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シンセサイザーは70年代にキース・エマーソンが使用したことからロック界に広がり、いつの間にか音楽界全体に波及した。今ではレコーディングに欠かせない楽器だという。ジャズ界で最初に使ったのは誰なのか分からないが、ジョー・ザヴィヌル、ハービー・ハンコックあたりが魁だろうか。アナログ世代にとって電子加工された音というのは感覚的に受け入れ難く、耳に馴染むのには時間がかかる。
87年のマイケル・ブレッカーの初リーダー作品を聴いたとき、パット・メセニー、ジャック・デジョネット、チャーリー・へイデン等、当時の一流が揃っているのにシンセサイザーの機械化された音のせいか緊張の欠く散漫な印象を受けた。そのサウンド、アルバム全体は80年代の先端であり、全米ジャズチャートで19週連続一位を記録したのも肯ける。ジャズの新しい方向性を示唆した所謂新主流派の代表的な音なのだろうが、一時的に売れたものはブームで終わるきらいがある。ジャズはベストセラーよりロングセラーの作品こそが評価に値する。
そんなブレッカーに対する評価を大きく変えたのは01年のマッセイ・ホールのライブ盤だった。ハンコック、ロイ・ハーグローヴと組んだセッションでマイルス・デイヴィスとジョン・コルトレーンにちなんだ曲を演奏している。マッセイ・ホールといえば53年にチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー等バップ・ジャイアンツが歴史的なセッションを行った場所である。ブレッカーも一段と熱が入ったのであろうか、気魄あるソロが随所に聴かれ今までのイメージを払拭した。アレンジは今様だが、フレーズは伝統に則ったもので、実力のあるブレッカーのアコースティックなジャズは、新主流派から新を消し去った内容に仕上がっている。
13日にブレッカーが白血病のため亡くなった。グラミー賞11回、日本人アーティストとも共演が多く、参加作品は1000枚以上ともいわれる。ジャズロックと呼ばれたブレッカー・ブラザーズ時代から今日に至るまで多くのジャズファンを増やした違いない。57歳という早すぎる死が惜しまれる。ご冥福をお祈りします。
87年のマイケル・ブレッカーの初リーダー作品を聴いたとき、パット・メセニー、ジャック・デジョネット、チャーリー・へイデン等、当時の一流が揃っているのにシンセサイザーの機械化された音のせいか緊張の欠く散漫な印象を受けた。そのサウンド、アルバム全体は80年代の先端であり、全米ジャズチャートで19週連続一位を記録したのも肯ける。ジャズの新しい方向性を示唆した所謂新主流派の代表的な音なのだろうが、一時的に売れたものはブームで終わるきらいがある。ジャズはベストセラーよりロングセラーの作品こそが評価に値する。
そんなブレッカーに対する評価を大きく変えたのは01年のマッセイ・ホールのライブ盤だった。ハンコック、ロイ・ハーグローヴと組んだセッションでマイルス・デイヴィスとジョン・コルトレーンにちなんだ曲を演奏している。マッセイ・ホールといえば53年にチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー等バップ・ジャイアンツが歴史的なセッションを行った場所である。ブレッカーも一段と熱が入ったのであろうか、気魄あるソロが随所に聴かれ今までのイメージを払拭した。アレンジは今様だが、フレーズは伝統に則ったもので、実力のあるブレッカーのアコースティックなジャズは、新主流派から新を消し去った内容に仕上がっている。
13日にブレッカーが白血病のため亡くなった。グラミー賞11回、日本人アーティストとも共演が多く、参加作品は1000枚以上ともいわれる。ジャズロックと呼ばれたブレッカー・ブラザーズ時代から今日に至るまで多くのジャズファンを増やした違いない。57歳という早すぎる死が惜しまれる。ご冥福をお祈りします。
ブレッカー、そして時を同じくしてアリス・コルトレーンと訃報が続き、ジャズ界も鬼籍に入るビッグネイムが増えてきました。ライブに接することはできませんが、遺されたアルバムで何時でも、何度でも聴けることは幸せなことであります。
記事にありますようにマイケル・ブレッカーは数枚しか聴いておりませんのでベスト企画はできませんが、ブレッカー・ファンのご意見をお待ちしております。また、記事の内容に関わらず今週も沢山のコメントをお寄せください。
先週も書店「ヴィレッジ・ヴァンガード」及びジュニア・マンスの紹介ありがとうございました。そういう本屋とは初めて知りました。ジュニア・マンスも好きなピアニストです。が常連の皆様の知識に圧倒され、書き込みできませんでした。今年また[100 GOLD FINGERS ]がありますが、久しぶり行こうかな。
さてマイケル・ブレッカーですが、僕はフュージョンも好きでしたので、ブレッカー・ブラザース及びステップス・アヘッド[マイケル+マイク・マイニエリ(vib)ドン・グロルニック(p)、エディ・ゴメス(b)、スティーヴ・ガット(dr)]もよく聴いてました。
ソロは『ニアネス・オブ・ユー:ザ・バラード・ブック』が好きです。最後の曲は彼が尊敬してるコルトレーンの「セイ・イット」を吹いてます。あと『ワイド・アングルズ』の最後の曲の無伴奏ソロ「モンクス・ムード」も素敵です。
ブレッカー・ブラザーズ、ステップス・アヘッドはフュージョンの典型でしょうか。ジャズ、ロック、ファンクをミックスしたクロスオーバーはノリで聴くぶんには楽しいのですが、鑑賞用とはいかずレコード棚の奥に眠ったままです。「ニアネス・オブ・ユー」はコルトレーンを意識しているのでしょうか、フュージョンのブレッカーとは思えないバラードで聴かせます。「セイ・イット」は日本盤だけのボーナス・トラックというのがいかにもという感じですね。
書店「ヴィレッジ・ヴァンガード」は京都にもありますので是非寄ってください。フュージョン志向の店で、思考がクロスオーバーします。(笑)
>今年また[100 GOLD FINGERS ]があります
問い 10台のピアノを何人で調律するのでしょうか
答え 10 GOLD TUNERS
ジャズメンの訃報が続き、少々落ち込んでいます。
マイケル・ブレッカーは、至上の愛以前のトレーンのやっていた事を発展させようとしていたのではと思っています。
でも道半ばで倒れてしまいました。円熟の境地に達するまで見届けたかったのに残念です。
私も「ライヴ・アット・マッセイホール」は気に入っています。ライブに強いマイケルの実力を示していると思います。
後は、トレーンの「バラード」と「アンド・ジョニー・ハートマン」を意識して作ったと思われる「ニアネス・オブ・ユー」も好きです。もう少し枯れた味が出ていればもっと良いのですが・・・。
意外なところでは、ホレス・シルバーの「ザ・ハードバップ・グランドポップ」。これは単純に楽しめるアルバムです。
でも本当に早すぎる死ですね。
合掌
CDよりむしろ生を聴いた方が多いかもしれない。
夜な夜な、今は無い旧ボディーアンドソウルで飛び入りで吹いていたブレッカーの音が耳に残っている。
これからもっと聴きたい人だった。残念です。
合掌
昨年1月は本田竹広さんの訃報記事、今年もまた1月にこの記事になってしまいました。遺されたアルバムで在りし日の姿を思い浮かべるのはつらいものです。
シルバーで復帰したシルバーの「ザ・ハードバップ・グランドポップ」は私も聴きました。シルバーらしい内容で楽しめましたね。これを聴くとシルバーとブレッカーの音楽性が似ていることに気付きます。ブレッカーがシルバーのグループに加わっていたら、ブレッカーの方向性もまた違ったものになっていたかもしれません。ランディが2作ほどシルバーのグループで吹いておりますが、これもなかなかのものでした。
政界では40、50は洟垂れ小僧といいます。高齢化社会ですのでジャズ界も同じことがいえます。豊富な音楽体験から円熟するのですから57歳は早すぎました。
森山良子さんとブレッカーの米ブルーノート共演はNHKテレビで放映され観ましたが、ブレッカーのサポートの上手さに驚きました。私は森山さんのフォークは好きですが、あの美しい声はジャズには向いていませんね。声楽家のバーバラ・ヘンドリックスとモンティ・アレキサンダーのモントルー・ライブ盤があります。「エリントンに捧ぐ」というタイトルでしたので、エリントン・ファンの私は即買いしましたが、ジャズになっておらんのですよ。発声法の違いと声質によるものでしょうが、ジャズに不向きな声があることを知りました。やっぱりジャズは優等生ではなく不良でなければ表現できないのでしょう。聴く私は勿論不良中年です。
私はブレッカー・ブラザーズから聴いておりますが、この時はロックバンドだと決めつけていました。ステップス・アヘッドは、あぁフュージョンか、ブレッカーは何者かと思いましたよ。ようやく正体が見えたのは「ニアネス・オブ・ユー」のややコルトレーンに近いスタイルからでしょうか。ジャズロックにせよ、フュージョンにせよ、ブレッカーから聴きだして本格的にジャズを聴いた方は多いはずです。ジャズファンを増やした功績は大きいですね。
生で聴けなかったのは残念です。
マイケル・ブレッカー。
僕は、彼のリーダー作というと、
「Two Block From The Edge」しか、知りません。
それとて、友人からいただいたCD-○です。
あれだけ吹けるんだから、真正ジャズをもう少し
やってほしかったな、というのが偽らざる心境です。
ストレート・アヘッドなものでお薦めを
教えてください。