーマに捧げられたと言われている、ワイズ・ワンは深く、重く、哀しくそれでいて美しい演奏だ。
「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」
高校の時、トレーンの中では一番聴いた一枚。
スピリチュアル、朝日・・・、チェイシン・ザ・トレーン、どれも強く印象に残っている。
新宿のピットインで飛び入り参加した、レジー・ワークマンを聴いたときは本当に衝撃をうけた。彼が参加していることが、このアルバムを聴くきっかけだったと思う。
ところで、至上の愛以降のトレーンは何を目指して何処へ行こうとしていたか・・・。そしてどう評価すべきなのか・・・。若い頃から考えているが未だに結論が出ない・・・。
皆様は至上の愛以降のトレーンについて、どう考えているのか・・・。是非聞かせていただきたいと思っております。
SELFLESSNESS FEATURING MY FAVORITE THINGS
ATLANTICの初演版は世評の高さほど感動しませんでしたが、この「MY FAVORITE THINGS」には感動しました。いまでもこの時期夏本番を迎えると取りだして聴く一枚です。“前衛”の「SELFLESSNESS」もたまに触れるといいものかと…。
LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD
15分間トレーンのテナー洪水を浴び続けるのもひとつの快感と悟った「CHASIN' THE TRANE」と、根っからのハードバップ・ファンとしてはやはり「SOFTLY AS IN A MORNING SUNRISE」が外せません。
A LOVE SUPREME
黄金のカルテット!やはり外せませんね。
以上は私的ターンテーブルにのる回数の多い順でもあります。
この10年、トレーンのインパルス盤は殆ど
聴いていません。
これは、私に書くなというお題?
ま、管理人様の意図はともかく、
記憶ベースでターンテーブルに乗せた回数でいうと、
1)Ballads
2)Coltrane
3)Live At Birdland
でしょうか?
特に1)の Too Young To Go Steady と、
2)の Soul Eyes は、ジャズ聴き始めの頃の
ヘビー・ローテのトラックでした。
どちらも、タイナーの短くもキラリと光るソロが
素晴らしいですね。
この人が、ひとたびリーダーになると何故ああも
つまらなくなるのか(ファンの方御免なさい!)、
とても不思議に思ったものでした。
「至上の愛」を以ってトレーンを語るべし、と云われますが、コルトレーン・ジャズの頂点と思います。「アセンション」以降は賛否両論あり、評価が分かれますが、私はジャズという広義からコルトレーンの独自の世界に突入したものと判断しております。その音楽性を理解するには、「神」の存在をどこまで自身で受け入れることができるかによるでしょう。
「クレッセント」はジャズ喫茶の店名にもありましたが、インパクトが強い作品です。内容よりも中野のジャズ喫茶を想いだし、若い頃の幻想に耽る次第です。(笑)
ヴィレッジ・ヴァンガードも忘れえぬ作品です。スピリチュアルのドルフィーは凄いの一言ですね。正直言ってトレーンは気魄で負けております。いかにドルフィーが素晴らしいプレイヤーであったかの査証でもありますし、互いインスパイアを受けていたことは確かであり、このあとのそれぞれの作品に大きく影響されているのでしょうね。
SELFLESSNESS が挙がりましたね。63年から65年前後はコルトレーンの絶頂期と思いますし、このマイフェバは確かに「マイ」フェバというコルトレーンの曲になっております。
ヴァンガードの延々のソロは聴きものですし、「SOFTLY AS IN A MORNING SUNRISE」は、ハードバップ・ファン、コルトレーン・ファン、そしてフリー・ジャズ・ファンをも唸らせる演奏です。でも、コルトレーンのこの曲を聴いて、「朝日の如くさわやかに」という邦題を付ける人はいないでしょうね。(笑)
冷房のない部屋で汗をかきながら聴くコルトレーン、暖房もおぼつかない寒い部屋で震えながら聴くコルトレーン、どちらも魅力があります。
このお題は、25-25 さん向きではないでしょうが、一度は話題にしたかったトレーンのインパルスです。私も最近はターンテーブルに乗ることはあまりありませんが、平岡氏の一文を思いだし久しぶりに聴きました。
私が挙げたベストは、おそらくジャズ喫茶でサラ回しをしていたころ聴いた回数かもしれません。リクエストが多いアルバムこそベストといえるインパのトレーンと思います。
タイナーはおっしゃるように Too Young To Go Steady、Soul Eyes、そして私が好きなアフリカのグリーン・スリーブス、短いながらいいソロを取っておりますね。
>この人が、ひとたびリーダーになると
コルトレーン・カルテットというなかで成長したピアニストですので、インパ時代リーダーになると萎縮したのでしょう。それだけコルトレーンの呪縛が強かったのでしょうが、それが解かれたマイルストーンのサハラ以降はピアニスト以上に音楽家として大きく飛躍したと思います。
>これは、私に書くなというお題?
次回のタイトル、「バーデン・バーデン・フリー・ジャズ・オーケストラ、及びヨーロッパ・フリー・シーン、或いはジョン・チカイ、そしてニューヨーク・コンテンポラリー・ファイブの幻想性且つ叙情性」・・・(シ刑)
ははは!
あと、
「70年代山下洋輔トリオについての考察」とか、
「阿部薫を偲んで」なんていうお題でも、
私は逃げるしかありません(笑)。
阿部薫をモデルにした若松孝二監督の映画「エンドレス・ワルツ」をご覧になったことがありますでしょうか。これを観ると阿部薫観が変るかもしれませんよ。感想文を書くならタイトルはおそらく「エンドレス・ワルツにみる阿部薫の実像と虚像」でしょうか。