ジョン・ル・カレの原作については6月に書いている。
http://moon.ap.teacup.com/applet/chijin/200606/archive?b=5
ストーリーはほぼ原作の通り。
英国外務省一等書記官ジャスティン役のレイフ・ファインズは好演だったが、もう少し老境に入ったジャスティンにしてほしかった。ジャスティンが老境であることが、この映画にリアリティと奥行きを与えるのに、どうしても必要だと思うからだ。
なぜ妻のテッサは夫のジャスティンを自分の「仕事」に巻き込まないことで、「守りたかった」のか。そこにテッサの成熟した人間観がみえる。ただの直情径行の理想主義者ではないのだ。テッサはアフリカ人を使った「援助」という名目の人体実験に等しい治験によって莫大な利益を上げる世界的な製薬企業を告発しようとしているのに対し、ジャスティンは庭いじりに熱中しているとしても、テッサはけっしてジャスティンに苛立つことはない。自らの正しさを夫に押しつけないという、見方を変えれば上からの視線ではなく、自分と違う夫の正しさを信じて尊重している。「THE CONSTANT GARDENER(原題)」である夫を「守りたい」と思っている。ヒロインを安全な場所に残して危地に赴くヒーローを男女裏返したのでもなく、対等な関係だからこそ、保護するのではなく「守りたい」のだろう。なぜなら、ジャスティンとは老成したイギリスそのものだからだ。
少し先走ったが、そのまま続ける。愛があれば年の差なんて、人種も国籍も関係ないわ、という人間だテッサは。しかし、ジャスティンはイギリスを代表する外交官というだけでなく、よきイギリス人たろうとするイギリス人なのだ。ジャスティンの人格においてイギリス人という属性は大きい。優しいとか私を愛してくれるとかの二人の関係性にとどまらず、イギリスへの愛国心や忠誠心を分かちがたいジャスティンの人格として認め、テッサは愛した。そのテッサはイタリア人だが、新しいイギリス人、つまり若い世代を重ねているように思える。闊達に振る舞い、注意深く観察し、機会があれば率直に思うところを相手かまわずぶつけていくテッサ。もちろん、ジャスティンもジャスティンなりにテッサを守る気でいるし、守ろうとする。そして、「君の身体が心配だから、仕事を止めてほしい」とテッサに頼む。テッサの「仕事」を知らないのに。テッサはいう。「仕事を止めたら私ではなくなる」。ここに、ジャスティンとテッサの愛の違いがある。テッサが謀殺されたことで真相解明に乗り出したジャスティンは、はじめてテッサの「仕事」を知り、テッサの愛に比べ自分の愛が小さなものであったことに気づき、テッサと同等の深い愛をテッサに抱くようになっていく。愛し合って結婚した夫婦が、死別することで、さらにその愛を深めていく恋愛映画なのだ。
テッサとの美しい想い出を抱きながら、テッサの怒りと悲しみの軌跡を巡礼のように辿るジャスティン。その懺悔と悲哀は老境のイギリス人にこそふさわしい。若いテッサのひたむきな告発に同心するのが初老の外交官であってこそ、告発の現実味と是正への希望がある。直截な告発を恋愛が補強した稀有な社会派映画といえる。ここにも、「守り-守られる」関係がある。ただし、テッサ役のレイチェル・ワイズ。これでアカデミー助演女優賞を得たそうだが、まったく魅力に乏しかった。やはり、ダイアナ妃をイメージする女優にしてほしかった。アカデミー賞受賞は、この直截な告発映画へ同心したわけではないが、理解を示したというアリバイづくりだったかもしれない。優れた作品は、現実を動かすのだ。それから、原作では俗物として魅力的だったサンディ・ウッドロウに深みがないのは残念、2時間しか時間がない映画としてはしかたがないか。
http://moon.ap.teacup.com/applet/chijin/200606/archive?b=5
ストーリーはほぼ原作の通り。
英国外務省一等書記官ジャスティン役のレイフ・ファインズは好演だったが、もう少し老境に入ったジャスティンにしてほしかった。ジャスティンが老境であることが、この映画にリアリティと奥行きを与えるのに、どうしても必要だと思うからだ。
なぜ妻のテッサは夫のジャスティンを自分の「仕事」に巻き込まないことで、「守りたかった」のか。そこにテッサの成熟した人間観がみえる。ただの直情径行の理想主義者ではないのだ。テッサはアフリカ人を使った「援助」という名目の人体実験に等しい治験によって莫大な利益を上げる世界的な製薬企業を告発しようとしているのに対し、ジャスティンは庭いじりに熱中しているとしても、テッサはけっしてジャスティンに苛立つことはない。自らの正しさを夫に押しつけないという、見方を変えれば上からの視線ではなく、自分と違う夫の正しさを信じて尊重している。「THE CONSTANT GARDENER(原題)」である夫を「守りたい」と思っている。ヒロインを安全な場所に残して危地に赴くヒーローを男女裏返したのでもなく、対等な関係だからこそ、保護するのではなく「守りたい」のだろう。なぜなら、ジャスティンとは老成したイギリスそのものだからだ。
少し先走ったが、そのまま続ける。愛があれば年の差なんて、人種も国籍も関係ないわ、という人間だテッサは。しかし、ジャスティンはイギリスを代表する外交官というだけでなく、よきイギリス人たろうとするイギリス人なのだ。ジャスティンの人格においてイギリス人という属性は大きい。優しいとか私を愛してくれるとかの二人の関係性にとどまらず、イギリスへの愛国心や忠誠心を分かちがたいジャスティンの人格として認め、テッサは愛した。そのテッサはイタリア人だが、新しいイギリス人、つまり若い世代を重ねているように思える。闊達に振る舞い、注意深く観察し、機会があれば率直に思うところを相手かまわずぶつけていくテッサ。もちろん、ジャスティンもジャスティンなりにテッサを守る気でいるし、守ろうとする。そして、「君の身体が心配だから、仕事を止めてほしい」とテッサに頼む。テッサの「仕事」を知らないのに。テッサはいう。「仕事を止めたら私ではなくなる」。ここに、ジャスティンとテッサの愛の違いがある。テッサが謀殺されたことで真相解明に乗り出したジャスティンは、はじめてテッサの「仕事」を知り、テッサの愛に比べ自分の愛が小さなものであったことに気づき、テッサと同等の深い愛をテッサに抱くようになっていく。愛し合って結婚した夫婦が、死別することで、さらにその愛を深めていく恋愛映画なのだ。
テッサとの美しい想い出を抱きながら、テッサの怒りと悲しみの軌跡を巡礼のように辿るジャスティン。その懺悔と悲哀は老境のイギリス人にこそふさわしい。若いテッサのひたむきな告発に同心するのが初老の外交官であってこそ、告発の現実味と是正への希望がある。直截な告発を恋愛が補強した稀有な社会派映画といえる。ここにも、「守り-守られる」関係がある。ただし、テッサ役のレイチェル・ワイズ。これでアカデミー助演女優賞を得たそうだが、まったく魅力に乏しかった。やはり、ダイアナ妃をイメージする女優にしてほしかった。アカデミー賞受賞は、この直截な告発映画へ同心したわけではないが、理解を示したというアリバイづくりだったかもしれない。優れた作品は、現実を動かすのだ。それから、原作では俗物として魅力的だったサンディ・ウッドロウに深みがないのは残念、2時間しか時間がない映画としてはしかたがないか。