7月23日、演劇教育連盟主催の研究会(全劇研)に参加してきた。
午前は藤原由香里さんの講座に参加した。
2020年3月に、私が世話人として藤原由香里さんと渡辺貴裕さんの講座を開く予定だったが、コロナのために急遽中止となったのだった。
3年ぶりの関西開催となったが、私は今回実行委員会ではない。
コロナがなかったら、私は継続していただろうか。
「演劇と教育」の世界からまったく離れたわけでもないけれど、今の私の興味関心の中心は、そこにはない。やっぱり私は継続性がないようだ。
けれど藤原さんには、「3年前にできなかったのでぜひ」と声がかかったようだ。
それで私も講座に参加することにした。
藤原さんの講座は、見事だった。
場の温め方から物語に入り込むまで、自然で楽しく、しだいに深く進んでいった。
さまざまな技法を駆使していて、無理がない。
ゲーム感覚で楽しんだことがあとに生きてくる。
豊富な経験と積み上げられた理論がその背景にある。
午後は別の講座を受けたが、一般から集まってきた子どもたち相手に「スーホの白い馬」を演劇的な手法を用いて授業するという難易度の高いものだった。
おそらくファシリテーターはあまり経験もなく、なんとなく乗せられてやってしまったのだろうと思った。しかし、こういう難易度の高いことを経験の少ない人にさせるプロデュース側の意図がよく分からない。ベテランがいるのに、なぜ自分でやらなかったのだろうか。
そして子どもたちにとって、あの場はどういう場だったのだろう。
モンゴルという国をイメージする場だったのだろうか。
羊をおそう狼と狼から羊を守る馬の鬼ごっこによって、羊を守る大変さを想像してみることだったのだろうか。
私自身は考えるよりも実行してしまうタイプなので、ドラマをもちいた授業でも数々の失敗を経験してきた。そうしていろいろなものを身につけていったと思う。
だからこのチャレンジに敬意を払いたい。
子どもたちが鬼ごっこを楽しんでいた様子に安堵する。訳も分からないながら集められて、大人が見守る中、表現してくれた(あるいはくれなかった)子どもたちには感謝している。
さて、その帰り道、藤原さんの車に同乗させてもらった。
いろいろと話しているうちに、「アトリエふうみん」はどうなっていますか?
と訊かれた。
そうだった。アトリエふうみんの看板をかかげて、わが家でワークショップをしたことがあったっけ。おそらく2010年ごろの話。
あれからどちらもずっと「演劇と教育」の世界にいて、時には一緒に宝のような時間を過ごしたのだった。
この年になって、年齢が3回りぐらい離れていても、友達感覚で一緒に話したりお茶したりできることにとても幸せを感じる。
ドラマとの出会いが、私の人生を豊かにしてくれていることは間違いない。
午前は藤原由香里さんの講座に参加した。
2020年3月に、私が世話人として藤原由香里さんと渡辺貴裕さんの講座を開く予定だったが、コロナのために急遽中止となったのだった。
3年ぶりの関西開催となったが、私は今回実行委員会ではない。
コロナがなかったら、私は継続していただろうか。
「演劇と教育」の世界からまったく離れたわけでもないけれど、今の私の興味関心の中心は、そこにはない。やっぱり私は継続性がないようだ。
けれど藤原さんには、「3年前にできなかったのでぜひ」と声がかかったようだ。
それで私も講座に参加することにした。
藤原さんの講座は、見事だった。
場の温め方から物語に入り込むまで、自然で楽しく、しだいに深く進んでいった。
さまざまな技法を駆使していて、無理がない。
ゲーム感覚で楽しんだことがあとに生きてくる。
豊富な経験と積み上げられた理論がその背景にある。
午後は別の講座を受けたが、一般から集まってきた子どもたち相手に「スーホの白い馬」を演劇的な手法を用いて授業するという難易度の高いものだった。
おそらくファシリテーターはあまり経験もなく、なんとなく乗せられてやってしまったのだろうと思った。しかし、こういう難易度の高いことを経験の少ない人にさせるプロデュース側の意図がよく分からない。ベテランがいるのに、なぜ自分でやらなかったのだろうか。
そして子どもたちにとって、あの場はどういう場だったのだろう。
モンゴルという国をイメージする場だったのだろうか。
羊をおそう狼と狼から羊を守る馬の鬼ごっこによって、羊を守る大変さを想像してみることだったのだろうか。
私自身は考えるよりも実行してしまうタイプなので、ドラマをもちいた授業でも数々の失敗を経験してきた。そうしていろいろなものを身につけていったと思う。
だからこのチャレンジに敬意を払いたい。
子どもたちが鬼ごっこを楽しんでいた様子に安堵する。訳も分からないながら集められて、大人が見守る中、表現してくれた(あるいはくれなかった)子どもたちには感謝している。
さて、その帰り道、藤原さんの車に同乗させてもらった。
いろいろと話しているうちに、「アトリエふうみん」はどうなっていますか?
と訊かれた。
そうだった。アトリエふうみんの看板をかかげて、わが家でワークショップをしたことがあったっけ。おそらく2010年ごろの話。
あれからどちらもずっと「演劇と教育」の世界にいて、時には一緒に宝のような時間を過ごしたのだった。
この年になって、年齢が3回りぐらい離れていても、友達感覚で一緒に話したりお茶したりできることにとても幸せを感じる。
ドラマとの出会いが、私の人生を豊かにしてくれていることは間違いない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます