ビートルズやヴェンチャーズに夢中だった中学生のころ毎月買っていた音楽誌に「ミュージック・ライフ」がある。当時はエレキ全盛の時代で、書店には娯楽雑誌「平凡」と並んで堆く積まれていた。その横に僅かな部数がひっそりと置かれ、それでいて威光を放っていたのが「スイングジャーナル」だった。それがジャズの専門誌であることを知っていたが、表紙からしてスノビッシュで、手に取ることすら畏れ多い。
その「スイングジャーナル」が今年の7月号で休刊した。創刊は昭和22年というからその歴史は63年の長きに及ぶ。日本語版ダウンビート、ジャズ・マガジン、ジャズ・ランド等、次から次へと創刊され廃刊を余儀なくされたジャズ誌の変遷を見ても、63年に亘ってジャズを普及し啓蒙した功績は計り知れない。60年代に多くのジャズメンが来日し、蕎麦屋の出前の兄ちゃんがモーニンを口ずさんでいたという伝説もあるファンキーブームが訪れたころ部数を伸ばし、その数は30万部に及んだ。当時一番売れた雑誌「平凡」の最高部数が140万部という数字からみても、いかに多くのジャズファンに愛されていたのかがわかる。
ジャズを聴きだしたころ隅から隅まで読み、日本ばかりか世界中のジャズの話題と新譜の情報を知った方もおられるだろう。ディスク・レビューを指針に聴きたい作品を選び、買うアルバムを決め、ライブ案内をたよりに生の演奏に接することもできた。最近はネットで新譜を初めライブやジャズ情報がいち早く伝わることもあり、音楽誌そのものの存在価値や意義の希薄性が問われる出版事情だが、ネット媒体では知りえないジャズ情報が詰まっているのも「スイングジャーナル」である。音自体もCD店で簡単に試聴でき、レコードとオーディオ業界の低迷による広告収入は減るばかりだが、一日も早い復刊を望みたい。
表紙のジャッキー・マクリーンが眩しい写真は66年の7月号である。この号から休刊号まで一冊も欠かさず44年間読み続けた「スイングジャーナル」は、増刊号を入れると600冊を越えるが、本棚からあふれ、置き場所に追われても処分はできない。それは一生をともにするジャズのバイブルだから・・・初めてそのジャズ専門誌を書店のレジに持っていく少年は少しばかり大人の世界に触れた様な気がして、得意げだった。
その「スイングジャーナル」が今年の7月号で休刊した。創刊は昭和22年というからその歴史は63年の長きに及ぶ。日本語版ダウンビート、ジャズ・マガジン、ジャズ・ランド等、次から次へと創刊され廃刊を余儀なくされたジャズ誌の変遷を見ても、63年に亘ってジャズを普及し啓蒙した功績は計り知れない。60年代に多くのジャズメンが来日し、蕎麦屋の出前の兄ちゃんがモーニンを口ずさんでいたという伝説もあるファンキーブームが訪れたころ部数を伸ばし、その数は30万部に及んだ。当時一番売れた雑誌「平凡」の最高部数が140万部という数字からみても、いかに多くのジャズファンに愛されていたのかがわかる。
ジャズを聴きだしたころ隅から隅まで読み、日本ばかりか世界中のジャズの話題と新譜の情報を知った方もおられるだろう。ディスク・レビューを指針に聴きたい作品を選び、買うアルバムを決め、ライブ案内をたよりに生の演奏に接することもできた。最近はネットで新譜を初めライブやジャズ情報がいち早く伝わることもあり、音楽誌そのものの存在価値や意義の希薄性が問われる出版事情だが、ネット媒体では知りえないジャズ情報が詰まっているのも「スイングジャーナル」である。音自体もCD店で簡単に試聴でき、レコードとオーディオ業界の低迷による広告収入は減るばかりだが、一日も早い復刊を望みたい。
表紙のジャッキー・マクリーンが眩しい写真は66年の7月号である。この号から休刊号まで一冊も欠かさず44年間読み続けた「スイングジャーナル」は、増刊号を入れると600冊を越えるが、本棚からあふれ、置き場所に追われても処分はできない。それは一生をともにするジャズのバイブルだから・・・初めてそのジャズ専門誌を書店のレジに持っていく少年は少しばかり大人の世界に触れた様な気がして、得意げだった。
66年に3歳でしたか。私はこのころからジャズのとりこになりましたが、スイング・シャーナルで学びました。何を聴いても、読んでも新鮮だったあの頃が懐かしいですね。
高価なオウディオ、綺羅星のごとく紹介されるレコードやライブ情報は、まさにオトナの世界を感じました。
ジャズを聴いた方なら一度は愛読したスイングジャーナルです。隅から隅まで読んだ青春を思い出された人もいるでしょう。今こうして多くの名演に巡り会えたのもスイングジャーナルのおかげです。
いつもなら書店にスイングジャーナルの8月号が並んでいる時期ですが、ないのはやはり寂しいですね。
8月28日に第一号が刊行予定の新星「Jazz Japan」に期待しましょう。
66年以前のバックナンバーも古書店で見つけたときは買いました。薄くて角が曲がり、ザラ紙が焼けたページにもジャズのエッセンスが詰まっておりました。たまに開いてみるとプ~ンと臭う古本臭も懐かしいですね。
広告を取らなければ出版は難しい時代ですし、広告が載っているアルバムは酷評できません。広告と批評は音楽誌にいつも付きまとう問題です。「Jazz Japan」のコンセプトは創刊号を見なければわかりませんが、広告と批評のバランスを取ってほしいですね。長く続くことを願うばかりです。
SSJレーベルの「So in Love」はテッド・ローゼンタールですね。まだ購入しておりませんが、SHIN さんがご推薦されのでしたら外れはないでしょう。早速、オーダーしましょう。
鹿内さんともお知り合いでしたか。「情熱」は好きな曲でしてシングル盤も持っておりますが、ジャズを歌っているのは知りませんでした。「Weekend」のLPを聴いて初めて知った次第です。拙ブログでも話題にしたい作品です。あっ、毎週日曜日アップですので週末は無理かなぁ。(笑)
薄野はときどき出かけますが、青洲園という焼肉屋は知りませんね。SHIN さんが札幌にいらっしゃるまでに探しておきます。
鹿内さんと来たもんで・・つい。
「Weekend」はサイン入りでカセットで鹿内さんに頂きまして今でも大事に・・。
実はその録音現場やジャケット撮影現場に居たもので、丸の内の第一生命ビルを背景にね。
鹿内さんは、一時ジャズクラブでジャズを歌っていました。1983,4年の頃で、私の盟友、大隅寿男トリオが生のバックの常でした。
タビにも出張にかこつけて動向したことがあります。札幌では京王プラザホテルでショーと放送を行い、終了後、青洲園とかいうタン塩の美味しいという焼肉屋へ連れていってもらった記憶があります。
私と同じ腰痛もちで、ある時会社に電話があり、ギックリ腰で立てない、明日忍者の役があるので良いペインクリニックを紹介してと、私の話しが記憶にあったのでしょう・・早速紹介して翌日忍者をやったとか・・・
鹿内さん・・・思わず懐かしくなりました。
彼の「Yesterdays」が好きです。
最初に手に取ったのは1961年のことだった。教室に友人が持って来て、休み時間に見た、そして借りた・・・爾来、毎号授業中に読むことが通例になった。中学2年からだ・・。
私が生まれた時昭和22年に創刊された、最初は「スイング・ジャーナル」とは言わず「ダンスとスイング」という4ページ程のものだった。
途中で題名も変わり、編集のコンセプトも変わった・・。
その経過におけるエピソードは皆さんが書かれたとおりだ。
しかし、Dukeさんの600冊は44年分ですか・・・よくもまあ、保存してあったものですね。
別冊もありましたからね。
確かに最初はバイブルだった、しかし私はバイブルを切り取ってスクラップブックにしてました。
月刊誌は1年分とっておき、重要な部分をスクラップに・・・そして破棄、ミュージシャン別のディスコグラフィーなどはファイルしてあります。
それから別冊が結構データファイルとして有効でこれは取って置いてあります。
でも、ですねぇ・・・最近は本当に立ち読みでも充分なくらいで・・・読み物が無い、下らないジャズ喫茶のオヤジが幅を利かせてきたのも質の低下に繫がっていますね。
何しろ、相倉久人さんがSJ誌を見限ったあたりで私も一線を引き、ジャズ批評に軸足を移しました。
なにしろ、商業主義を嫌うジャズが、その商業主義そのものの路線で編集を始めたら行く末は明白でしたね。
薄くていい、ザラ紙でいい、カラー写真はもったいない・・・しっかり現場でインタビューをして、生の声を活字にして、レコード評も掛け値なしで思うがまま、感じるがままを記載して、星の数など気にせず掲載したらよかった。
30万部まで行ったとか・・・今じゃ本当は8000部だったとか・・・8000部でいいんですよ、8000部で成り立つような雑誌にすれば・・・宣伝、広告は、レコード会社からは受けない・・ソレが基本でしょうね。
今度、最後の編集長の三森氏がJJを出すことは先般裏情報で知ってはいましたが・・・これもコンセプトが大事ですね、編集方針の軸がぶれないように、それを祈っています。
三ちゃんが、私は生産者側だから書かないって・・賢明です。
(今月出た、SSJレーベルの「So in love」は良いですよ、私が推薦します。)
因みにレコード新譜情報は不要、CDジャーナルというサイトでネットを見ればリアルタイムで新譜情報は出ています、解説が無いので見やすくそれで充分です。
SJ社も後継者が創業者ほど情熱が無いとなれば・・復活は無理でしょう。
しかし、SJ社の倉庫に眠る膨大な記録、写真などのデータベースは数億円の価値があるでしょうね。
どこか、日本版スミソニアン博物館でもあれば寄贈して保管すべきデータです。
散逸しないことを祈るものです。
何しろ、SJ誌の最終号は悲惨だった、読むところが無い・・・普通なら買わないが、最後だと思って記念に買った次第です。
一体、何処に行ってしまったのでしょうか・・・あのザラ紙精神は・・・残念ですね。
ラジオで聴かれた鹿内さんが歌うスタンダードはおそらく「Weekend」からでしょう。渋いアルバムですが、情熱のような熱さもあります。
新倉美子さんや岡江久美子さん、ナンシー梅木さんは話題にしたいですね。美女の順ではありません。(笑)
電子書籍の普及により紙媒体の将来は以前から危惧されておりますね。確かにネット媒体は手軽ですが、紙の肌触りやページを捲る感触、それに手にしたときの重量感は本でしか味わえないものです。場所をとってもスイングジャーナルが本棚に年代別に順序よく並んでいるのを見るだけで快感を覚えます。レコードは聴くためだけではなく、本も読むためだけに買うものではない、が持論です。大量のジャーナルを愛おしそうに眺めていると、カミさんに私と本とどちらが大事なのかしら、と聞かれますが、返事に躊躇します。(笑)
Jazz Japan もスイングジャーナル同様、歴史を刻んでほしいですね。
でもその後あまり活躍は聞きません。あるときお姉さまに遭遇したことがありますが、「あまり欲がないので」とおっしゃっていました。
男性シンガーは少ないので、がんばってほしいのですが。
女性(岡江久美子さんとか)はDukeさんにお任せします。
数年前から、懇意にしている新聞記者や通信社の記者などから紙媒体の将来はないという嘆きをよく聞くようになりました。それに加えて、CDの販売が振るわないとなると、やむを得ない結末かもしれません。
現在は、喫茶店などで読むのを除くと、立ち読みして気になった「ジャズ批評誌」を買う程度です。新譜情報は、販売店のサイトなどで十分ですが、自分の好みに特化しつつあり、全般的な視野は狭くなったという気がします。新しいjazz japanの誌面作りが楽しみです。
一般的な記事でご依頼があれば One Shot Wonder のヴォーカリスト紹介でしょうか。「Jazz Japan」にちなんで日本の隠れたジャズアルバムも面白いかもしれません。岡江久美子さんの「Yes, I Feel」とか、鹿内孝さんの「Weekend」はどうでしょう。私、岡江久美子さんの隠れファンです。(笑)
<三具さんのヴォーカル評が掲載されるのを楽しみにしております。>
私、いまやヴォーカルを中心にCDをリリースしていますから(レコード会社、つまり業界内)、アルバムのレビュー依頼は来ないでしょうし、受けるのはまずいと思っています。
もし仮に依頼があった場合ですが、一般的な記事で、ヴォーカル、ヴォーカリスト紹介はありでしょうが。
やはり貴店でも話題になっておりますか。ジャズを聴いた人なら一度は読んだスイングジャーナルですので休刊は様々な思いがあるでしょう。
私も毎月買っていたとはいえ若い頃のように隅から隅までは読まなくなりました。広告に比例する過大評価がパターン化されたこともありますし、瞠目する新作が減ったからです。一作ごとに注目させるプレイヤーの出現を待ちたいですね。
当時の批評家ではコルトレーン評が際立っていた立花実氏と、粋な久保田高司氏の評は熱心に読んでおりました。
今ネット検索しましたら、産経ニュースの発表が、2010.7.18 02:00 ですので、世界で2番目に早い情報ですね。初めて知りました。
休刊は事実上の廃刊ですから、新星「Jazz Japan」に期待です。三具さんのヴォーカル評が掲載されるのを楽しみにしております。
スイングジャーナル休刊は、私の店でも話題になっています。
皆様が仰っているのは・・・若い頃は毎月買っていた・・・時々買うようになった・・・立ち読みになった・・・立ち読みすらしなくなった。こんなパターンが多いようです。
昔のスイングジャーナルが面白かったのは、気骨のある批評家(論客)が多かったからだと思っております。
野口久光氏、油井正一氏、相倉久人氏、植草甚一氏、大橋巨泉氏、本田俊之氏、岩浪洋三氏等・・・懐かしい名前です。
とはいえ、実際には復刊に向けての動きもあるようですが、実現には問題が山積しているようです。
で、朗報。メールにてご挨拶が着ましたので、ここに書いても問題はないでしょう。
SJ誌最後の編集長三森隆文氏を中心に、最後の編集陣が中心となってまったく新たなジャズ誌が創刊されます。名づけて Jazz Japan。8月28日に第一号が刊行の予定です。期待しましょう。
70年代の前半はジャズシーンも多様化し、リアルタイムで聴いたジャズでは最も面白い時代でした。私はマイルスやハンコックの方向には否定的でしたが、それでも新作を待ちわびたものです。一方でヨーロッパフリーや日本のジャズも盛んで新譜情報が楽しみなスイングジャーナルでした。
70年代前半のジャーナルは歳を追うごとに厚さが増した時期です。レコード会社もオーディオ業界も活況で広告を載せたのでしょう。この時期から広告の雑誌だと陰口を叩かれましたが、その広告も今となっては貴重なものです。
60年代後半は表紙も洒落れたものが多かったですね。過去のプレイヤーを引っ張り出す最近の表紙からはジャズの衰退を窺えました。復刊できるようシーンの活況を願うものです。
ビッチェズ・ブリュー。リターン・トゥー・フォー・エヴァー,ウエザー・リポート、ハービー・ハンコックのヘッド・ハンターズが席巻しておりましたが、ハードバップリバイバルもあり、コブルストーンのソニー・スティットの「チューン・ナップ」等にも痺れておりました。口絵写真や表紙写真のクオリティーの高さも印象的でした。好きな写真家は、内藤忠行。有原隆、ジュゼッぺGピーノというフランス人カメラマンの素粒子プリントが、特に好きでした。レイ・ブライアントのモントルーのライブのジャケも彼の作品です。すいません!長くなっちゃいました。想い出いっぱいのスイングジャーナルです。ボクは、残念ながら引っ越しの時に、涙をのんで全て処分してしまいました。dukeさんの「一生を友にするジャズのバイブル」と言うお言葉、さすがです。重いなあ!(笑)
スイングジャーナルを読んで、児山編集長の担当のときのNHK FMのジャズフラッシュ(新譜特集やジャズフェスの特集)を聴くのが、当時最高に嬉しい喜びの時間でした!
bob さんが購読をはじめた70年代初頭は、ビッチェズ・ブリューの影響もありジャズの流れが変わった時期です。スイングジャーナルも批評家陣が揃っていて論争は面白かったですね。
オーディオ記事は、私の師の岩崎千明氏が健筆を奮っていたころで続々発売される新機種に目を輝かせたものです。
この600冊が引越しの際、一番重かったものです。(笑)
おっしゃるようにいつの時代にもビギナーがいるのですが、最近のビギナーは音楽誌よりネットを頼りにしているようです。形に残るジャズ情報も大事にしたいですね。
ビギナーからマニアまでカバーしてくれた手引書でした。
高校生の頃で、それこそ隅から隅まで読んだものでした。オーディオ記事も参考になりましたね。ジャズを聴くならオーディオも充実させなければ、なんて感じで「新しい世界」に引きこまれていきました。
とにかくすべての記事が初心者にとってはジャズへの道しるべで、毎月20日の発売日を楽しみにしていました。また、古本屋でバックナンバーを買いあさったのも思い出です。
600冊を超えるバックナンバー!すごいです。
休刊は時代の流れで致し方ないのでしょうが、やはり寂しいですね。
いつの時代にもビギナーがいるのですから…。
録音前から決まるゴールド・ディスク、原盤の価格を高騰させた「幻の名盤読本」等、批判もあったスイングジャーナルですが、ジャズ界のリーダーシップを担ってきたのは間違いありません。ジャズを聴きだした中学生から今日まで毎月発売されるのが日常化しておりましたので、いざ書店に並ばないとなると一抹の寂しさがあります。
今週はスイングジャーナルというジャズ誌との付き合い、休刊のご感想をお寄せください。
今週はベスト企画はありませんが、現在刊行継続中を含め、多くのジャズ誌のなかではスイングジャーナルをベスト1に選びます。
皆様のコメントをお待ちしております。