
「福岡市が地方最強の都市になった理由」という本は、福岡市のすごいところや常識破りなところを分かりやすくまとめ、そしてその理由について分かりやすく説明したものです♪
特に福岡には1級河川がないことにより工業化ができず、また水不足に陥りやすかったことからサービス業が発展し、そしてコンパクトに発展できたというのはナルホドと思いましたね♪
制約や逆境をチャンスにしているのは素晴らしいと思います♪
また素晴らしい先人の行政主導ではなく民間主導や、思い切った私財投入による電力・鉄道等のインフラ整備、九州大学誘致、現在の福岡空港を移転しなかったことによる中心部へのアクセスの良さ等も今の繁栄に結びつき素晴らしいと思います♪
あの福岡市中心部の「渡辺通り」の由来の渡邉さんは都市計画・都市開発で偉大な方だったというのも初めて知りました♪
本書は以下の構成となっています♪
第1章 まちづくりは「常識」を疑え!
・やれることではなく、やるべきことと向き合う
・流行りを無視して、逆を狙う
・量を求めず、利益にこだわる
・優秀な人材を役所に集めない
・「変人」を大切にする
第2章 福岡市は「ここ」がすごい!
・世界も認める福岡市
・人口増加、日本一
・優れた教育都市
・他都市も羨むコンパクトシティ
・サービス産業が豊かな都市
・建設投資伸び率、第1位
第3章 福岡市5つの「常識破り」
福岡市の個性が光るわけ
常識破り① 民間主導・民間投資のまちづくり
常識破り② 「競争」と「協調」で強くなる
常識破り③ 素早く「撤退」する
常識破り④ 周りに流されない
常識破り⑤ 伸びしろがあるのに、伸ばさない
第4章 福岡市を変えた10の「覚悟」
福岡市を変えた5人、10の覚悟
【都市計画・都市開発】渡邉興八郎 土地を開発し電車も走らせる
覚悟① 持ちうる私財は都市発展のために投資する
覚悟② 「理想」と「具体行動」を同時に展開する
【インフラ整備】松永安左エ門 地域外から刺激を与え続ける
覚悟③ 徹底的な合理化を進める
覚悟④ 行政事業ではなく民間事業で人材を育てる
【金融】四島一二三 地域金融で成長企業を育てる
覚悟⑤ 地域金融を通じて若い産業人を支援する
覚悟⑥ 独立心を守り続ける
【商業】川原俊夫 オープンイノベーションで一大産業をつくる
覚悟⑦ ノウハウを公開し、新しい産業を育てる
覚悟⑧ 稼いだお金を地域に投資する
【市政】進藤一馬 アジアを見据え、市長を務める
覚悟⑨ 民間に任せる、現場に委ねる
覚悟⑩ いち早くアジアとの交流文化事業を開始する
第5章 経営視点で見える「福岡メソッド」
1 制約から戦略を考える
2 新技術を味方につける
3 民間資金の力で「尖り」をつくる
第6章 福岡市の「制約」と「未来」
制約① 九州衰退のリスク
制約② アジアの多様な成長・衰退・混乱
制約③ 大学の国際競争、若い人材の獲得競争の激化
制約④ 急速な成長による凡庸化、過剰集積
他の都市の繁栄のヒントにもなり「福岡市が地方最強の都市になった理由」という本はとてもオススメです!
以下はこの本のポイント等です♪
・福岡市は「若者人口」が多いことが特徴です。10~20代の若者率が22.05%と、政令市中第1位となっています。ただし若者率においては仙台市も22.03%とほぼ同水準を記録。いずれも地方都市圏の中心都市として「教育」「就職」などで広範囲から若者を集めています。
・福岡市は在留外国人の増加率を高く、増加数は横浜に次ぐ政令市第2位、そして増加率は第1位となっています。様々な国から移り住む人が多いということは、当然、定住人口が増えますし、労働力としても着たいできます。これは既存企業にとって、若くて優秀な労働力を確保するチャンスだけではありません。国内外から多様な人材(=変人)が集まることで、既成概念を打ち破り、新たな事業を創り出す都市になるための基本条件が整うのです。多様な人材が集まるということは、長期的なクリエイティビティの確保でもプラスなのです。
・政令指定都市の大学及び短期大学数を比較すると、京都市、神戸市、名古屋市、札幌市に次いで福岡市は5番目に位置し、学校数が多い都市なのです。またそれに応じて学生数も京都市、名古屋市、横浜市に次ぐ第4位です。人口に占める学生数の割合を見れば、京都市に次ぐ第2位です。このように福岡市は教育機関がおおいことで、18歳の大学入学時には、九州全域、沖縄地方、中国地方、四国地方から多くの若者を集めることに成功しています。実際は住民票を移していない学生もいるので、人口統計以上の学生や若者にあふれた都市なのです。歴史としては1784年、福岡藩9代藩主黒田斉隆が東西の2カ所に「修猷館」「甘とう館」という学問所を設けています。そして明治維新以降は、より積極的な教育機関誘致を展開します。最も重要な転機となったのは、長崎、熊本に競り勝ち「九州帝国大学」(現・九州大学)を福岡市に設立したことです。これによって九州を代表する大学を福岡市に置くことになり、その後多数の教育機関が福岡市につくられていく契機になっています。それまで、優秀な人材は第五高等学校がある熊本市に持っていかれていたことを考えれば大きな転機です。また特筆すべきは女子教育に力を入れていたことです。明治時代、全国でも先駆的な取り組みとして英和女学校、私立筑紫高等女学校、九州高等女学校など続々と設立されています。さらに1921年には、日本初の公立女子専門学校として県立女子専門学校が創立されるなど、こうした男女の分け隔てなく教育へ投資する姿勢は、現在に至るまで受け継がれています。現代に話を戻すと、都道府県別の留学生数においても福岡県は東京都と大阪府に次いで全国第3位になっており、地方都市としては、留学生を多く迎え入れています。海外からの留学生を積極的に受け入れてきたことは、福岡市の目指す「アジアの玄関口」としてもとても有益です。福岡市から優秀な学生が日本、アジアをまたにかけて活動すれば、双方にとっても経済的なメリットにつながります。
・全国政令市で人口密度が高いのは、上位から大阪市、川崎市、横浜市、名古屋市、さいたま市、堺市、そして福岡市となっています。上位を占める都市は、どれも東京・大阪・名古屋という大都市圏に含まれる政令市で、密度が高くなるのは当然とも言えます。そのなかに、福岡市が食い込んでいるという点を高く評価しなければなりません。例えば、札幌市は約1750人/k㎡。仙台市は約1380人/k㎡です。福岡市の約4500人/k㎡と比較すると半分以下の人口密度であることがわかります。都市内の人口密度が高い人口集中地区(DID)の人口密度では、1970年の段階ではDIDの人口/k㎡が8783人であったのに対して2015年には9631人と密度を高め続けています。他の政令都市でDID人口密度を高めているのは、東京に隣接する横浜市とさいたま市だけです。札幌市、仙台市、名古屋市、広島市はDID人口密度は低下しており、福岡市はDID密度を維持できた唯一の地方主要都市と言えます。
・福岡市が最も優れているのは「交通の利便性」です。一度でも訪れたことがある方は実感で分かりますが、特に空港から市街地までのアクセス時間は驚異的です。まず福岡空港からJR博多駅までは市営地下鉄を利用して約5分。都心部の天神もわずか11分で着いてしまいます。国内の他都市への移動におおよそ30分~1時間は要するので比較にならないほどの高い利便性です。また世界規模で見ても、ボストン(5分)、ジュネーブ(6分)、チューリッヒ(10分)に次ぐ、世界第4位、香港、北京、上海などアジア13都市中1位のアクセス時間となっています。また空路の利便性も特徴的です。福岡空港は旅客数、発着回数のいずれも東京国際空港(羽田空港)、成田国際空港に次ぐ国内第3位の利用状況です。利用者数も毎年更新しており、年間約2200万人、離発着回数も約17万回となっています。ただこれだけの本数にも関わらず福岡空港には滑走路が1本しかありません。滑走路1本あたりの離発着本数で見れば日本一となります。そんため福岡空港は「日本一忙しい空港」としても有名なのです。今後滑走路が増設されることになっており、更に利用者数は増加する見込みです。
・都市内交通についても市内を走るバス路線が充実しています。西日本鉄道が運行する「西鉄バス」のバス保有台数はグループ会社を含めると2800台を超え、国内最多となっています。市内から近郊にかけて70の路線で結び、中心地ではバス停もいたるところにあります。1日辺りの輸送人員は約73万人。年間では約2億6000万人にのぼりこちらも日本一です。
・また福岡市は勤め先と住まいが近接していて、公共交通機関だけでなく徒歩や自転車での通勤が容易な都市でもあります。家賃も他都市に比べて安く、中心地に住まいを構えるハードルが低いのも特徴で市民の平均通勤時間は34.5分となっています。
・都市において仕事の選択肢がどれだけあるかは極めて重要です。福岡市は比較的このバランスに優れています。新規創業から上場企業、クリエイティブ産業の新興企業、さらには屋台までの幅広い仕事の選択ができることは、多くの人にとって「福岡で働きたい」という動機に繋がる特徴的な要因となっています。
・創業系、スタートアップの統計では、福岡市は開業率が政令指定都市のなかで第一位となっています。なおかつ、創業している起業人材の年齢が相対的に若く25~34歳の創業者が全体に占める割合は12.3%となっており、こちらも政令指定都市の中で第1位となっています。ちなみに第2位の相模原市が8.7%ということからも福岡市が高い割合であることが分かります。福岡市は国家戦略特区の認定を取り、新規開業者の法人税減税を行うなど、積極姿勢を強めています。街に若い人たちが多く、同世代の若者が自ら起業することが身近に感じられるということは、都市のダイナミクスとしてとても重要です。また若者の挑戦に寛容な都市であるとも言えます。
・そもそも福岡市は政令市で唯一、1級河川がなく、大量の水資源が必要になる二次産業分野が困難な都市です。しかしその不利であるがゆえに工業集積を諦めたことが逆に功を奏してサービス産業分野、クリエイティブ・イノベーション分野の誘致に早期から着手していたことは、今となっては、地域の成長性を確保できている現在、正しい判断だったと言えます。行政主導では1990年、博多湾側にある百道地区に大手エレクトロニクスメーカーの開発拠点を誘致するなどし、LSI設計技術、ソフトウェア設計・インターネット技術などについての集積が進んでいます。民間主導では1990年後半からのネット産業の勃興に合わせて、天神の西隣にある大名やJR博多駅周辺にIT関連産業の拠点が集積しています。九州全体の約5割の情報サービス業、映像・文字情報制作業の就業者数・生産額は福岡市に集まっており、市外でしっかりと稼ぐ産業となっています。
・福岡市の屋台は約110店舗あり、全国の全屋台数の4割を占めると言われます。3坪程度の広さに見知らぬ他人同士が身を寄せ合いながら食事と会話を気軽に楽しむ。その独特な雰囲気は地元民だけでなく、観光客にも好評です。実際に観光資源としての効果も出ており、年間で約115万人が利用し、売上高は約17億円に上ります。福岡市も戦後に屋台営業を禁止したものの、営業者の反発もあり1955年に県側が条件付きで営業を許可しました。これが功を奏して屋台は生き残り、今では観光資源化しています。さらに2013年には公募によって屋台営業への新規参入を可能にする新たな制度改革も行い、自治体側もまちに屋台を残す方策を打ち出しています。これによって福岡市では、他都市にはない「屋台」という一風変わった開業も可能になったわけです。
・福岡市では産業集積と人口増加によって不動産に向けられる投資が今も拡大し続けています。特に着工建築物の工事費予定額の伸び率は、この5年で全国1位で、福岡市で開発投資が呼び込まれているということがわかります。また2017年の都道府県地価調査において、福岡市と周辺部の住宅地の価格上昇が目立っています。住宅地の上昇率1位は北海道・倶知安町で前年比28.6%増です。2位は福岡市・鳥飼7丁目(13.2%増)、5位は福岡市・塩原3丁目(11.4%増)、7位の大野城市(11.0%増)、8位の福岡市・六本松(10.6%増)など、上位に福岡市やその周辺部が数多くランクインしています。何しろ年1万人のペースで人口増が続いているだけに、住宅地の需要は今後も堅調に推移することが予想されています。
・福岡市は空港が都市部に存在するため、航空法による建物の高さ制限が設けられています。つまり、六本木ヒルズや東京都庁のような高層ビルの開発ができないのです。ただこれは、建物の容積を無尽蔵に増やさない「抑止力」としての効果もあり、福岡市中心部が乱開発されない健全な発展に貢献しているとも言えます。しかし近年、市が主導する「天神ビッグバン」という再開発事業によって、国は天神地区の渡辺通りと天神西通りの一帯で従来の76m(17階相当)から約115m(26階相当)の高さまで建てられる大幅な規制緩和を行いました。当然博多駅周辺も高さ制限の規制緩和を求めており、福岡市への大規模投資はまだまだ続く模様です。
・現在の福岡市のベースをつくり上げた明治維新後から戦後の高度経済成長までの歴史では、全国の都市が拡大路線に突き進むなか、一風変わった動きを見せています。例を挙げると、
・まちづくりは行政が主導する時代なのに、民間に主導権を持たせる
・まちのなかで個々人の競争が激しい時代なのに皆が協調して成長する
・工場誘致に沸く時代なのに、早々と撤退する
・空港を郊外移転する時代なのに市街地から動かさない
・市域拡大の時代なのに、開発抑制プランを打ち立てる
このように日本の都市が横並びで「王道」と思われる打ち手を講じるなか、真逆ともいえる道を選んでいることが分かります。つまりまちの特性に沿ったかたちで独自の意思決定を行ってきたことがはっきりと表れているのです。ではなぜ福岡市は他都市と違う方向を目指していたのでしょうか。それは都市を発展させる上で、気の毒すぎるほど多くのハンディキャップを背負っていたからです。もはや他都市と同じ発展をたどることはできない。当時、そう考えた福岡市で活躍する人々は独自路線を模索し、大胆な舵取りを行わざるを得ませんでした。そしてその後押しをしたのが行政です。福岡市は、まち作りの主導権をあえて民間に譲っています。「民間でできることは、民間で」という行政と民間の棲み分けを明確にすることで、市民も自分たちで知恵を出し合い、「市民実行型」の様々な方策に取り組んでいます。行政と民間双方の考え方や取り組みは、当時の日本を取り巻く大きな流れと比べると、まさに「常識破り」だったと言えます。ところが今、それら一つひとつの「常識破り」を長期的な視点で見直せば、実は極めて合理的な打ち手であったことが分かります。
・明治維新以降、中央集権化を進めるなかでのまちづくりは、行政主導で行われるのが主流でした。そのなかでも特徴的なのが、国策的につくられた都市です。
1つ目は、「殖産興業」を推進した都市です。
北九州市のように、官営工場を置いて多くの人を集めるという方策です。国側が産業開発の政策を展開し、その拠点として選ばれた地域を発展させるモデルです。
2つ目は、政府の出先機関を設置した都市です。
国の様々な政策を全国各地に行き届かせるために、都道府県や市町村への伝達や予算を執行する目的で、地方に各省庁の出先機関が設置されました。九州エリアの場合、こうした機関はもともとは熊本市に集中していました。そのため当時の熊本市は接待なども盛んになり、地域内のサービス産業が大きく伸びています。また軍関連施設も都市の発展に寄与します。例えば「軍港指定」を受けた横須賀市、舞鶴市、呉市、佐世保市は著しく発展し、造船業などの関連産業で沸きました。政府の出先機関ではありませんが、県庁所在地であるかどうかも地域の発展に大きく左右されます。行政業務がその地域に集中するほか、都道府県内の市町村から様々な調整などで訪れる人が多くいるので自ずとホテルや飲食などのサービス関連産業が集積するのです。
3つ目は、行政によって一斉に行われた大規模な都市開発です。
東京でも関東大震災による災害復興、東京大空襲による戦後復興といった大規模な開発は行政主導で推進されました。
・軍港都市は戦後の軍需の喪失で大きく衰退しました。舞鶴市、呉市などは言うまでもなく、今も米軍基地が残る横須賀市や佐世保市でさえも衰退しています。横須賀市にいたっては、人口減少数日本一になるほどです。また官営工場などが置かれた都市時代の変化についていけず、富岡市や北九州市も衰退の道をたどることとなりました。行政主導の都市開発は一度でも斜陽を迎えると、地元住民が頑張ってどうにかなるレベルを超えた問題となり、そうなるともはや衰退の道しか残されていないのです。その一方で、福岡市の都市開発の歴史はひと味違います。明治維新から現代にかけての歴史をたどっても、行政の計画でまちが大きく成長したという例があまり見られないのです。むしろ民間が都市の未来像をしっかりと描いて投資し、都市に必要な公共機能を自分たちで誘致することで発展させています。それは「常識破り」としか言いようがありません。福岡市の民間による地域活性化、都市開発力は「都市発展の手本」と言っても過言ではないでしょう。
・福岡市は、明治維新で生じた利権をほとんど享受していません。というのも明治維新の直前、福岡藩の役人たちが「偽札問題」を起こしてしまったからです。藩主交代を余儀なくされるなど、混乱を極めたまま新政府の時代へ突入し、大きな財政難を抱えることになりました。武士階級の人々も禄を得ることができなくなり、上級武士の邸宅が並んでいたと言われる福岡(現在の天神にあたる場所)は大きく衰退することになったのです。
・発電事業において大切なのは、受給バランスのとれた安定的な電力供給です。夜間は伝統が使われるので一定の電力供給が担保されるものの、当時は「家電」が登場する前の時代です。家庭の電気需要は乏しく、昼間の電力供給先をどうするかが課題となります。そこで電灯会社は昼間の電力利用という目的と、人口増加による市街地での大量旅客移動手段として、路面電車を走らせる事業を各地で始めました。福岡市も「博多電燈」などの民間電力事業が始まったことで、地元の財界関係者が民間で路面電車を走らせることを計画します。どうにか共進会に間に合わせて「福博電気軌道」を開業。大いに儲かりました。この福博電気軌道はその後、博多電燈などと合併し、戦前の五大電力会社の1つである「東邦電力」の一部門となり、最終的に現在の「西日本鉄道」となります。博多の呉服商である渡邉興八郎氏も福博電気軌道の誕生に刺激され、独自の路面電車開業に尽力します。鉄道敷設に必要な用地買収を進め、整備事業を推進し、福岡市内と近隣を周回する「博多電気軌道」を設立したのです。こちらものちに西日本鉄道へと合流することになります。
・戦後の福岡市は、大空襲によって焼け野原となり、それによって天神周辺は闇市が立ち並ぶ無法地帯化していきます。そこで、戦後復興と公正取引を推進するため、学校跡地を活用して商店街開発を計画。創設準備委員として空襲で店を焼かれた商店の店主たちを中心に活動が始まりました。参加者を西日本新聞上で募集。なかには、天神から遠くへ疎開した商人を呼び戻そうとする営業マンもいるほどの力の入れようでした。商店街というのは、同業者に対して排他的になりがちですが、新天町商店街は逆の発想をします。「競争があるところに人が集まる」との考えで、「1業種、2店舗」という先鋭的なルールを設けました。そして600店の応募の中から厳選し、1946年に創業へと漕ぎつけたのです。新天町商店街は底地を新天町商店街商業協同組合が保有しています。また組合の子会社が建物を建てて貸し出すというディベロッパー機能も持っています。組合が不動産を保有しているため、新たなテナントを募集する際も、計画的かつ自立的に行えます。また従業員用の食堂があるなど、福利厚生までをもカバーする特異な商店街です。
・福岡市は日本全国を結び、九州全土も結ぶ、複合的で強力なハブ機能を持っています。空の玄関口・福岡空港。地上では、新幹線と在来線が乗り入れる博多駅。この2つの拠点が福岡市内の中心部に存在します。福岡空港は全国有数の主要空港です。離発着数は東京羽田、成田に次いで全国3番目、年間で約2000万人を超える人が利用しています。貿易額は1兆円を超え、成田、関西、中部に次いで全国第4位です。博多駅は民営の九州鉄道の駅として開業後、国鉄として合併され、鹿児島、熊本、長崎、佐世保、大分など九州の主要都市を結ぶハブとして大きく発展します。また新幹線停車駅の役割も大きく、1975年に山陽新幹線終着駅として開業後、2011年には熊本、鹿児島中央を結ぶ九州新幹線も開業。新幹線によって東京、名古屋、大阪、広島をも接続、また、博多駅から九州内をシームレスに接続します。自動車の場合、福岡空港からすぐに福岡都市高速に乗ることができ、そのあとは、九州自動車道に接続する太宰府インターチェンジへも至近で、そこから長崎、大分、熊本などへ接続します。民間の交通会社である西日本鉄道は、グループ全体でのバス保有台数で日本一を誇り、博多駅から周辺地域へ縦横に張りめぐらされたバス路線網を有しています。鉄道では、天神駅から久留米、大分といった福岡県内の主要都市を結ぶ西鉄天神大牟田線があります。また福岡市営地下鉄はなんといっても福岡空港と博多駅をたった5分で接続する世界屈指のアクセル力を生み出しています。さらに博多港はクルーズ船の寄港数で日本一、外国航路の乗降人員数も日本一です。このように国内や海外の主要都市との結びつきが強いだけでなく、そこから先、博多駅周辺からその先までもストレスなく接続できます。これは日本全国を見渡しても驚異的ともいえる利便性です。
・もともと福岡市は戦前から空港が重要な役割を担っていました。その理由は、東京や大阪など国内の主要都市と離れていたため鉄道では時間がかかりすぎてしまうこと。もう1つはかつて国土を拡大していた旧日本において、中国大陸、朝鮮半島、東南アジアの主要都市を結ぶ民間航空路線としての需要が大きかったためです。現在の福岡空港は終戦直前の1944年に旧日本陸軍によって急ぎ整備されてあものです。終戦後、アメリカ軍に接収され「板付基地」と称し運用されます。その後、1950年に勃発した朝鮮戦争では、朝鮮半島の前線基地として周辺の土地の接収とともに拡張が行われ、空港機能が一気に増強されました。不幸な歴史背景ではあるものの、早い段階から軍用機、ジェット機利用にも耐えられる滑走路が整備されたことはのちのプラスに働きます。
・1970年以降、飛行機のジェット化が進むのを機に、全国各地の空港は80~90年代にかけて都市部から郊外への大規模な空港へと移転していきました。理由は大きく3つあり
①土地の問題(ジェット機用拡張ができない)
②騒音の問題(住民)
③安全の問題(落下物の危険)
が挙げられます。
空港移転の理由はもう1つ。政治と地元企業からの要請という裏の面もあります。1970年代以降は地方で公共事業が一気に拡大した時期です。「均衡ある国土の発展」という錦の御旗を掲げ、郊外に広い土地を買収し、そこで展開される大規模な土木事業を受注するために、新たな地方空港建設を積極的に推し進めるのです。これは「交通結束点としての空港」という考え方ではなく、地元土建事業者の利潤が目的であるため財界が推進するのです。福岡空港も都市化による発展のなかで、移転についても大激論が幾度も巻き起こっています。国土交通省、福岡県、福岡市が合同した福岡空港調査連絡調整会議は、2005~09年にかけてパブリック・インボルブメントを実施。結果、郊外移転せず、市街地空港のままで機能を増強することを正式に決定しました。現在ターミナルの再整備、滑走路増強を推進しています。
・空港移転によって失敗した代表的なケースは広島空港です。もともと広島空港は広島市内の瀬戸内海側にありました。しかしジェット機時代の到来と共に手狭となっていきます。現状での滑走路の拡大は難しく、騒音公害による反対運動も強い。また広島県全域を見た時、西側に偏った立地も問題とされていました。その後、地元財界も空港大規模の必要性を説いて、1993年、広島県の中心に位置する三原市の山間に新広島空港として開業しました。その後、新広島空港から広島空港へ改称、市街地にあった旧広島空港は広島西飛行場へ改称し、2011年に廃港が決まりました。旧広島空港では年間200万人を超える利用者がいました。一方で、新空港の立地場所は広島県を代表する二大都市の広島市、福山市との間に位置するため、当初は利用客も倍増すると見込まれていたのです。しかし2016年現在の年間利用者数は約288万人にとどまっています。広島空港の移転は広島県としてみれば政治的にもバランスの取れた決着だったのかもしれません。しかし実際は広島市と福山市どちらへ行くにも約1時間かかる不便な立地です。現在の広島空港は利用客が倍増するどころか、鉄道や他県にも分散してしまう悲惨な状況となっているのです。
・かつての工場誘致の失敗は、水源の問題がネックとなりました。福岡市は政令指定都市の中で唯一、一級河川がありません。この水源問題は工場の運用だけに留まらず、人口増加への制約にもなるのです。人口が増えれば当然、水を使う量も増加します。しかし休息に進む市域拡大、人口増加による水の需要増に水源の確保が追いつかず、戦後1967年までは、毎年取水制限が行われるなど、慢性的な水不足問題を抱えていました。その後、徐々に改善していったものの福岡市にさらない追い打ちがかかります。1977年の夏から翌春に起こった天候不順で降水量が例年の70%以下となり、1978~79年にかけて大規模な渇水に見舞われます。給水制限は1日14時間、実に287日もの間、実施されました。この経験を繰り返さぬよう福岡市は、水源確保とともに消費量を抑制する「節水型都市づくり」を掲げるようになりむやみな市街地開発は制限されるようになりました。市民に対しても節水型機器の指定やバルブ調整による減圧給水を行い、蛇口の中に入れる節水コマの利用などを求めています。また大規模建築物を建設する際には節水計画書を市長に提出することが義務づけられています。
・当時の福岡市は政府の関連施設が乏しい状態でした。そんな時、文部省が九州内での帝国大学設立を計画するのです。福岡市はこの時、何としても市内へ大学を設立するために、いち早く誘致活動に乗り出しました。しかし、ここでも当座予算の問題にぶつかり、市は商工会関係者に相談をします。そこで地元財界人であった渡邉興八郎氏は即座に多額の寄付を行い、用地の融通にも貢献します。帝国大学誘致合戦は、当初、福岡、熊本、長崎との争いで始まりました。その後は、熊本との一騎打ちになりますが、国との交渉の末、福岡市は熊本市に競り勝つのです。熊本市側は行政が中心となって動いていました。地元にはすでに官立の第五高等学校があるので帝国大学設置は順当だろうと高をくくった姿勢があだとなり、渡邉氏を中心とした福岡市の官民協力態勢に負けることになったのです。福岡市の人々のみならず、熊本市の人々もまた「九州帝国大学の福岡市設立」は、九州における拠点都市としての逆転を決定づけた出来事だと語ります。これまで九州内での有力な都市は熊本市でした。新政府の関連機関が集積し、行政拠点としてのポジションを確立。学問でも、九州内の優秀な人材は第五高等学校を目指して集まっていました。しかし帝国大学が福岡市に設立されたことで、優秀な人材は九州帝国大学のある福岡市へと流れてしまったのです。この転換点を経て、福岡市の管理中枢都市としての機能は強化され、国の出先機関も熊本市から福岡市へと一気に移転されます。その後、九州帝国大学から九州大学へと名前が変更。九州大学を筆頭に様々な大学を集積する都市へと成長します。
・渡邉氏は、官民で行う仕事を成し遂げた人物です。路面電車開通での用地買収の際、線路として使う道路中央の部分以外は、道路として福岡市に活用させています。そして道路周辺の土地も段階的に開発を行い、地元の発展に寄与していきます。公共資本と民間資本を横断して開発を推進するという考えは極めて合理的です。だからこそ渡邉氏による都市開発は将来の都市の発展をしっかりと見据えた中長期目線の「投資」として機能しています。地元の発展は地元資本を投資した人々に必ず利益をもたらします。都市の発展で得するのは役所ではなく民間です。だからこそ、民間による都市開発への投資は大切なのです。現代でも市民が地域のために私財を投資することは可能です。役所任せにするのではなく、自らが出せる範囲で資金を出し合い、発展に必要な事業に投資していくことこそ、都市発展の基礎に通じるのです。
・戦後の福岡市で「多くの人が参入すること」「都市外から稼げること」「稼ぎを地域に還元・投資すること」という3つの要素を備えた産業が誕生しました。その中核を担ったのが、博多明太子をつくり出した「ふくや」です。「明太子」はすでに日本全国に知られたお総菜です。福岡のお土産だけでなく、身近なスーパーでも買い求めることができます。これは、戦後に「ふくや」の創業者である川原俊夫夫妻が開発・発売し、その後日本中に広がったものです。福岡市の1軒のお店で開発された商品に多くの起業が参入して、2007年には1900億円を超える市場規模で頂点を迎え、現在も1200億円規模で維持しています。
・福岡市は実は通販企業が多数集積する通販都市でもあります。市内に本社を置く通販企業は「キューサイ」「やずや」「エバーライフ」「あさひ緑健」など多数存在します。帝国データバンクの調べによると、九州沖縄地区全体では売上高上位50社の売上高合計は約2000億円。その背後にあるコールセンターなどの雇用を見ても一大産業と言えます。実はこのような通販企業群が生まれた背景にも「ふくや」が大きく貢献しています。
・福岡市の都市発展にはいくつもの新技術の積極採用と展開があります。その特徴として他都市より遅れずに新技術に対応する官民がいること。他都市よりも強く推進すること。そして広域でその新技術のサービスを統合して基盤をつくり、その会社の本社を自分の都市に置くこと。という3つが組み合わせられたことで福岡市の競争力を高めていきました。
①新交通技術の積極採用とハブ化の推進
②電力、ガスといった新エネルギーインフラの中心地へ
③新サービス産業技術・業態が導入され、九州全体の商業中心地へ
良かった本まとめ(2018年上半期)
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