どんよりした午前6時。
気温はプラス20度で、きょうは夜に雨、最高気温29度だそうな。
なんだかうっとおしい1日になりそうです…
写真はお隣ニセコ町の有島記念館で開催中の「竹尾ペーパーショー」で展示されていたもの。
パリで発売されているカップうどんで名称は「TENUKI UDON(てぬき うどん)」だ。
讃岐うどんでも、たぬきうどんでもない、フランス人にはお馴染みのカップうどんだそうな。
ほかに「下剋上鮎」という、「鵜に噛みつく鮎」の形をしたクッキーも展示中。
お暇な方は8月18日までやってますのでどうぞ、チョーお勧めです。
ところで、
19歳の体操選手が飲酒と喫煙でパリ五輪を辞退したという。
そりゃ十代がタバコに酒ですからいいはずはないけど、五輪辞退って、どうなんだ???
おぢが高校生だったのは、もう半世紀以上も昔のこと。
おぢの友人は、あっ! この先はずーっと「友人の話」ですから間違いないように…
そもそも、その高校は、自由な校風で知られておりました。
当時、親と折り合いが悪く、高校2年のころからとうとう学校近くに下宿するようになった。
2階が下宿で1階は雑貨屋、酒もタバコも売っていた。
もちろん、自由な校風ですから、学校祭など折に触れては、2階の部屋で下から買ってきた酒を呑んで、タバコも吸ってギターかき鳴らして大騒ぎした。
大家も平気で酒を売ってくれたし、学校にも通報されず、みなさん寛容だった。
いいか悪いか知らんけど…
当時はススキノのスナックなんぞにウイスキーをキープしているとんでもないヤツもいた。
狸小路5丁目にあったクレージースポット、通称クレスポではオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」を聞きながら、体をゆすって踊っていたヤツもいる。
学校祭の教室内で友人はタバコを吸っておりました。
そこへ10組(当時は1学年10クラスもあったのだよ)の担任だった奈良部という先生がやってきた。
当然のことながら、職員室に連れて行かれた。
その奈良部さんはこう申した。
「〇〇君、タバコって止められないよねぇ、、、」ってことで、その後、親は学校に呼び出されたものの、おとがめなしの無罪放免だった。
その後ももう1回やって、計2回も職員室で穏やかに諭された…
友人はその後立派に更生し「健康のためなら死んでもいい」とか、相変わらずバカだけど、いまも健在だ。
その当時、コカ・コーラの丸い鉄製看板を盗んできて、室内に飾るという窃盗も流行っておりました。
ある夜のこと、その途中で警察官に職質されて、警察署に連れていかれたヤツもいた。
なんと! そのとき木刀まで所持していたけど、警察署の玄関前に置いて難を逃れたという。
見つかれば、いまなら凶器準備集合罪か?
そんなこんな、そもそも十代、二十代はバカなのだ。
今回は五輪体操選手のそばに、なんで奈良部先生がいなかったか…
なんでもかんでも杓子定規が、いいことなのか…
1960年代という大昔に青春を過ごしたおぢ世代にはよくわかりませんです、ハイ!!
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