A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

マゾンナ@東高円寺UFO CLUB 2012.12.1 (sat)

2012年12月03日 01時18分56秒 | 素晴らしき変態音楽


【SILENT RUNNING vol.19″MASONNA 25周年ワンマンLIVE”】
LIVE: MASONNA

マゾンナ=山崎マゾ氏の久々のソロライヴ、しかもワンマン。これは歴史的なライヴになること必至。120名限定なので予約開始初日に電話して#6で予約完了。同じ日の昼間に隣の阿佐ヶ谷でマゾンナにも所縁のトークイベントがあり、ちょうどいいとハシゴすることにした。

Asagaya/Loft A 5th Anniversary
非常階段『蔵六の奇病』発売30周年記念トークライブ“アルケミー・デイ・オブ・ザ・デッド”


世界初のノイズ・バンド=非常階段の『蔵六の奇病 -30th ANNIVERSARY EDITION-』を始め、the 原爆オナニーズ、GARLICBOYS、赤痢といったアルケミーレコード関連作品が一挙発売されることを記念して開催されるプレミア・トークライブ!JOJO広重と縁の深いゲストを交えつつ、ここでしか見聞きできない秘蔵映像&貴重音源&稀少写真、門外不出のエピソードの数々がついに解禁!当日はJOJO広重のサイン会もあり!
【出演】JOJO広重(非常階段/アルケミーレコード主宰)
【ゲスト】平野悠(ロフト席亭)/地引雄一(テレグラフレコード主宰/イーター編集長)/ほか飛び入りゲストあり!?
【MC】椎名宗之(ルーフトップ編集局長)
(阿佐ヶ谷ロフトHPより)

先日の阿部怪異のライヴの後にBar Issheeに行ったら美川さんがいて、このトークイベントに行くかもしれないと言っていた。今年は渋谷UPLINK FACORY中心に「JOJO広重の裁判」、美川さんの「酒とノイズ」、広重さんの「ノイズ大学」とトークイベントも盛り沢山だった非常階段。「蔵六の奇病」発売30周年記念イベントも日野日出志さんを迎えてのノイズ大学やDOMMUNEでのアルケミー特集など何回か開催された。今回はライヴの現場を作ってきた地引さんと平野さんの参加が興味深い。飛び入りゲストは美川さん。実は氣志團の綾小路翔氏を予定していたらしいが体調不良で来られないとのこと。翔やんがいたら面白かったろうな~と思ったが、この4人のトークはなかなか含蓄深いものだった。前半は80年代のインディ・シーンについて。後半は現在の状況・今後の展望について。詳細を記すとたいへんなので割愛するが、平野さんの本『ライブハウス「ロフト」青春記』が無性に読みたくなった。もしかしたらマゾ氏が来るかなと期待したがライヴ当日じゃ来れるわけないか。

ロフトの隣のビルのインターネット・カフェで時間を潰し歩いてUFO CLUBへ向かう。



マゾ氏を最初に観たのは2002年7月17日新宿ロフトでの「ファン感謝デイ?! VOL.5」というイベントでの灰野敬二+山崎マゾのデュオだった。マゾンナのことは知っていたが音は聴いたことがなかった。灰野さんを観るのも数回目で大阪のノイズ・ゴッドとの共演が楽しみで会社を早引けしてロフトへ向かったことを覚えている。初顔合わせのデュオ演奏は45分くらいだっただろうか。灰野さんが発振器とヴォイス、マゾ氏が電子楽器とヴォイスだったと思うが、お互い腹の探り合いのまま煮え切らない共演だったと記憶している。そのイベントのDJで中原昌也氏が出ており初めて話をした。

マゾンナとしての初体験は翌年2003年6月15日日比谷野音での「せんごチルドレン2」というイベントでゆらゆら帝国、Theピーズ等との対バンだった。確かTheピーズとゆら帝の間にマゾンナが出演した。トイレヘ行って席へ戻る途中、黒装束の長髪がステージを走り抜けてジャンプしてエフェクターの上に着地。その間30秒。アッという間の出来事だった。唖然とする客と大喝采する客が混在。話には聞いていたが目の当たりにすると狐につままれた心地。席を外していた友人が「何かあったの?」と尋ねたことを思い出す。

その後もUFO CLUBを中心に何度かマゾンナのライヴを観たが長くて2分程度。灰野さんとチコヒゲさんのデュオと対バンした時にもマゾンナのパフォーマンスは1分で終了。灰野さんが自分たちの演奏時間が延びたと喜んでいた。

一方2004年10月31日武蔵野美術大学でのイベント「轟音教室」で灰野さんと2度目の共演をした時には1時間近くどっぷり四つに組んだ演奏を繰り広げた。その日の日記には「2年前の共演ではヴォイスとノイズジェネレーターだけのMasonna状態だったマゾ氏がSpace Machine風エレクトロニクスを駆使して多彩なセッションを繰り広げた。メルツバウの秋田さんと灰野さんのセッションと音は似ているかもしれないが、ルックスが兄弟のようで、お互いアクションも売りの灰野&山崎のほうが観ていて面白い」とある。


最初に買ったマゾ氏の音源は3枚組7"「Inner Mind Mystique」。布製のカバーのポケットにレコードが入った特殊パッケージがヴァイナル・ジャンキーの心を直撃した。片面に1曲ずつ計6曲入でメルツバウや非常階段とは違ったアシッド感のある轟音ノイズにイチコロだった。次に買ったのが限定290枚のデビューLP「Masonna VS Bananamara」。レア盤なので結構いい値段だったが、当時ノイズのアナログ盤の値段が高騰していたのでホワイトハウスやMBやラムレーに比べればそれほど高くはなかった。モノラルで刻まれた変質的な宅録ノイズに圧倒され次々にアナログやCDを集めた。


2002年にはサニーデイ・サービスやゆらゆら帝国を擁するミディクリエイティヴから「YAMAZAKI MASO 15th ANNIVERSARY FREAKOUT TRIPLEX SERIES」としてマゾンナ、CHRISTINE 23 ONNA、SPACE MACHINEという山崎氏の3つのユニットが同時にメジャー・リリースされるという快(暴)挙がなされる。タワレコ店頭をマゾンナのPOPが飾るという快(怪)現象が発生。非常階段のベスト盤「真・雑音伝説」がテイチクから発売されたのが2004年だからマゾンナの方がメジャー進出が早かった訳だ。今思うとミディの担当者がサニーデイ・曽我部氏かゆら帝・坂本氏に騙されて出しちゃったのでは?と思えなくもない。音を聴けば商業ベースに乗るかどうか判るでしょ。ただし90年代後半には徳間ジャパンから灰野さん関連のCDが一挙に発売されたしメジャー・レーベルのインディ・シーン進出が目立っていたことも事実ではある。

2000年代半ばからマゾ氏はよりダイレクトなサイケデリック・ロックに接近、エンジェリン・ヘヴィ・シロップの戸田房尾嬢とのCHRISTINE 23 ONNAはガレージ・サイケ・バンドACID EATERへと発展。新宿Red Clothでライヴを観たが、アクションは派手ながら破綻することなくヴォーカリストとして責任をまっとうするマゾ氏の姿が印象的だった。

いつものように前置きが長くなった。

マゾ氏のライヴを観るのは2009年の灰野+チコヒゲ対バン以来3年ぶり。オフィシャルHPのLive Dataを見ると2010年以降は数えるほどしかライヴをやっていない。激しいライヴによる消耗により休養していたのか、FUSAO(戸田房尾)嬢経営のブティック「Freak Scene」の店長の仕事が忙しいのか判らない。それでもツイッターやYouTubeで大阪でのライヴの模様は伝わってきたが、活発に様々な活動を繰り広げる非常階段に比べ、25周年にしては地味な気がしていた。そんなところへワンマンライヴのニュース。果たして何分演奏するのかがツイッターやフェイスブックで話題になった。大阪では2分半だったとか昔は頑張って20分やったことがあるとか様々な憶測が流れた。何秒でも何時間でも構わない。伝説のライヴとなることは間違いない。

UFO CLUBに入って「しまった!」と思った。タバコの煙が充満しているのだ。灰野さんをはじめ最近行くライヴは殆ど禁煙だし、分煙のライヴハウスも増えているので油断していた。開演まで1時間。この煙に耐えられるだろうか。演奏が始まったら観客が荒れることが予想出来たのでステージ脇からこっそり観ようと思っていたが、灰皿が壁際にあるので煙くて溜まらない。最も煙から遠いところはステージ前ド真ん中だと気がつき危険を承知で最前列で待つ。海外で名を馳せるマゾンナだけに外人客の姿が目立つ。

店長の道下氏がDJブースにいて通好みのB級サイケを流している。1980~90年代私はサイケのコレクターだった。きっかけは大学受験で京都に行った帰りに十字屋でザ・シーズの「フューチャー」を買ったこと。以降ジェファーソンやデッドやクイックシルヴァーなどメジャー系では飽き足らずPsychoやEVAといったサイケ再発専門レーベルの盤起こしのブートもどきを買い漁り、知られざる名(迷)盤を求めて中古レコード店を彷徨い歩いた。モダーンミュージックやF'lmore Records、Windといった専門店は品揃えはいいが値段が高いので、もっぱらディスク・ユニオンやレコファンなど一般的な店に通った。今ではサイケのレア盤として高価なレコードが廉価盤コーナーにあったりしていい時代だった。しかしCD時代になり、幻のレア盤どころか未発表音源までどんどんCD化されるようになり急速に熱が冷め、2000年以降はノイズ/アヴァンギャルド系に走った。この日のSEは20数年前を思い出させる懐かしい選曲だった。オルガンと女性コーラスのプログレ風展開の曲。これ好きだったな~。えーと確かC.A.Quintetだっけ.....などとひとりノスタルジアの世界に浸ってしまった。

そろそろ時間だな、と身構えているとカーテンの向こうからチェック中らしきノイズ音が聴こえてきた。来るぞ来るぞ~と緊張が高まる。後ろは見えないが満員の客が息を詰める気配が伝わってくる。客電が落ちカーテンが開く。「うぉー!」っという歓声。が、カーテンの後ろには誰もいない。それなのにシャウトが聴こえる。え、どこ?と思う間もなく後列の客からざわめきが。振り返るとカメラのフラッシュに浮かぶ黒尽くめのロングヘアー。後列から客を掻き分けての登場だ。そのままステージに駆け上がりマイクスタンドの足元のエフェクターを踏んだ途端に破裂する射撃音。痙攣ししゃがみ込みジャンプして駆け回る。後ろからガンガン押されステージに倒れ込まないようにするのに必死の頭の中にフラッシュバックするマゾ氏の超絶アクション。もう何が何だか判らない。一瞬爆撃が治まって気を抜くと再び銃撃スタート。目の前に迫ってくる。来たか!と思ったらステージ後ろに駆け戻りキリストのように手を広げたポーズ。おおカッコいい!と思った一瞬にジャンプしてエフェクターの上に着地。空き缶ノイズジェネレーターを手に再びコチラへ向かって来る。ヤバい!と思ったらそのまま客席へダイヴ。客は大騒ぎだが後列の人は何が起っているか判っただろうか。他の客に小突かれ蹴られ散々な有様。マゾ氏はステージへ戻るとそのまま袖へ去ってしまった。丁度3分間で終了。事情の飲み込めない客が「あの~終わったんですか?」と話しかけてきたので「予想より長かったよ」と応えた。


(撮影・掲載に関しては出演者の許可を得ています)

満足げな人も居れば唖然とした表情の人も居る。DJブースには亀川氏や石原氏など知った顔のミュージシャン仲間の姿。たぶん東京で初めてのワンマン公演、ひと目観たいと集まったのだろう。

[12/3追記:コサカイフミオさんにコメントをいただき調べてみたら2004年11月23日下北沢シェルターでワンマンライヴが開催されていた。レポートはコチラ。内容が私の記事と似ていてマゾ氏のブレのなさが良く分かる。]

物販でDJ YAMAZAKI MASOのMIX CDRが販売されていた。C.A.Quintetが入ってたので購入。家に帰って聴いて開演前のSEは道下氏のDJじゃなくてこのCDRを流していたことを知る。半分以上名前も知らないレア・サイケ。マゾ氏のサイケマニアぶりに改めて感動した。


マゾンナが
ジャンプする
その一瞬のニルヴァーナ

25年間が凝縮された3分間。これほど純粋な結晶体を味わったのは初めてだ。
これでタバコさえなければネ。

コメント (3)
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