コタツ評論

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キスオブドラゴン

2006-11-30 00:57:16 | ノンジャンル
レンタルDVDではなく、昨夜東京12chで放映。
フランスのリュック・ベンソン監督作品。自国の社会状況や歴史、文化、風土、民俗とまったく関係ない荒唐無稽な映画をつくる点において、リュック・ベンソン作品は一部の韓国映画とよく似ている。リュック・ベンソンがアメコミ風であるに対し、一部の韓国映画はハリウッド風であるくらいの違いか。仏韓とも映画産業振興に助成金が出るようになって、こうした世界市場で売るための「弊害」が生まれたように思う。彼ら「弊害」映画人の世界性とは、結局マンガのことであるらしい。

マンガのどこが悪い、と人一倍いいたいほうだが、とりあえず、程度の低いマンガとしか、彼らの映画を思えないのだ。しかし、スポンサードや監督・プロデューサーがどうあろうと、ジェット・リーの哀愁のまなざしだけで、程度の低いマンガにとどまらないのが映画のおもしろさ。ジェット・リ一はもしかすると、いまの映画界では最高のアクションスターではないか。リュック・ベンソンは自分のマンガにジェット・リ一を必要としたのではなく、ジェット・リ一へのオマージュとしてこの作品を企画したのかもしれない。いや、そんなわけはないな。どう観たって、この映画はジェット・リ一におんぶにだっこだ。

ジェット・リ一の不幸は、よい意味でスター映画をつくる監督が不在な時代に遅れて出てきたスターだったことだ。名優モーガン・フリーマンと共演した「ダニー・ザ・ドッグ」も、中国香港合作の「英雄 HERO」でも、ジェット・リ一の魅力が生かされたとは言い難い。彼の香港映画時代をほとんど知らないが、代表作のない大スターのような悲哀がつきまとっているように思われる。たとえば、ジェット・リ一が本物の武術家のせいか、たいていの敵役がかすんでしまう。パンチや蹴りの速さと切れが違いすぎるのだ。ジェット・リ一に対峙するとすれば、K1のレミー・ボンヤスキーか、プライドのシウバやノゲイラくらいしか思いつかないが、彼らは演技者ではないからこれも無理だ。

孤高のアクションスターであるジェット・リ一は、これからも雷雨のように拳を連打し疾風のような蹴りを旋回し続け、世界の少年少女の胸奥深くに、そのキュートな笑顔と哀しみに濡れた黒い瞳を残していくだろう。アカデミー賞やカンヌ映画祭にまったく関係ない、正統な映画ファンに愛された映画スターとして永く記憶されるだろう。歌の世界のテレサ・テンのように。
コメント
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