おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

太平洋戦争「語られざる証言」読みました?

2012年08月20日 | Weblog

午前7時の気温は、プラス23度。

空は真っ暗で、小雨が降っておりまする。

予報によると、ご当地の最低気温は24度、最高気温は25度だとか。

ほぼ一日、気温差なしって、なんじゃらホイ?

いずれにせよ、ムシムシする朝でござる。

世間は、お盆休みも終わって、きょうからたぶん平常運転。

お子ちゃまの夏休みも、お墓参りも、里帰りも終わって、ニッポン国にも「日常生活」が戻るのでござる。

この夏休み、読者の皆さんはどう過ごしたのでしょうか。

さて、

きのう久々に文芸春秋を買い求めましたです。

見出しの「完全保存版 太平洋戦争 『語られざる証言』」に魅かれたためでござる。

この項だけで、100ページもありますゆえ、まだ全文を読んでおりませんけど、いきなりビックリ。

ノンフィクション作家の保坂正康さんと同じく梯久美子さんの対談「封印された『兵士の記憶』」でござる。

保坂さんの話を一部抜書きいたしまする。

「二、三年前に千葉で講演したあと、杖をついた老人が控室にみえて『ちょっと話がしたい』と。-中略-『自分は特攻隊の整備士だった』と話し始めたのです。戦争も末期になると、知覧(鹿児島)など幾つかの基地でも特攻隊を速成することになる。すると出動命令が出て失禁したり、呆然自失になったり、訳のわからないことを話し出す兵士が出てくる。

『それを我々整備士は、抱えて特攻機に乗せた』と言う。そうした〝特攻隊〟の多くは沖縄どころか、鹿児島湾に落ちて死んでいったと思う。私は彼らを死なせた殺人犯なのだ…」

志願した立派な特攻隊員もいたのでしょうが、速成の特攻隊員の中には、こんな形で出撃した方もいたですなぁ。

そして、嫌がる兵士を飛行機に乗せた兵隊もいたということ。

「特攻でニッポンはこの先100年は安泰だ」と創設者だったかの発言もありましたけど、欧米諸国にとっては、驚異であり、恐怖であった特攻作戦には、こんな裏話もあったのかと驚きました。

きれいごとでは済まされない、戦争の現実です。

かつて何かで読んだのですが、特攻機に乗る前には、ヒロポン(いまの覚せい剤)を注射して、ギンギラギンの目をして機上の人となったことも。

いまどきの中東の自爆テロと特攻隊を、同列で語ることはできませんけど、相通ずるものがないとも言えませぬ。

同誌のこの企画には、このほか「ガダルカナル日本兵に憑いた『死神』」などなど貴重な証言があって、まことに無残な戦争の一面が書かれておりまする。

ご一読をお勧めいたしますです、ハイ!!