秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

秘仏国宝救世観音像特別開扉

2009-04-13 | 世情雑感
仏像つながりで、法隆寺の救世観音像です。

夢殿の本尊「救世観音像」は聖徳太子等身の像と言われ、
明治初年までの数百年間、白布にくるまったまま秘仏とされてきました。        
現在は春秋の特別な期間だけ公開されています。
ちょうど今4/11~5/18まで、秘仏国宝救世観音像特別開扉でお目にかかることができます。

この像は体正面のみで、胴体は中空で背中が無い。
また光背(観音像のうしろの飾り)はふつう支え木によって固定されますが、この像は後頭部に釘で打ち込まれています。
厨子の中にぴったし納められているので正面しか見えないだろうけど。


光背の模様は浮彫りで5つの部分に区切られています。
中心に蓮華、その外側に6龍が絡まった模様はたいへん珍しいものだそうだ。

紀元前4世紀ぐらいからの、とても古い龍模様を伝承するものだそうで、敦煌壁画、日本の多くの金銅仏光背にもみられない特異なものらしい。


冠の一番上にあるマークは、ペルシャ王族の印にそっくりな月と日のマークだとあるサイトにのっていた。

こうしたことを聞くと実際確かめたくなる。
梅原猛著「隠された十字架~法隆寺論」の陰謀説を感じてこようかな。

クシャン朝の三尊仏

2009-04-12 | 旅・ウズベキスタン
タシケントの歴史博物館でもう一つ印象に残ったのが、
1世紀ごろの仏像初期の造形、クシャン朝時代の仏像です。
この画像もまたSさんからいただきました。

三蔵法師・玄奘が「大唐西域記」でこう書いているそうだ。
「坦蜜国(テルメズ)は・・・東西は長く、南北は狭い。
伽藍は十余カ所、僧徒は千余人いる。
多くのストゥーパおよび仏の尊像は神異(ふしぎ)なことが多く、霊鑒(ごりやく)がある。

ご利益があるらしいので、
イスラムの記事ばかりだったウズベキスタン旅記録に仏像を最後に載せておきます。

 
ウズベキスタン最南端の街テルメズ近郊のファヤズ・テパ遺跡で、
三尊仏がうつむけになっていたためきれいな状態で発見されたそうです。
石灰岩に彫り込まれた仏陀は柔和で美しく、中央アジア仏教美術の最高峰といわれています。

 
アムダリア川の港として栄えたテルメズ、今は川を渡ればアフガニスタン。
シルクロードの歴史からみても非常に重要な仏教遺跡は、アフガニスタン国境に接した軍隊の基地のなかにあり検問所があるそうだ。

紀元前5世紀にインドで生まれた仏教は、500年の歳月を経て中央アジアからガンダーラまで広大な帝国を築いたクシャン人によって世界宗教へと飛躍していきました。

クシャン族はパミールの西のワッハン渓谷から興り、1世紀中頃、現在のウズベキスタン南部からインド北部にいたる大帝国を築き上げました。

 
もともとクシャン人はゾロアスター教を信奉していたが、あらゆる宗教に寛容でもあった。
紀元前にクシャンの進出したバクトリアの地はギリシャ文化の温床であり、さらにガンダーラ地方は東西交通の要衝であったので中国やイランから幅広く異文化が取り入れられた文化が熟成されていった。

ギリシャ的な偶像崇拝には何ら抵抗がなく、ヘレニズムの写実主義の伝統が加わり、勃興しつつあった大乗仏教の誰しもが救済者として頼れる仏像の製作へと繋がった。

インドの仏教教義に基づき、ヘレニズムの写実主義、ギリシャ神話やゾロアスターの要素も加わり、数百年間に渡って蓄積された多地域多文化の混交が、ガンダーラ美術として花開いたのでした。

またローマとの海路交易もさかんになり、インドの要衝部をおさえたクシャン朝には膨大なローマ金貨が流入。
その金貨を用いてクシャン朝は独自の金貨を発行し、金本位制をとっていたそうです。

正倉院や法隆寺に残された品々は、こうしたルートを通ってもたらされたものもあることでしょう。

エコバッグの功罪

2009-04-10 | 世情雑感
地球温暖化防止のため、レジで袋もらわずに自分のマイ・エコバッグを持っていくのが全国的に奨励されていますね。

近くのスーパーでは、その都度お持ちですかと聞かれます。
持ってたら買い上げ合計から2円引いてくれます。
2円でゴミ袋は買えないからいつも持ってませんといってもらいます。

違うスーパーは20年ほど前の設立当初からレジ袋は有料で10円。
だからいつもマイバックを持って行くか、無料の食品梱包ダンボールをもらいます。

エコバックが普及してゴミ袋の売上げが伸びているそうです。
このゴミ袋を燃やすときも二酸化炭素でるのにね。

さてこのマイエコバック普及につれて、大きく数字を伸ばしているものがまだあります。
それは万引きです。

お客さんがレジで精算を終えた商品かどうかの見分けがつかない。
品物をマイバックに入れている人に、精算はお済ですかと疑うわけにもいかない。

それに目をつけた不届きな輩は万引きに走る。
以前の万引き犯に比べ50歳代以降の人が多いそうだ。

スーパー側もその対策として、買い物中のカゴとレジ精算後のカゴの色を分けたり、警備を増やしたり努力は重ねておられるようではありますが。

生鮮食料品がすべてパックに分けられ、底には台紙となる発泡スチロールにラップが巻かれています。
確かに販売しやすいだろうし、生産地からの輸送が楽かもしれない。

でもこの少量化商品パックを工夫するほうがもっとエコに繋がると思う。

積み上げた野菜や果物の山からグラム単位で購入し、新聞紙に包んでもらった昔が懐かしい。
お豆腐は鍋やボールを、醤油やお酒は一升瓶を持って行って入れてもらったものでした。

ペットボトルのリサイクルとリユース、これと同様、使い捨ては簡単だけれど地球にやさしくないですね。

野菜4:肉3:穀物3で体重増減なし

2009-04-08 | 旅・ウズベキスタン

ウズベキスタンの食事はだいたいどこへ行っても、最初はナンというパンと野菜サラダ数種類がでてきます。
ニンジンの細切り、キャベツのコールスロー風、ポテトサラダ、ビーツの酢漬けなど、店によって少し味付けが違う程度でした。
テーブルについて、メインディッシュが出てくるまで数人で分けて食べていると結構お腹に溜まってきます。

 

 
スープはコンソメだったりミネストローネ風だったりしますが、たいてい野菜はしっかり入ってました。
麺入りスープはウグラ、中央アジア風うどんはラグマンというようです。

 

 

メインディッシュは、日本でもおなじみのものながらかなり大きいサイズで、日本女性なら全部食べきるのは苦しい。

 

米飯もそれなりに美味しくいただけました。
ハッシュドビーフかビーフストロガノフか違いはわかりませんが、肉は羊なのか牛なのかもわからず食べてました。

 

プロフとピラフ、この違いもよくわからなかった。
デザートはたいていフルーツでした。

どれもみなそれなりに美味しかったし、結構たべたけれど野菜たっぷり食べたおかげでインドについでお腹も好調、帰国しても体重に増減はなかったです。

いちばん驚いたのはランチパック↓
 

列車移動のランチと、帰国便が朝7時だったため朝食がランチパックを体験しましたが、どちらもひどかった。


裸の王様

2009-04-08 | ギズモ&もぐ&メルキー
気温があがり今週は天気がいいと聞いたので、昨夕ギズモをライオンカットに連れていきました。

もぐちゃんが去年10月終わりにやってきたことがストレスにならず、ギズモには逆によかったようで毛玉の少なさでもわかります。
体重も去年より400g増えて4.9kgになってました。

カットして裸の王様になると半分の大きさとなるので、もぐちゃんとの立場がどう変わるか心配でした。

もぐちゃんも心配してたようです。
今朝のベランダでの様子を見てると、昼間の間、猫達だけにしても大丈夫みたい。

絢香の結婚会見

2009-04-06 | 世情雑感
2月22日、イケメン俳優の水嶋ヒロさんと結婚届だしたという会見をみました。
芸能人の結婚会見、今まで見た中で一番よかった。
会見場にいたマスコミ関係者が最後拍手したというのも納得できるほど、二人とも誠実でした。

22日は、いやさかの木さんのブログによると、確か和合と再生の日だったような。
いい日を選ばれましたね。
末永いお幸せを祈ります。


絢香さんは守口の4中出身なので、普通の歌手の人以上に気になる存在だし応援してます。
しかしバセドウ病とは知らなかった。

美智子皇太后も30代の頃バセドウ病治療をされてたそうです。
男性より女性患者が5倍は多いといわれています。

甲状腺機能亢進症は、新陳代謝が活発になり常にジョギングしているような状態です。
微熱がでて、息や脈拍が速くなり、汗が多くでて暑がり、疲れやすいといった症状です。
心はイライラ、不眠が続く・・・

こうした症状から、私自身も30代後半にバセドウ病を疑い検査したら違ってたことありました。

身近にも現在バセドウ病治療している人、過去してた人います。
無理せずきちんと治療を続けてるとコントロールできるようです。

絢香さんはシンガーソングライターだから、
家庭を守りながら歌を作れるし、復帰して歌声聞かせてくれるのも、それほど遠い先ではないと願っています。

ティムールの呪い

2009-04-05 | 旅・ウズベキスタン
サマルカンドのティムール坐像、バスの中から撮影しました。

ウズベキスタンでティムールは英雄で、日本で誰に相当するか考えると数人ぐらい合体しても足りないかも。
ソ連より独立してから、レーニン像などに変わりティムール像が設置されたらしい。

ティムール生誕地シャフリサーブスでは立像
 
 

タシケントでは宿泊したウズベキスタンホテルの前が公園で、そこにティムール騎馬像がありました。
 

ティムールの遠征図
 

インド遠征から戻ったティムールが壮大なモスクを建設することを決意し、約5年で完成させたビビハニム・モスク
 
一度に13000人が礼拝することが出来た中央アジア最大のモスク、ビビハニムはティムールの愛妻名です。
中庭にある大理石のコーラン置き台は15世紀にウルグベクによって造られました。

急がせた工事中、毎日毎晩工事現場で見張っていたティムールはそのため風邪を引き、1402年中国への遠征に旅立つとまもなく亡くなったと言われています。
完成したのはティムールの死後3年目、ティムール本人は完成を見ることが出来ませんでした。

 
突貫工事のせいか、それとも当時の技術としては大きすぎたのか、落成直後から崩壊が続き、その後地震によってほとんどが崩れてしまいました。
北西側ミナレットの土台部分のみが残っています。


ティムールは死後シャフルサーブスにすでに用意した霊廟で眠る予定でしたが、実際はサマルカンドで眠っています。
 
グリ・アミール廟、タジク語で「支配者の墓」
ティムール本人と家族、教師、聖人が眠っている霊廟です。

 
ティムール朝は内紛の末に滅亡。
ブハラ・ハーン国が支配するも内紛の末にロシアの干渉を受け、1868年にロシア領トルキスタンに編入されました。

第二次世界大戦が始まった頃、ソ連政府は調査名目でグリ・アミール廟にあるティムールの石棺をあけました。

石棺には「墓を暴けば、私より恐ろしい敵がやってくる」と書かれていた。
その言葉通り、調査直後にソ連はナチス・ドイツ軍による奇襲攻撃を受けて(バルバロサ作戦)、長い独ソ戦争が始まったため「ティムールの呪い」と言われたそうです。


ウズベキスタンがソ連より独立後1990年代に建造されたアル・ブハリ建築群、サマルカンド市街から約25km郊外にある新名所です。
 
6歳でコーランの7万のハディス(逸話)を覚えたアル・ブハリ(810-860)、イスラムの偉大な神学者がこの場所に葬られています。

もともと16世紀に小さな廟とモスクが建てられた場所で、1998年にウズベク政府が新しい廟とモスク、展示室を作ったそうです。
ウズベク中から優秀な職人が集められたそうで、現在のイスラム建築の粋を究めたものです。

観光地と言うよりイスラムの巡礼地で信者が世界中から礼拝に訪れるそうです。

世界遺産☆サマルカンド

2009-04-04 | 旅・ウズベキスタン
シャーヒ・ジンダ霊廟群、このアーチをくぐると
 

サマルカンドで一番印象に残った場所です。
ティムールゆかりの人々の霊廟とモスクが一直線に建ち並び、今はウズベキスタンの人々の巡礼場所になっています。
当時は40あったのが現在14箇所だけ残っています。

アフラシャブの丘の南角にあり、横から見ると
 


サマルカンドはかつてはマラカンダ(豊かな土地)とよばれ、タジキスタンとの国境にほど近く、紀元前10世紀頃からシルクロードの中心都市でした。
紀元前4世紀アレキサンダー大王の遠征軍がマラカンダに立ち寄ったとき、その美しさに感銘を受けたそうです。

しかし13世紀チンギス・ハーンが破壊し、今は↓
 

当時の中心的な担い手はソグド人。
伝説のソグドの最初の王からとられたアフラシャブの丘に、何世紀もの間城壁に囲まれた都がありました。

今はなんにも残っていないけれど、2750年間にわたる11層の文化の痕跡が発見されています。
丘の16m地下から発見された紀元前7世紀の壁画には、ソグド人と拝火教の絵が描かれているらしい。


この破壊された都を蘇えらせたのがティムールです。
イランやシリア、アフガニスタン等から優秀な職人や建築家を連れて来て、当時の新市街に整備された都市を建設させた。
壮大で芸術的な宗教施設群をつくり、イスラーム世界に名だたる都市にしました。


サマルカンドといえばここ、レギスタン広場
 

中央はティラカリ・モスクとメドレセ(1660年・天井の金箔が見事な美しさで、純金25kgが使われているそうだ)
      


左にウルグベク・メドレセ(1420年・青い星の模様が装飾)
ここのミナレットに登ったので少し高いところから中庭を撮影。
 


右にシェルドル・メドレセ(1636年・正面アーチ、ライオンの絵と人顔のタイル装飾は200スム紙幣にも描かれています)
この中庭で、楽器や皆さん思い思いのウズベキスタンの思い出と土産物を買われたのでした。
 

定額給付金申請に必要なもの

2009-04-03 | 世情雑感
私はもうチャッチャと申請済みです。
皆さんは済まされましたか?

まだの方のために、
忘れてはならないのは、振込口座の通帳コピーです。

一般的に口座引き落としであっても、振込みであっても一般企業での取引に銀行口座の通帳コピーを添付したことはないですもんね。

今朝の朝刊にも載ってましたが、高松市に4/1届いた申請書のうち7割近くに確認書類コピーの添付が無かったそうです。
再度コピーを送るよう案内書を送るんだって。

店に来られるお客さんも、何人かから口座コピーはうっかり見落としてしまうよねと聞きました。
説明書に返送するものは3点、と大きく太字で明記するべきだったと思います。
この申請書、身分証明書コピー、振込口座コピー

まだの方はお忘れなく!

★追記
通帳コピーとは金融機関名・支店名・口座番号・名義人の記載しているページのことです。
そして定額給付金のお知らせの紙を再確認したところ、申請に必要な書類として上記3点にはアンダーラインが引かれていました。
ということは見過ごした人が悪いのか・・・
日本人って至れり尽くせりで暮らしてきたからなぁ~

ホスピタリティ☆親しみやすい若者達

2009-04-02 | 旅・ウズベキスタン
バフさんは現地ガイド、1982年生まれと聞きました。
恰幅のいい大男で、とてもその年齢には見えません。

タジク人なので家ではタジク語、ペルシャ系言語ゆえペルシャ語もOK、もちろんウズベク語が日常会話です。
学校ではロシア語で授業を受けたそうで、他に英語、日本語が堪能です。

携帯は結構普及していて、彼が使っていたのはアイフォンみたいなノキア製、月に60~100ドルぐらい使うそうです。
一般人の給料平均200ドル程度と聞いたような気がする。
ガイドという仕事柄にしてもすごいね。
 


暗い螺旋階段を登り、やっとたどり着いたミナレット上で
 
上はスペースがないので入れ替わりで降りてくれました。
タシケントからヒヴァ観光に来たと言ってました。
若者なら結構英語が通じます。


アイスクリームを食べている若者はよく見かけました
 
笑うと金歯がキラリとする人は多かった。
金がたくさんとれるから安いのかしら?


公園でみた男性2人連れ、後方の人は携帯電話中
 
日本人の添乗員はアイフォンを持ってました。
日本まで電話すると1分500円と言ってた。


車窓から
 
田舎ではまだまだバスが珍しいのか、手を振ってくれる人が多かった。
私達も皇族の宮様の気分で手を振り続けていました。


国内線のキャビンアテンダント、ロシア系かな
 


10代から20代前半の若い子たちは、ジャパニーズ?と話しかけてもきますし、写真一緒にとろうとも言います。
 


アフガン難民の子供が施しを求めてまとわり付いてくる
 
アフガニスタンと国境を接しているから、もっときな臭く難民も多いのかと思っていたけれど、シャフリサーブスで1回見たきりでした。

シルクロードの中継点にあるウズベキスタン、
残っている建造物はほとんどが中世のイスラム建築です。
しかしそこで暮らす人々のDNAには、いまなお他民族の切磋琢磨で生き延びた共存共栄を図るためのホスピタリティが深く根付いているように思われました。

日本が今後観光大国を目指すのなら、招き入れる側のホストとして見習わないといけない点はあるでしょうね。

ホスピタリティ☆はにかんだ笑顔

2009-04-01 | 旅・ウズベキスタン
観光国となるには、まず観光資源、そして交通インフラでしょう。
そして親しみやすさも大きな要素の一つです。

ネットでウズベキスタンの旅行記を旅立つ前に見てると、ウズベクの人々の画像がよく載っていました。
実際行ってみると、みな親しみのある笑顔で接してくれて、写真撮ってくれといわんばかりのジェスチャーをされる。

それでついついシャッター押してたら、どれも削除しがたく見ていただくことにしました。

まずはおっちゃん達の、はにかんだ笑顔から
 

 

 

 

  


中年以上の女性は、やはりイスラムの顔を隠す習慣からか、あまり目を合わせてこない。
 

 

 

しかし若くなると、洋服が民族衣装系でないのが見分けるポイントですが、今風の服を着た女性ならちゃんとカメラ目線です。
 

若者達は次回で。