タシケントの歴史博物館でもう一つ印象に残ったのが、
1世紀ごろの仏像初期の造形、クシャン朝時代の仏像です。
この画像もまたSさんからいただきました。
三蔵法師・玄奘が「大唐西域記」でこう書いているそうだ。
「坦蜜国(テルメズ)は・・・東西は長く、南北は狭い。
伽藍は十余カ所、僧徒は千余人いる。
多くのストゥーパおよび仏の尊像は神異(ふしぎ)なことが多く、霊鑒(ごりやく)がある。
ご利益があるらしいので、
イスラムの記事ばかりだったウズベキスタン旅記録に仏像を最後に載せておきます。

ウズベキスタン最南端の街テルメズ近郊のファヤズ・テパ遺跡で、
三尊仏がうつむけになっていたためきれいな状態で発見されたそうです。
石灰岩に彫り込まれた仏陀は柔和で美しく、中央アジア仏教美術の最高峰といわれています。

アムダリア川の港として栄えたテルメズ、今は川を渡ればアフガニスタン。
シルクロードの歴史からみても非常に重要な仏教遺跡は、アフガニスタン国境に接した軍隊の基地のなかにあり検問所があるそうだ。
紀元前5世紀にインドで生まれた仏教は、500年の歳月を経て中央アジアからガンダーラまで広大な帝国を築いたクシャン人によって世界宗教へと飛躍していきました。
クシャン族はパミールの西のワッハン渓谷から興り、1世紀中頃、現在のウズベキスタン南部からインド北部にいたる大帝国を築き上げました。

もともとクシャン人はゾロアスター教を信奉していたが、あらゆる宗教に寛容でもあった。
紀元前にクシャンの進出したバクトリアの地はギリシャ文化の温床であり、さらにガンダーラ地方は東西交通の要衝であったので中国やイランから幅広く異文化が取り入れられた文化が熟成されていった。
ギリシャ的な偶像崇拝には何ら抵抗がなく、ヘレニズムの写実主義の伝統が加わり、勃興しつつあった大乗仏教の誰しもが救済者として頼れる仏像の製作へと繋がった。
インドの仏教教義に基づき、ヘレニズムの写実主義、ギリシャ神話やゾロアスターの要素も加わり、数百年間に渡って蓄積された多地域多文化の混交が、ガンダーラ美術として花開いたのでした。
またローマとの海路交易もさかんになり、インドの要衝部をおさえたクシャン朝には膨大なローマ金貨が流入。
その金貨を用いてクシャン朝は独自の金貨を発行し、金本位制をとっていたそうです。
正倉院や法隆寺に残された品々は、こうしたルートを通ってもたらされたものもあることでしょう。