2010年のスマートフォン出荷台数は、世界で3億260万台、前年度比74.4%だと発表された。
1位は、ノキアで1億30万台(シェア33.1%)
おなじみアイフォーン4は4750万台でシェア15.7%と世界3位らしい。
先月妹も携帯壊れてアイフォーンに変えたと話してた。
私の携帯も3年が過ぎぼちぼち機種交換の時期にきています。
おばちゃん達もスマートフォンを持つようになり、すごい勢いで世界中に広がっているのですね。
チュニジアに始まった新しい革命はフェイスブックやツィッターが引き金となり、それはエジプトはじめあちこちの中東諸国や北アフリカに影響を与えています。
利用料がそれほど高くなければ、携帯型モバイルパソコンあったらそりゃあ便利だろうと思います。
簡単につながり発信もできるのです。
最初の画像はアントワープの世界最古の証券取引所です。
中庭の角に建つ塔は、港に入ってくる船を見張るためのものだそうだ。
当時は、それぞれの船にはどういう品物が積まれているかを示す旗を立てていました。
その旗をこの塔から見ていて、船が入港し荷揚げを始める前に商取引を始めたんだそうです。
16世前半のアントワープの街中には、各国の商人達がこのような塔をおよそ30本ほど建てていたようです。
500年前にはこうした高い塔から見張ってたのが、今やインターネットや携帯電波が網羅している世界。
目には見えないけど、恐ろしい世の中になったなとつくづく思います。
アムステルダムの港には、18世紀の東インド会社が所有していたアムステルダム号が復元されて海洋博物館になっています。
前記事の宗教改革の続きです。
16世紀、海外に多くの植民地を獲得していたスペインとポルトガルは世界の富を独占していた。
特にポルトガルはインド洋の香辛料貿易を独占していたが、1580年にポルトガルを併合したスペイン王フェリペ2世は、ネーデルラントとの貿易を制限して経済的な締め付けを行った。
この状況を打破するために、オランダは直接香辛料を買い付けようと独自の交易ルートを開拓して船団をインドネシアまで派遣した。
1602年VOC(連合東インド会社)誕生。
アムステルダム、ロッテルダム、デルフト、ホールン、エンクハイゼン、ミデルブルグの6つの都市が共同出資して設立した世界初の株式会社だった。
これを契機として、オランダは海外に多くの植民地を獲得しポルトガルやイギリスを香辛料貿易から締め出していく。
16世紀に世界の海を支配したスペインとポルトガルにとって代わり、17世紀はオランダが世界最大の貿易国家として黄金時代をむかえた。
確かに、鎖国している日本が交易を行なっていたのはオランダだった。
やがて幕末の咸臨丸を製造したのは、風車で有名なキンデルダイクの造船所だったそうだ。
そして東京駅はアムステルダム駅を模したことはあまりにも有名です。