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東海道五十三次 街道をゆく 沼津宿~田子の浦 (1)沼津宿~原宿

2016年08月22日 01時00分00秒 | イベント・外出
 阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第13回目の沼津宿~田子の浦 (1)沼津宿~原宿について紹介したいと思います。

 今回もいつものように東京駅で7:30に貸し切りバスに乗り沼津へ行きますが、渋滞に巻き込まれて、到着は11時過ぎでしたね。

 沼津城跡の中央公園で準備運動を軽くして、それから沼津在住の方から沼津の歴史について学びます♪


↑準備運動

 沼津宿は、江戸の日本橋から12番目の宿で距離としては約120kmで、普通は3日かけて江戸の日本橋から歩いて来たようです。

 沼津城(当時は三枚橋城)は、武田勝頼が1579年に築城し、その後1582年に武田家は織田信長に滅ぼされ、関ヶ原の戦いの後は1601年に大久保忠佐が2万石の城主となったようです。

 その後1614年に廃城となりましたが、水野忠友が1777年に築城を許され、その養子の水野忠成が家督を継ぎ、江戸幕府の老中となり、いわゆる文政の改革と言われる貨幣改鋳に成功し、5万石まで加増されたようです。


↑沼津城のあゆみ

今は城跡と思われるものは、まったく残っていませんが、少し歩くと、三枚橋城外堀石垣が残っていました♪
当時の石垣とは貴重ですね♪


↑三枚橋外堀石垣

それから、沼津宿の中心地となり、本陣跡などが3つほどありました。
この辺りも今ではまったく当時の面影もありませんね。
少し残念です^_^;)


↑高田本陣跡


↑中村脇本陣跡


↑清水本陣跡

てくてく歩いていると、左手の方に駿河湾に沿って狩野川河口から田子の浦港まで約10kmにわたって千本松原とのことでした。
建物の間から千本松原が見えます♪


↑千本松原

 千本松原という名称ですが、実は約30万本以上も松が植えられているようです。
全然千本ではありません^_^;)
30万本以上とはものすごい数ですね♪

 実はこの松原は、昔から農民が防風・防潮のために植えていましたが、武田勝頼が駿河攻めのために伐採し、それを増誉上人が5年の歳月をかけて千本植え直したので、千本松原と言われているようです。

 なお、大正時代にも伐採の危機がありましたが、若山牧水らの反対運動により免れたとのことです。

 それから約2kmほど歩くと、「沼津藩領境榜示杭」がありました。
 1777年に、水野出羽守忠友が2万石の大名として10代将軍徳川家治から沼津に城地を賜り、築城を命じられ、翌1778年に城地を引き継ぎ、沼津藩創立と共にこの「榜示杭」が設置されたようです。
人々に領域の所在をはっきり示すのが目的だったようです♪


↑沼津藩領境榜示杭

そして、さらに1kmほど歩くと、「松長 一里塚」跡がありました♪
ここも残念ながら一里塚跡の碑があるだけで、当時の面影がまったくありませんね^_^;)
なお、今回のウォーキングは史跡がほとんどなく、しかも渋滞で遅れたためか、ひたすらテクテク歩きます♪
今まででもっとも速いペースで歩きます^_^;)


↑松長 一里塚跡

そして、原宿の見附跡を通って松蔭寺へ到着し、バスの中で弁当となりました♪
13:30過ぎだったので、お腹ペコペコで、弁当が美味しい♪
次回はこの松蔭寺や白隠禅師について紹介したいと思います♪


↑弁当

お勧めなお話(2016年上半期)

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