ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

理科教育研究終わる

2019-01-16 09:37:11 | 授業・教育
立命館大学での、理科教育関係の授業、昨日で最後を迎えました。

10年前に初めて担当して、経験があるからといって教えることができるものではないということを実感しました。
模擬授業は良いのですが、そのバックとなる授業論が展開できないのです。

学んだことを授業にかける。自転車操業のようでした。

そこで私を支えてくれたのは、教育方法論でした。
獲得型教育研究会を通して、渡部淳先生はもちろん、いろいろな方との出会い。

とりわけ、渡辺貴裕先生のfacebookは、本当に役立ちました。
そこで紹介していただいた本で、「これだ!」と思うものを読みました。

お互い違うがゆえに、吉田真理子先生とのディスカッションから学ぶこともたくさんありました。
そのおかげで、以前は読みこなせなかった本が、ここへきて「ああ、そうだったのか」と思えるものもあります。

多くのことを学びました。
最初のころの学生には、申し訳ないです。
今でもまだまだの私ですが。

ひとつ、良かったと思うのは、沖縄国際大学での授業実践があったということ。
とりわけドラマの手法を用いた授業によって、学習者中心の授業という概念が実感をともなって私のものになっていたことによって、いろいろなことを学びながらの授業でありながら、ブレない芯になっていたと思えることです。
ドラマの授業でなくても、です。

理科教育研究は、本来講義形式の授業として位置づけられるものですが、最後のクラスは受講生が7名という中で、ゼミのような授業を展開することができました。
お互いのディスカッションの中で、学生同士もですが、私自身学ぶことが多く、
「こういう授業が展開できるなら、もっとやりたい」
と思えました。

授業中あまり実験ができなかったのですが、最後は実験祭りのような感じで6つのブースを設け、実験や観察ができるようにしました。
ワイワイとにぎやかに実験をして、最後はおだやかに授業をふりかえって、終わりました。

立命館大学の学生たちは、まじめでやさしく、あまり文句を言いません。
本当は、文句をいいたいことがたくさんあったのではと思います。

途中、家庭の事情で真剣に辞めたいと思った時期がありましたが、
そういうやさしい学生に支えられて、この10年を終えることができました。
受講生やESの学生たちに感謝です。

ドラマ教育関係の本は書いてきましたが、理科教育に関してもまとめてみたいと思うこの頃です。
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