秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

大阪も雪降ってます

2011-02-11 | 日々是好日
たいがい大阪の雪予報は当たらないんだけれど、
今朝は予報どおり雪降ってるし、少し積もってます。

金剛山の雪中登山に誘ってもらってました。
でも年末年始の体調不全で自信なくお断りしたのでした。
今頃皆さん登っておられるのでしょうか。
平地でこの雪なら、1000mを超える金剛山はもっとすごいことになってると思います。
山頂でかも鍋食べて無事帰山されますように。

スマートフォン世界出荷74%増加

2011-02-09 | 旅・オランダとベルギー
2010年のスマートフォン出荷台数は、世界で3億260万台、前年度比74.4%だと発表された。
1位は、ノキアで1億30万台(シェア33.1%)
おなじみアイフォーン4は4750万台でシェア15.7%と世界3位らしい。
先月妹も携帯壊れてアイフォーンに変えたと話してた。
私の携帯も3年が過ぎぼちぼち機種交換の時期にきています。
おばちゃん達もスマートフォンを持つようになり、すごい勢いで世界中に広がっているのですね。

チュニジアに始まった新しい革命はフェイスブックやツィッターが引き金となり、それはエジプトはじめあちこちの中東諸国や北アフリカに影響を与えています。
利用料がそれほど高くなければ、携帯型モバイルパソコンあったらそりゃあ便利だろうと思います。
簡単につながり発信もできるのです。


最初の画像はアントワープの世界最古の証券取引所です。
中庭の角に建つ塔は、港に入ってくる船を見張るためのものだそうだ。
当時は、それぞれの船にはどういう品物が積まれているかを示す旗を立てていました。
その旗をこの塔から見ていて、船が入港し荷揚げを始める前に商取引を始めたんだそうです。

16世前半のアントワープの街中には、各国の商人達がこのような塔をおよそ30本ほど建てていたようです。

500年前にはこうした高い塔から見張ってたのが、今やインターネットや携帯電波が網羅している世界。
目には見えないけど、恐ろしい世の中になったなとつくづく思います。


アムステルダムの港には、18世紀の東インド会社が所有していたアムステルダム号が復元されて海洋博物館になっています。

前記事の宗教改革の続きです。
16世紀、海外に多くの植民地を獲得していたスペインとポルトガルは世界の富を独占していた。
特にポルトガルはインド洋の香辛料貿易を独占していたが、1580年にポルトガルを併合したスペイン王フェリペ2世は、ネーデルラントとの貿易を制限して経済的な締め付けを行った。

この状況を打破するために、オランダは直接香辛料を買い付けようと独自の交易ルートを開拓して船団をインドネシアまで派遣した。
1602年VOC(連合東インド会社)誕生。
アムステルダム、ロッテルダム、デルフト、ホールン、エンクハイゼン、ミデルブルグの6つの都市が共同出資して設立した世界初の株式会社だった。

これを契機として、オランダは海外に多くの植民地を獲得しポルトガルやイギリスを香辛料貿易から締め出していく。
16世紀に世界の海を支配したスペインとポルトガルにとって代わり、17世紀はオランダが世界最大の貿易国家として黄金時代をむかえた。

確かに、鎖国している日本が交易を行なっていたのはオランダだった。

やがて幕末の咸臨丸を製造したのは、風車で有名なキンデルダイクの造船所だったそうだ。


そして東京駅はアムステルダム駅を模したことはあまりにも有名です。

ルーベンスの3大祭壇画

2011-02-07 | 旅・オランダとベルギー
15~16世紀にかけて繁栄を謳歌したアントワープ。
1352年に建設が始まり1521年に完成したノートルダム大聖堂の鐘楼で、
7分半毎に鐘がなります。
あまりにしょっちゅう鳴るので、今何時かよくわからなかった。

この教会の中にルーベンスの3大祭壇画があります。
「聖母マリアの被昇天」


「キリストの昇架」


「キリストの降架」


日本でおなじみの「フランダースの犬」のネロとパトラッシュが、
硬く抱き合ったまま凍死していたのが、このルーベンスの最高傑作とされる「キリストの降架」の祭壇画の下でした。

宗教改革以後の北ヨーロッパにおいて、
カトリックが宗教美術を大量に必要としていた時代に、
ルーベンスは躍動感あふれる劇的な表現で非常な人気を得ました。

  



中世のヨーロッパって文盲率が高かったらしい。
カトリック教会では、ミサにおいてラテン語が使用され一般大衆には理解できなかった。
そして聖職者が「この免罪符を買えばあなたも天国にいけます」っていう。

各地域の教会税はバチカンの収益となっていたが、
近代国家の誕生とともに、自国の富がバチカンに流れることがばからしくなった。
そしてそれぞれの地域の教会がローマと絶縁することを積極的に後押しした。

そして1517年、マルチン・ルターの宗教改革が始まる。
ルターは聖書を学者の手から一般人の手に取り戻した。
「免罪符を買ったら天国に行けるなんて聖書のどこにも書いてない」ということを知らしめた。
宗教改革は、15世紀中盤にグーテンベルグが活版印刷を発明し、聖書が安く大量に普及してきていたことが前提にあった。

1555年にアウクスブルクの和議が結ばれ、諸侯はカトリックと新教(ルター派)を選択する権利が認められた。

ちょうどその年、フェリペ2世がスペイン王に即位。
あの無敵艦隊のスペインが強かった時代です。
フェリペ2世は厳格なカトリックであり、ネーデルランドはスペインの支配化にあった。

スペインの過酷な支配に対してネーデルランド八十年戦争が勃発。
1581年にはネーデルラントの北部7州(オランダ)がスペイン支配からの独立を宣言、
以後、ネーデルラントの南部10州はスペインの支配下に留まった。

しかしアントワープで暮らしていたプロテスタントの多くはオランダのアムステルダムに移住した。
移住者の中には知識人や技術者が多くいて、
彼らを追放したアントワープは衰退し、代わって彼らを受け入れたアムステルダムが黄金時代へ向かうことになる。

フェルメールのブルー

2011-02-04 | 旅・オランダとベルギー
「真珠の耳飾りの少女」たしか2000年初夏に大阪市立美術館で並んで見ました。
青いターバンとじっとこちらを見ているつぶらな瞳が印象的でした。

あれから月日が流れ、今度はオランダのハーグにあるマウリッツハウス美術館でじっくり眺めることができました。


マウリッツハウス美術館は、もともと17世紀にブラジルの総督を勤めたヨハン・マウリッツ伯爵の邸宅だったそうです。



大きすぎるといわれる真珠のイヤリングも至近距離で見れました。
確かに眼球よりでかい。
イヤフォンガイドで、白い絵の具一筆が真珠の光沢を見事に表現していると言ってました。

今でこそフェルメールの代表作「真珠の耳飾りの少女」
本人が失意の中で43歳の若さで亡くなった後、
未亡人は五人の子供がいて、その生活苦から現在の価値で1ユーロほどでこの絵を売却してしまったと聞きました。  

   

作品にしばしば登場する鮮やかな青は、「フェルメール・ブルー」と呼ばれています。
この青は、ラピスラズリを原料にして作る「ウルトラマリンブルー」という絵の具で、
当時は金よりも貴重であったといわれています。

聖母マリアのマントなどの限られた部分にしか使わない貴重な絵の具であったウルトラマリンブルー。
フェルメールはドレスの下地に使うという当時の常識としては考えられない贅沢な使い方をしたそうです。

「牛乳を注ぐ女」
アムステルダム国立博物館蔵
ここでもフェルメールブルーが使われています。

そして室内の風景を描く際によく用いられた斜め45度から入射する天然光。
日常的な題材に崇高な雰囲気を与え、光の達人といわれるゆえんです。


「デルフトの眺望」という有名な絵画もマウリッツハウス美術館にあります。

フェルメールはデルフトという陶器の町で生まれました。




デルフト焼きのブルーもいい青色でした。

レンブラントのレッド

2011-02-03 | 旅・オランダとベルギー
オランダのアートな旅に、レンブラントは外せません。
アムステルダムにある国立博物館で「夜警」などを見てきました。
ここでは撮影禁止だったので、デルフト焼の工場で製作されたタイル画です。


旅のガイドブックには、この夜警は世界3大名画の一つと書かれてありました。
ホテルの部屋で、じゃぁ残りの2つは何なんかも書いといて欲しいよな、
モナリザとゲルニカということにしとこうと教養の薄さで想像してました。

帰国して検索してみたら、
①エル・グレコ作「オルガス伯爵の埋葬」
スペインはトレドにあるサント・トメ教会所蔵
1998年1月に見てました。

②ディエーゴ・ベラスケス作「ラス・メニーナス(宮廷の女官たち)」
スペインのマドリッドにあるプラド美術館所蔵
同じ時期に行ったけど見たかどうかすら記憶に残ってない。

③レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン作「夜警」
   

この夜警の代わりにレオナルド・ダ・ビンチ作「モナリザ」を入れて3大名画と言う場合もあるようです。




国立博物館本館は改装工事中ですが、17世紀の珠玉のコレクションを凝縮展示されてます。
旅行者の限られた時間内で鑑賞するにはちょうどよい量でよかったです。



レンブラントはオランダではゴッホよりも国民に愛される画家とさえいわれているようです。

オランダの黄金時代17世紀に活躍した光と影の魔術師。
人物を闇に浮かび上がらせる独特な光の使い方に卓越した技術を持っていました。

ユダヤの花嫁 
レンブラントならではの独特の赤、
レンブラント・レッドといわれるそうです。

まだカメラがなかった17世紀、人々は肖像画を画家に書いてもらっていました。
去年10月「ポーランドの至宝展」を見て書いた時のをコピペすると

17世紀当時、諸外国に比べオランダでは多くの肖像画の注文があり巨大な市場を形成していた。
この時期にオランダで描かれた肖像画は75万枚から110万枚に達すると見られる。
レンブラントも、アムステルダムの肖像画家としてこの時期に経済的に大成功していたが、
他の画家同様に中産階級市民の依頼に応じて肖像画を制作することに嫌気がさすようになっていった。


一般的に団体から、肖像画を依頼された場合、
全身ならいくら、顔だけならいくらと金額が異なります。
それで、普通は登場人物にあまり差をつけずに描くものらしい。
その方が多くの人から多額のお金を請求できるからです。

しかし レンブラントはだんだん嫌気がさしてきてたので、
自分の描きたいように動きのある構図で人物像も差をつけて描いています。
そのため、この大作を描くのにとてもお金がかかったのに、
絵を依頼した夜警団の人々は皆満足しなかった。
そのため代金を回収できず、この夜警をきっかけに没落していったそうだ。

この同じ夜警団を別の人が描いたものが対面に展示されてあり、
両者を比較すると、いかにレンブラントが素晴らしいかがよくわかりました。

明日は節分

2011-02-02 | 24節気72候
節分とは、字面のとおり季節の分かれめです。
大雪やら火山噴火やら恐ろしいニュース続いていますが、着実に日差しは春めいてきてます。

厳しい冬が去り、生命のよみがえる春の訪れはうれしいものです。
しかし季節の変わりめは体調を崩しやすい。

昔の人は考えた。
この時期、疫病神=鬼がやってきて悪い病気をはやらせるに違いない、
で、節分に鬼を追う風習をあみ出したといわれています。

目に見えず災厄をふりまくもの、人間の力を超えた不思議な出来ごとに、鬼を感じ、鬼のしわざと考えたのですって。


貧困や飢饉、病気や死も、人間にとって不幸なものは鬼のしわざ。
しかし異界に住む鬼は、現世で暮らす人間に悪さをするだけではありません。
人に害をなし、神と敵対する一神教世界の悪魔とは大きな違いがあります。
もの並べて仏性あり、すべてに神が宿る日本ならではの発想でしょう。


鬼を悪しきものの集約として、
その鬼に災厄を肩がわりしてもらう節分の豆まき。
この機会に人の心の奥に潜む不安感や、
おそれ(恐れ・怖れ・畏れ・怖れ)に今一度思いめぐらしてみるのもいいかも。



最近の話題から

2011-02-01 | 世情雑感
この週末、昼も夜もTVばっかり見てたのでそこから得た情報を。

一番最新は、サッカーアジアカップで優勝した日本代表の長友選手が、インテルへ電撃移籍決定。
世界の一流どころにいけるなんてすごいね。

昨夜のTVニュースでは、優勝カップ持って帰国したメンバー達がインタビューされたり生出演したりしてました。
どの選手のコメントにもザッケローニ監督とのかかわりやエピソードが語られました。
控え選手がモチベーションを落とさないよう常に気を配り的確な声をかける。
失敗した時も、気にするな、お前を信じてると励ます。

試合終了後ロッカールームに用意されているおむすび。
これは枯渇したエネルギーを補うための炭水化物として、イタリア監督時代はパスタだったのが、日本人の食生活に合わせてご飯となったそうだ。

「ビッグ3」と呼ばれるACミラン、インテル、ユヴェントスをすべて率いた経験を持つのは、ジョバンニ・トラパットーニとザッケローニのふたりだけ。

そんな監督って若い頃どれだけすごかったんだろうとWikiでみたら、
なんと20歳を前に現役引退し指導者の道を目指したんだそうだ。
肺の病気や怪我に苦しんだ苦労人ということで、
生年も1953年と同じ年で、これからも応援したいです。

次は卑近な話題から。
大雪で被害を受けている日本海側に対して、太平洋側は乾燥しまくりです。
そのため静電気パチパチもはんぱない。

この静電気が悪さをして精密機器の最たるパソコンを壊すことが多いらしい。
実は2週間前店のパソコンも1台壊れました。
修理したくとも修理代が高くつくということで破棄しました。
原因は静電気を帯びた指でスイッチをONしたことでショートしたらしい。

昨夜家のノートのスイッチを入れるときも一瞬ピチって感じました。
無事立ち上がってくれてよかったけど、やばかったぁ~
これからは金属に一度触れて電気を流してからスイッチ入れましょう。

最後に今年の流行は1970年代だそうだ。
ベルボトムパンツにサボ、カラフルなデザイントップ。
懐かしいなぁ~、大学時代のファッション思い出します。
アイビートラッドからニュートラになり、さらにトラッドを崩していったあの時代。
もうすべて処分してしまったし、もし残ってたとしてもどれも入らないけど。

せめてはこの週末で落とせた体重。
2.5kgもそうそう簡単なやり方では減らせませんよ。
神様からのご褒美と感謝しを維持できるよう暴飲暴食慎みます。