ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

コミュニケーションと詩

2021-03-22 11:07:02 | ワークショップの報告



2月28日(2021年)に報告したワークショップの第2弾(私は2回目だけれど、会そのものは3回目)

まずケンケンのファシリテーションで「Yes Yes Yes」
ひとり一言ずつをつないで話をつくって、誰かが「。」というと終了。
みんなで両手指で△をつくり「Yes Yes Yes」という。

この「Yes Yes Yes」と唱和するのが妙に楽しい。

次は「心の風景」
3人から4人のグループになって、ひとりが心の風景を語り、
他の人がそれに触発されて浮かんだことばをふたつ言う。

これはあとのふりかえりで、「題をつけるというのも良いかも」「その題をきいて新しい心の風景を語るというようにつないでもよいかも」とアイデアが出された。

このふたつは、いずれもあとの詩づくりのハードルを下げる役割も果たしたと思う。
ふたりのファシリテーターの間で、なんの打ち合わせもなかったそうだが。

次にしょうちゃんのファシリテーションで
まず、コミュニケーションについてのミニレクチャー。
これが私には面白かった。
三つのモデルを紹介してくれた。

伝達モデル。よく目にするもの。
発信者重視のモデル。
発信者から受信者への間に必ずノイズが発生するので、発信した通りには受信されない。
そのノイズをいかに削減するかということがテーマになる。

推論モデル。
受信者重視のモデル。
受信者が発信者のメッセージを推論する。
私はコミュニケーションの授業で、傾聴について実際にやってみることも含めてとりあげた。
聴き手が「良き聴き手」であることが話し手の表現を豊かにするし、
うまく話すことを練習するより、うまく聴き取ることを練習するほうが
うんと民主的な場をつくるのではないか、と思っている。
けれど推論モデルは、一方的であれば「空気を読む」「忖度する」ということにもつながるかも知れない。

共創モデル
赤ん坊が言葉を身につける過程のようなモデル。
赤ん坊は周りの環境の発する情報に反応し、まわりもまた赤ん坊の発する情報(サイン)に反応する。群生する蛍の一斉の明滅。スポーツやアートにおける阿吽の呼吸。
特徴1:無意識に身体は相互作用し、影響を受け合っている。たまにはそれが意識にのぼる。
特徴2:発信者と受信者は明確に分けられない。

渡辺貴裕さんが『なってみる学び ―演劇的手法で変わる授業と学校』
「フラットな対話の関係」の必要性を書いたが
それを生み出しやすいモデルかも知れない。

いずれにせよ、コミュニケーションにおいてはつねに「フラットな対話の関係」でありたい。

ミニレクチャーのあと、グループに分かれて春をテーマに詩をつくるワークになった。
詩の例が示され
どこで
だれが
どのように
どうした
それについてひとこと
みたいな感じで。

グループの中でそれぞれがつくった詩を披露した後、
自薦他薦で気に入ったフレーズをとりだし
新しい詩をつくる。

うちのグループは
*****
ザッザッザッザ
「お前 そこにいたのか」
ザッザッザッザ
今年も来ない人が待っている
ザッザッザッザ
雨の中で揺れながら

若人たちを見守って
「君たち 一気に開花せよ」
*****
実はこの日は全国的に大雨。
それぞれ違うところにいながら、雨に影響され
桜を思い、
共通する環境があったせいなのか、わりとすんなりできた。
これが共創モデルなのか、なんてね。

もう一つこの日感じた思いがけない感覚として、オンラインであるがゆえに
生身の人の発する雰囲気に左右されないことが
かえってフラットな対話の関係を生んでいるのではないだろうか、ということ。

グループで詩をつくるときに、
短い時間ではあったけれど
それぞれのアイデアをお互いに受け止め合って
どんどんブラッシュアップされていった。
もう少し時間があれば、もっと良くなったに違いない。
とくに最後の2行は推敲の余地ありかな?
本当に楽しい時間でした。
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