岩橋由莉さんはコミュニケーション・アーツと名づけて活動をしておられます。私は自分のやっていることをコミュニケーション・アーツと思っていなかったこともあって、ぜんぜん由莉さんの存在を知らなかったのです。今年3月のドラマセラピー・フェスティバルで出会うまでは。
でも実際にワークショップに参加させてもらうと、私のやっていること、やりたいことと「かなり近いな」と思ったわけです。
即興劇と言っても、ひとつの手法を大事にしているグループ(例えば、プレイバック・シアター、インプロ〈=これは一つの手法と言って良いのだろうか・・・?〉、フォーラムシアター〈これも手法は一つではないらしい〉、サイコドラマ など)と、ある目的やねらいのためにいろいろなドラマワークを取り入れたやり方をしているグループがあります。私は「学びの即興劇」と名づけて、ひとつの手法をとっているようでありますが、実はこれは「こうすれば簡単でしょ」と始めの一歩を提案しているだけで、基本は目的のために一番よい方法を使えば良いと思っているわけです。
ドラマ教育とかドラマセラピーと称している人たちは、何かの手法にこだわらず、その都度必要と思う手法を選んでいるように思います。
由莉さんも、何かの手法にこだわっているわけではなく、いろいろな経験の中から、目的のために手法を選んで実施してる。もちろん好きな手法や得意な手法はあるでしょうけれど。
私はもっと演劇的な人かと勝手に思っていたのです。この場合の「演劇的な人」の意味は「表現が目的で、表現のための内容」というような意味です。演劇のワークショップとしてはそれでよいわけです。でも、由莉さんはドラマ教育の人でした。そう思いました。
ひょっとして、とても近い人かも・・・と、思ったわけです。なのに、これまで全く接点がなかった。
先日のワークショップのあと、食事しながら、「よくよく探せば似たようなことをやっている人がたくさん居るのに、それぞれが独自の名前をつけているので、インターネットで検索しても、私のようなIT苦手な人はまったく探し出せない。何か基本のキーワードがあって、そこから独自なものへ広がると言うようにならないものかねえ」という話をしました。
応用ドラマ(Applied Drama)という言い方は良いのかも。私はこのことばを小林由利子先生の論文(「イギリスのドラマ教育の考察(9)」http://ci.nii.ac.jp/naid/110002963161/)で初めて知ったのですが。ドラマ教育というと、どうしても学校教育の中のイメージで、そういう分野の言葉としてこれも必要ですが、ドラマはもっと広い分野で使えるし、応用できます。
応用ドラマを学んだ人たちは、教育に限らず、人間の居るところ、コミュニケーションの必要なところ、どこにでもドラマを応用することが可能なわけで。
こんど大阪で「アンディ・ケンプ先生のドラマ・イン・エデュケーション2008 http://www5a.biglobe.ne.jp/~tpn/die2008osaka.htm」が開催されますが、その主催のひとつは応用ドラマ教育研究会です。
日本でドラマ教育、ドラマセラピー、プレイバック・シアター、インプロ、フォーラムシアター、サイコドラマ、その他もろもろの「応用ドラマ」の大きな枠組ができ、学びあう場ができると、もっとこの分野が発展できるのでは、と思った次第です。
(パステル画「流れる」)