「新鉄客商売 本気になって何が悪い」の購入はコチラ
「新鉄客商売 本気になって何が悪い」という本は、逆境と屈辱の中、会社発足30年目にして2016年に株式上場を果たしたJR九州の現会長が、その本業である「鉄道事業の改革」と「新規事業への挑戦」を本気で実行した内容を具体的に楽しく明らかにしたもので、前著「鉄客商売」以外の内容を書かれた続編となります♪
前著の「鉄客商売」の購入はコチラ
とにかくどのエピソードも笑いがあって面白く、またその仲間であるデザイナーの水戸岡鋭治さんとの各章に関する対談が各章末にもあってその内容が補足され、とても楽しめます♪
主な内容は以下となります♪
・4ヶ月の素晴らしい企業文化を持ち感動を与えられた丸井での研修
・韓国釜山との「ビートル」国際航路開設(韓国のケンチャナヨ課長等)
・外食事業への着手(手作りの大切さ、スーパー歌舞伎三代目市川猿之助との関わり(うまや赤坂店)、対決型キャンペーン等)
・素晴らしいメンバーの南九州観光調査開発委員会での即決・実行(各地域の観光列車製造・運行、各駅舎トイレ等改装・整理・整頓・清掃・競争等)
・新規事業にはエースを投入
・農業参入(自然との折り合い)
・世界一を目指した「ななつ星 in 九州」(エル・ブリからの学び等)
改めてJR九州の「ビートル」や「ななつ星 in 九州」、その他のD&S(デザイン&ストーリー)観光列車には乗ってみたいし、「うまや赤坂店」等にも行ってみたいと思いましたね♪
丸井でも買い物をしたいと思いました^_^)
それから繰り返し述べられていますが、会社や職場、店、従業員一人一人に「気」を満ちあふれさせることが大切で、そのための5つの法則は以下となりナルホドと思いました♪
(1)スピードのあるきびきびとした動き
(2)明るく元気な声(挨拶や会話)
(3)スキを見せない緊張感
(4)よくなろう、よくしようという貪欲さ
(5)夢見る力
「新鉄客商売 本気になって何が悪い」という本は、JR九州躍進の本気内容やその裏側が明るくよく分かりとてもオススメです!
それから読む順番が逆となってしまいましたが、ぜひ前著の「鉄客商売」もこれから読んでみたいと思います♪
以下はこの本のポイント等です♪
・丸井にとって当たり前の日常習慣は、九州の鉄道会社から来た人間に、半年前まで国鉄に勤務していた者に、とてつもなく大きなカルチャーショックを与えた。始業の15分前、8時45分。私の所属する企画室のメンバーがおもむろに動き出した。全員で部屋と身の回りの掃除を始めたのだ。ゴミを集める。机の上を整頓する。床にモップをかける。中には窓ガラスを拭く人もいる。「1日たった5分でも、1年間で20時間も清掃したことになります」窓ガラスを拭いている社員が私に聞こえるようにつぶやいた。毎朝10分、本社のすべての職場で全員が掃除を行う。部長も課長も参加する。この習慣は今も同社で続いているという。
・後年、いろいろな会社の職場に伺ったが、業績のいい会社ほどオフィスや、工場でいうなら作業場の整理・整頓・清掃が行き届いていることを知った。そのことを最初に教えてくれたのが丸井学校だった。
・唐池:丸井の研修では今に活きる奇跡的な4ヶ月になったと思うですが、私がまず丸井的なものを取り入れたのはJR九州の鉄道事業本部の営業部長になったとき。私が丸井の初日に受けた歓待をすべて実践させたんです。別の部署から新しい人間が異動してくる初日には、新しい名刺をきちっと用意しておき、歓迎のカードをデスクの引き出しに入れ、ロッカーには花束を模したリボンを。これを新ルールとした。
水戸岡:JR九州の社員の方に聞きましたよ。営業部だけでなく他部署にも広まったと。
唐池:それから営業部にいらっしゃる外部からのお客様は立って出迎え、立って見送るようにした。そしてなんといっても「絞り込み」の論理。これは私の仕事術にとても効いた。ターゲットの絞り込みもさることながら内部のプレゼンテーションも絞り込めと。お役所的なプレゼンではなく絞り込んで最初に結論から持ってくるべき。総論も背景も要らない。まず「何をやれば儲かるか」という結論をプレゼンしろと。
・「一に玄海、二に日向、三、四がなくて五に遠江」漁師達の古くからの口伝えのひとつだ。日本近海で最も潮の流れが速く波が荒い海域が九州と朝鮮半島に挟まれた玄界灘で、二番目が宮崎県沖の日向灘、次に静岡県沖の遠州灘と数えている。博多港からこの玄界灘を突き抜け韓国の釜山に繋がる海上ルートが、古代から大陸と日本を結ぶメインストリートであった。長い歴史の中で、多くの人が往来し、文化や経済の交流をもたらした。しかし現代と違って造船技術や気象舗装の拙劣な時代に、海路における難所中の難所を越えるのだから命がけの渡航になったに違いない。博多~釜山に高速船「ビートル」の定期便が就航したのが1991年3月。使用船はジェットフォイルと呼ばれるボーイング社が開発したウォータージェット推進式の水中翼船だ。水中翼によって船体が海面から2メートル持ち上がり、波の影響を受けにくく深いな動揺がない。航空機なみの強力なガスタービンエンジンで駆動するウォータージェットポンプから勢いよく海水を噴射して高速航行を行う。45ノット(時速83km)という海上走行としては世界最高水準の速度で、博多~釜山を約3時間で結ぶ。3mの高波でも安定した航行が可能だ。運行主体はJR九州だ。1987年、国鉄の分割民営化により誕生した九州の一鉄道会社が未経験の旅客船事業に乗り出すことになった。
・唐池:焼き鳥やカレーを通じて、外食事業ならではの「手づくり」という概念を得たことはその後の仕事にも大いに役立ちました。やっぱり手間を惜しまずにやったことがヒットしますよ。
水戸岡:唐池さんの放った外食の大ヒットといえば、1996年にオープンしたキャナルシティ博多の「うまや」もそのひとつ。そのキャナルシティ博多は当時、九州の経済界をあっといわせた現在の複合商業施設の走りだったわけですが、それを手掛けた「伝説のデベロッパー」籐賢一さんが実に粘り強くしつこくお仕事をされる方で。
唐池:確かに水戸岡さんもいつも相当にしつこい(笑)。もっともそうでないとななつ星みたいなものはできませんけれど。
水戸岡:キャナルシティのオープニング前日深夜、籐さんは工事の人間たちに交じってタイルの張り替え工事をしていたんです。たまさか私はその現場に居合わせて、「何やってるんですか!?」と尋ねたら、「明日オープンなんだけど気に入らないから修正してる」って。
唐池:(爆笑)
水戸岡:「間違いがあれば、最後まで直す。金の問題じゃないんだ!」って。それを聞いた時に「あぁ、正しいな」と思ってしまった。だから私も今は列車が走る瞬間まで、もしくは走り出しても間違ったことがあれば変えた方がいいと考えています。
・つねづね外食業はメーカーだという自負をもって仕事をしてきた。仕入れた原材料を店で加工(調理)して付加価値の高い製品(料理)をつくり出す。まさにメーカーそのものだ。外食業はものづくりの仕事なのだ。当社が営んでいた鹿児島の「印度屋」のカレーソースは、十数種類の香料を店長自ら調合し、鉄板で炒めてつくり上げた。川内の焼き鳥屋「驛亭」は、焼き鳥の肉をすべて店でカットし、店の従業員総出で串刺しを行った。新会社の創業から1年間はそういった「手づくり」を徹底していた。当然、両店ともその「手づくり」の料理がお客様から高い評価を頂いた。3年後、本社から三代目の社長として戻って赴任するやいなや、悲惨な状況に愕然とさせられた。私が同社を離れている間に「手づくり」を次々とやめ、レトルトや冷凍といった半製品を仕入れ、店でほとんど手を加えずにお客様に料理として提供しているではないか。鹿児島地区の店舗視察から本社に戻り、すぐに本社の部長たちに指示を出した。「外食業の原点は、ものづくりにある。私たちJR九州フードサービス株式会社は今からただちにメーカーに戻る」1ヶ月ほどえカレーソースと焼き鳥は「手づくり」に戻した。年度1億円の赤字は、一気に三千万円の黒字に転換した。
・南九州観光調査開発委員会は、回を重ねるごとに議論がますます活発になっていった。飛び出す意見もますます過激に。開催場所も福岡に限定せず、霧島、人吉、宮崎、由布院と視察を兼ね、九州各地を”転戦”するスタイルとした。固定のメンバーに加え、開催地の地元の有識者にもどんどん委員会にゲスト参加を請うことにした。当該の地元での観光やまちづくりの課題についてもテーマとして取り上げ、その結果過激な意見を躊躇なく繰り出す委員たちと、地元のゲスト委員たちとの間で激論が展開されることも少なくなかった。委員会の視点も、単なる観光のことから、地域のまちづくり全体へといつしか移っていった。やがて、委員会の議論は会議室の中だけに留まらず、あっという間に実際的、具体的かつ立体的なアクションへと繋がってゆくこととなった。第2回委員会だっただろうか。初回では淑女然としていたはずの神崎さんが、いきなりこんな提案を投げかけた。「JR九州の特急列車って、他の地域のJRと違って、とてもユニークで楽しい。デザインもおしゃれで、客室乗務員のサービスも嬉しい」隣に座っている我が社の特急列車を数多く手掛けるデザイナーの水戸岡さんにときどき視線をやりながら、話を続ける。「そこで、せっかく毎回委員会で各地をまわっているのだから、その地域にマッチした観光列車をつくっていったら、きっとその地域のまちおこし、まちづくりにもプラスになると思います!」(ありゃりゃ!)そう思ったのも束の間、この意見が委員会の全会一致で採用となった。(ひとつの列車をつくるのに相当な時間と資金が要るのに!)事務局、すなわち私は困惑の極みにあった。多額の予算、長大なスケジュールを要する提案が、目の前を通過しようとしている。横で、石原委員長が私の気持ちを察してくれたのか、真剣な面持ちで全会一致に対する見解を述べようとしてくれている。なにしろ石原さんは我が社の社長なのだ。「やりましょう!」(?!)開いた口がふさがらないまま、ひとり頭が真っ白になっている私だった。しかし、我が社が偉いのか、石原さんがはやりエラいのか。委員会発足から正味8ヶ月足らずで、鹿児島中央~吉松に特急「はやとの風」が、吉松~人吉に「いさぶろう・しんぺい」が、人吉~熊本~大分に「九州横断特急」などなど続々と運行を開始した。(*運行ルートはいずれも当時のもの)。運輸部長が大汗をかいてスジ(運行ダイヤ)を引き、水戸岡鋭治さんが寝る間も惜しんで線(デザイン画)を引き、文字通り信じられないスピードで列車は走り出した。いずれの列車も、現在も我が社が誇るD&S(デザイン&ストーリー)列車として、国内外の皆様からご愛顧をいただいている。ただし、運行開始の以前に同委員会で悲喜こもごものストーリーがあったことは、私どものみが知るところとなっている。
・第2回の委員会で福岡の老舗菓子店の女将・石村一枝さんから女性らしい、そしてお客様を相手にする老舗らしい提案が寄せられた。「旅の入口は駅ですよ。駅を綺麗にするべきです」(そうだ、そうだ)「特に、駅のトイレが汚い!」仰せのとおりであった。ただちに、九州内の主な駅のトイレの改修にとりかかった。南九州観光の拠点となる、砂蒸し風呂の指宿駅、全国的にも知られる名宿「雅叙園」や「妙見石原荘」の最寄り駅である隼人駅、温泉郷とパワースポットへの玄関口たる霧島神宮駅は、水戸岡鋭治さんのデザインで、トイレのみならず駅舎の内外装ともに鮮やかなリニューアルが施された。もちろん、トイレも水戸岡デザイン。このような経緯もあって、JR九州管内の駅や施設、列車は本体もさることながら、トイレも全国でも珍しいほどに凝ったデザインだと思う。一方、予算規模のこともあり、すべての駅にデザインのリニューアルを施すわけにはいかないという実情もあった。これについても委員会はエラかった。熊本県の八代駅から鹿児島県の隼人駅までを走る肥薩線には1903年(明治36年)につくられた嘉例川駅をはじめ、歴史ある駅が沿線に続くのだが、委員会のメンバーは初めて見た瞬間から「素晴らしい!」と激賞してくれた。そして、水戸岡三はもっと偉かった。「昔の人がすでにちゃんとデザインしてくれている」のだから、デザイン改修工事など施す必要はないと言い切った。実際、水戸岡さんと私と施設の責任者、工事責任者とで「ライブ会議」と称して、猛烈な勢いでおこなった駅のリニューアルでは、余計な掲示物やポスター類の撤去、行き届いていなかった掃除のやり直しと徹底、什器の配置変更といった整理・整頓・清掃により、本格改修が施されなかった駅もすべてが見違えるような姿に生まれ変わった。
・この委員会では、先の景観を表彰するものと共に、観光推進の視点からテレビ・新聞・雑誌の各メディアのコンテンツを対象とする「南九州魅力発掘対象」という賞も制定された。これはカナダのある地域の観光局が、その地域を取り上げたメディアの記事を「勝手に」表彰する賞を創設し、軌道に乗っている事例に倣ったもの。「勝手に」というスタンスがいかにも我々らしくていい、と満場一致で、そして例によってもの凄いスピードで策定された。同賞は、今年2017年でちょうど10年目を迎え、昨年からは九州全域の観光推進に貢献頂いたものを対象とする「九州魅力発掘大賞」として発展を遂げている。ちなみに2017年の大賞は、2016年3月及び4月に放映されたNHK総合テレビ「ブラタモリ(熊本城/水の国・熊本)」。表彰式では、くまモンも登壇し、福岡出身のタモリさんから「意識しなくても、人に九州の話をするときはどうも自慢げになっているみたいでして、「ブラタモリ」もこと九州に関しては、自慢げなところが出てしまいます」とメッセージを寄せていただいた。あくまで「勝手に」表彰したまでだったが、表彰式は一段と盛り上がり、誠にありがたいことであった。
・水戸岡:南九州の仕事でとりわけ印象深かったのは古い小さな駅のリニューアル。肥薩線沿線で矢継ぎ早におこなった「ライブ会議」は本当に痛快でした。
唐池:駅ごとにおよそ30分ずつ。「ハイ!次、ハイ!次」とリニューアル内容を決めていく。特別に工事を施した一部の駅を除いてほとんどの駅が「整理・整頓・清掃」で見違えるように生まれ変わった。ゴミ箱をなくそう。不細工に貼られたポスターをはがそう。傷んだサッシは修繕しよう。徹底的に「整理・整頓・清掃」を指導して、デザインは一部の駅にほんの少し。それで肥薩線全体が見違えるように輝きだした。
・残念なことに「エル・ブリ」は2011年7月に閉店し、私が訪れた「セビリアのエル・ブリ」も今はもう営まれていない。フェラン・アドリア氏らがさらなる研究に邁進したいと、レストランでなく料理の財団を運営する形を選択したと聞く。閉店の七年前に、その料理の世界を体験できた私は幸運な人間のひとりだったと思う。そんな世界一のレストランは、私にいくつかの大切なことを教えてくれた。
その1:「気」に満ちあふれた店は、お客様を呼び込み繁盛する。
その2:明るく元気な声は「気」を呼び込む。
その3:迅速できびきびした動きは「気」を呼び込む。
その4:予約がとりにくいことや予約のときにコネもツテも通用しないことがブランド力を高める
・当然基本中の基本である「気」を満ちあふれさせるための5つの法則も何度も唱えることになった。
1 スピードのあるきびきびした動き
2 明るく元気な声(挨拶や会話)
3 スキを見せない緊張感
4 よくなろう、よくしようという貪欲さ
5 夢みる力
・「エル・ブリ」から学んだもうひとつのこと。予約が取りにくくとも、厳正な基準を設けた予約受付の姿勢を示すことがブランド価値を高める。このブランド戦略は数年後に準備をはじめた「ななつ星in九州」に大いに活かされた。(ななつ星は予約受付の際、コネやツテは一切排除しよう)
・翌朝、仲さんを呼んで私の決意を伝えた。「やはり、王さんにも断ろう」。厳正な抽選で選考することを王さんに説明し、納得してもらうことにした。ひと晩を経た仲さんもやはり同じ意見だった。さっそく、王さんに電話を入れた。「それはそうですよね。わかりました」王さんは、やはり世界の王さんだ。すぐに理解を示してくれた。その後、何度か東京の政治家センセイや財界の方々から、ななつ星のチケットを融通してほしいとの連絡をもらった。かなり粘られたこともあった。しかし、執拗に食い下がる人にも、この決めぜりふが効いた。「すみません、あの王さんにも断りました」王さんの偉大さをあらためて実感した。しかし、王さんは抽選と言った途端になぜあんなにあっさりと納得してくれたのだろう。プロ野球通の知人に尋ねると、明快な答えが返ってきた。「そりゃあ、王さんは毎年ドラフト会議で抽選していますから」
・水戸岡:印象的だったのは、私がななつ星のお客さまに出す料理の皿について悩んでいたとき、「白でいいよ、「エル・ブリ」も白だったもん」と唐池さんが言ってくれたこと。
唐池:お皿はキャンバス。料理が綺麗なら、それで絵になるからと。確かに言いましたな。
水戸岡:ああいう瞬間にさっと解決策を出してくれるのって、デザイナーの立場だと本当に救われる思いなんですよ。それから驚いたのはななつ星の車両の位置。例えば、新幹線の発想ならいちばん高額な客室車両は編成の真ん中にあるべきと考えられている。
唐池:でも、ななつ星はいちばん前をホテルでいえばメインロビーに当たるラウンジカーとして、最後尾7両目の2部屋を最高級のデラックススイートとした。
水戸岡:いちばん後ろは眺めも最高。だからいちばん高級なお部屋に提供する。これが唐池さんの結論でした。このプランは車両課をはじめ皆さんから大反対を食らいましたが唐池さんはつっぱねた。入り口でもあるメインロビーたる一両目からデラックススイートのお客さまを最後尾まで歩かせるなんて発想も鉄道事業ではありえないものでした。
唐池:やっぱり、私が外食事業に携わっていたからでしょうな。レストランをはじめとしたサービスの施設に着いて私は「神社参道論」という持論をもっていまして。神社がありがたいのは結局参道がなんだか眺めがよくて清らかでいい気分にさせるからではないかと。伊勢神宮も、明治神宮も、地元福岡でいえば太宰府天満宮も長い参道にいくつも鳥居や門があって、やたらと歩かされるけれど、なんだかありがたくていい経験をした気分にもさせられる。「エル・ブリ」をはじめ、名だたるレストランはエントランスを入ってから、それなりに歩かされて、よい席ほどそこに辿り着くまでいくつも場面転換があるでしょう。
水戸岡:ななつ星は一両目から最後尾の7両目に至るまで、通路をジグザグにもしました。あれも鉄道業界では常識外。結果的に凄くいい「まちの通り」のようなイメージになった。
唐池:水戸岡先生のおかげです。ななつ星はよく「走るホテル」と形容されますが、・・・そう!まさに「走るまち」のようでもありますな。また、いいコピーを思いついてしまった・・・(笑)。
水戸岡:そんな「まち」だからこそ、誰にでも公平に機会を提供するし、誠実なサービスも行う。ななつ星は、私たちが思う「まちづくり」のあり方にも結果的に通じているのでしょうね。
・2012年より、JR九州ドラッグイレブン株式会社となったこの会社は積極的な新規出店など順調に歩を進め、売上は年間およそ500億円を計上。現在、JR九州グループの関連会社の中で最大の売上げを計上、2017年7月11日には初の東京出店も果たした。このM&Aの成功には、新規事業に対する当社ならではの人事哲学が見事に活かされた。当社の人事哲学とは、新規事業にエースを投入するということだ。新規事業の成否は、会社の本気度で決まる。企業のトップがその事業に対しどれだけ本気で臨むかが重要だ。トップの本気度はその事業にどれだけの経営資源を投入するかでわかる。経営資源とは、大きく「ヒト」「モノ」「カネ」「情報」の4つといわれる。トップがその事業をなんとか成功させようとするとき、会社が持っている(持っていなければ外部から調達してもいいが)資源を惜しみなく投入する。経営資源の中でも、「ヒト」の投入が本気度を測るうえで一番わかりやすい。新規事業は人事で決まるといえる。社内からエースとみられている人材を新規事業に投入すると、その人物は抜群の能力と輝かしい実績の持ち主だから(傍目にそう映らないこともあるけれど)、その事業を立派にやり遂げる可能性が高い。もしその事業がうまくいかなかったとしても、トップは「彼がやってもだめだった」とあきらめがつく。さらに、社内のその事業に対する見方が変わる。社内の誰もが認めるエースをその事業に充てると、社内の人間は、会社がその事業を本気でモノにようとしているのだと気づく。会社の本気度が社員に伝わるのだ。そうなると皆、会社をあげてその事業を盛り上げなくてはいけないと考える。その事業を側面からでも応援しようとする。
・JR九州グループは、今や鉄道事業以外の売上げが全体の60%を占めるところまで脱皮と成長を遂げた。発足時はせいぜい20%ほどしかなかった「鉄道以外」の売上げ比率が3倍まで拡大したのだ。この間、鉄道事業のほうも順調に売上げを伸ばしている。先に述べたような単純額で1.4倍となったのだ。にも関わらず、鉄道以外の売上げが60%にまで達した。JRの「本州三社」はいずれも関連事業の売上げが今でも全体の30~40%程度だから、JR九州の関連事業への情熱の突出ぶりがよくわかっていただけよう。JR九州はもとより、「本州三社」のように鉄道事業だけで食べていける会社ではない。鉄道事業を本気で改革するのと同じくらいのいやそれ以上に本気で鉄道以外の事業に取り組まないと会社がつぶれてしまうという危機感を全社員が持っていたからここまでやって来られたのだ。本気度を示すには人事が一番わかりやすい。JR九州は発足以来一貫して新規事業にはエースを投入してきた。流通事業、駅ビル事業、マンション事業、ホテル事業などの新規事業にも当時の「優秀でやる気のある若手のエース」を充てた。
・農業に参入する時にもこの人事哲学が活かされた。2014年に立ち上げた農業会社であるJR九州ファームへの転属希望を本社内で募ったところ、多くの人が手を挙げてくれた。普通のケースで考えるならば、グループ全体の売上げで0.1%に過ぎない関連事業の農業の新会社に「やりたい」と手を挙げて飛び込んでくる人はそれほど出てこないかもしれない。この新会社の社長にはいきなり、当時バリバリの人事課長を送り込んだ。当社ではさかのぼること国鉄時代から現在に至るまで、人事課長は社内で一目置かれる存在である。人事課長イコール次代のエース、そういう図式ができあがっている。そんな当社だからこそ、農業の新会社の社長として、当時人事課長だった田中渉さんが選り抜かれた。結果、目論見通り、農業会社に行きたいという意欲のある若者が本社内から大勢手を挙げてくれることとなり、その選考にあたっては嬉しい悲鳴を上げるばかりであった。
・2011年3月に開業した博多駅ビル「JR博多シティ」の「A&K」という店で実際に営業がスタートした初日から、1日単位でなく1時間単位でアサヒとキリンの両社の杯数を入り口の掲示板に貼り出した。「7時までに出たジョッキの数、A社〇〇杯、K社〇〇杯」両社の営業マンには、きつい競争になったかもしれない。アサヒもキリンも、競い合ってその時期の一番旬で人気のビールをこの店に持ってきてくれるようになった。店の従業員は、社員もアルバイトも当日出勤してきた時点で2つのグループに分かれる。アサヒ、キリンそれぞれの社名ロゴの色に合わせて、アサヒ担当になった従業員は青色のユニフォームを、キリンの担当になった者は赤いユニフォームをそれぞれ着用する。青い色の従業員は、アサヒビールだけをお客さまに売り込む。赤い色は、キリンビールだけをお客さまに薦める。従業員同士で競い合うのだ。開店して何日かすると、アサヒを好む人たち、つまり住友グループの福岡支社に勤める人々がどかどかっと店にやってきて、アサヒの生ビールばかりを注文して気勢を上げる。翌日は、負けじとキリンの応援団、つまり三菱系の人々が大勢で客席に陣取り、キリンのジョッキを次から次に空けていく。ビール会社が競争意識をむき出しにして取り組むことはある程度期待していた。ふたを開けると、お客さまのほうがこの勝負を楽しむようになっていったのは予想外だった。ビール会社も店の従業員も、そしてお客さまも真剣に競争しながらもその競争を楽しんでいる。結果、この「A&K」は大繁盛となった。
・当社が現在に至るまで社内に向けて実施している「サービスランキング」も、まさに競争そのものだ。2003年に鉄道事業本部サービス部長に就任して、すぐに取り組んだのが「新・感・動・作戦」。全社をあげて展開したサービス改革運動のことだ。駅員が配置されている百数十駅を大賞に、数ヶ月に一度覆面モニターによるサービス診断をおこなう。数名の覆面モニターが各駅を訪問し、整理・整頓・清掃・清潔に躾を加えた5Sと、電話応対や改札及び販売窓口における接客態度、言葉づかい、気づきのレベルなど細目化した項目ごとに1~5点の採点をする。そして評価の対象となる全駅を合計点数の高い順に並べる。直後に開催される全駅長が出席する営業施策会議でランキング結果を発表する。駅長の配席もランキング順とする。駅長たちは、会議室の入り口に貼り出されている配席表を見て初めて、自駅のランキングの順位を知る。2003年9月の営業施策会議で、第1回のサービスランキングを発表した。上位にランクインした駅長は最前列の席に着き胸を張る。下位の駅長は、後ろの方の席で首をかしげながら悔しそうな表情を浮かべる。会議の翌日には、会議当日しょげ返ることとなったランキング下位の駅長たちは、次回のサービス診断に向けて巻き返しを図るべく駅の社員たちに発破をかける。後ろの席に座らされる屈辱をバネにするのだ。駅の社員たちも駅長と同じようにサービスランキングの上位を目指し、奮闘をはじめる。第1回から数ヶ月後には、2回目のサービスランキングがまとまり、営業施策会議が開かれた。会議室の入り口で、駅長たちが配席表の自分の席を探す。前回かなり低いランクにいた駅長が、最前列の席に自駅の名前があるのを見つけると、すぐに携帯電話を取りだした。「やったぞ!今回は6位だ。みんなが頑張ってくれたおかげだ。ありがとう!」電話の向こうで、駅の社員たちが跳び上がって喜んでいたと、後でその駅長が教えてくれた。これまでも、どの駅の社員もサービスの重要性については一応頭の中では理解していた。しかし、いいサービスを実行するところまで徹底できていなかった。ランキングという形で他の駅と比較されるとたちまち競争心に火がつく。他駅に負けまいとよりよいサービスに努めることになる。サービスランキングをはじめてJR九州の駅のサービスレベルが一気に高まった。改善というより、その盛り上がりの様は改革といってよいものだった。競争のおかげだ。ハーバード大学経営大学院のマイケル・ポーター教授は、著書「競争の戦略」の中で、こう述べている。「競争は社会と経済を進化させる。」
・「新・感・動・作戦」の際には、他にも次々とサービス向上のための施策を打ち出した。そのひとつに、「サービスの基本39カ条訓」がある。接客サービスをおこなうとき必ず守らなくてはいけない行動規範を39にまとめたものだ。制服の胸ポケットに入れておき、いつでも取り出して確認できるよう名刺サイズのカード型にした。その一部を抜粋する。
⑧あいさつは、先手必勝。自らすすんであいさつを
⑨あいさつは、明るく大きな声で、いきいきと
⑳電話に出るときの声のトーンは、ドレミファソの「ソ」の音で
・「本気」の学び
1 逆境と屈辱は、人と組織を強くすることがある
2 デザインと物語は、いい仕事・いい商品・いいまちづくりに不可欠
3 武者修行は最高の鍛錬の場
4 継続は力なり。継続するにも力が要る
5 熱意と準備、そして密度で交渉の成否は決まる
6 手間を惜しまずやりたくなる夢を、リーダーは描くこと
7 夢の実現後、すぐに次の夢を描くことが人を育てる
8 有言実行の誓いと言霊が夢をかなえる
9 何事も最初が肝心、スピードも肝心
10 激論を闘わせた後は真実が見える
11 公平かつ誠実な商いはブランド価値を高める
12 新規事業の成否は、ひとえに「ヒト」にあり
13 農業はすべてのものづくりの源
14 人はどうあがいても、大自然には敵わない
15 いかなる場面でも、競争は力なり
16 おいしい食事一度にもビジネスのタネはある
17 まちづくりは成果以上に成果に至るプロセスが大事
18 「夢」と「気」と「伝える」、この3つの力が人をその気にさせる
19 伝えても、伝わらなければ、伝えたとはいえない
良かった本まとめ(2018年上半期)
<今日の独り言>
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