2日間、表題のイベントに参加しました。
「何のこっちゃ?」と思った方、わかりにくくてスミマセン。実は現在、伊豆大島ジオパークでは、ウィキペディアのように複数の人間で、火山、自然、歴史文化、暮らし、食べ物などのジオに関連する情報をまとめてWEB上に公開し、広く情報提供していこうという「伊豆大島ジオパーク データミュージアム」という取り組みが進行中です。
これは、火山、海、歴史文化、暮らし、食べ物などのい情報を、みんなで投稿し作っていこうというものです。高校生の目線で書かれた島の美味しいものや、歴史家の方のの貴重な資料、昨日見たばかりの美しい風景、そして大島にずっと受け継がれて来たこの島ならではの文化、などなど、これからいくらでも膨らませて行くことができます。トップページも昨日リニューアルし、見やすくなりましたので、皆さんぜひご覧下さい。http://oshima-gdm.jp
さて今回は、そこに載せる地図を「オープンストリートマップ」という形で、皆で作成しようというイベントでした。
そしてオープンストリートマップとは、GPS、航空写真、地図とペン、などを使って情報を集め、ウェブ上にみんなで地図を作っていく仕組みです。詳しいことは以下ページをご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/オープンストリートマップ
さて、どんどん進むITの時代にさっぱりついていけない私は、最初は「なにをするんだろう?」という状態で参加しました。参加者は島内外あわせて30名弱。
主催者の方からの「こうやって伊豆大島の詳しい地図を作ります。」という説明の後、三原山、元町、南部、室内の4班に分けて活動することになりました。
私は元町チームに参加。
総勢7名で出発しました。(撮影してる人が写っていませんが…)
私以外の大島からの参加者は、私よりもずっと島の自然、文化に詳しい、大島生まれのダブルOさん。
「最強チームだ~!」と、最初からワクワクしていました。←本当はガイドを頼まれていたのですが、既に参加者気分。(笑)
紙に印刷した地図とペンを持って、地図上の建物を確認していきます。
トイレ情報は、バリアフリーかどうかも重要な情報だとのこと。
これが車椅子の方達のための地図作りにも、役立つとのこと。
通り沿いにある「ハマンカー」と呼ばれる昔の水源もチェック。
細い道は二手に分かれて、また合流するという方法で記録しました。
写真右手の平らな高まりは段丘だと教えてもらいました。
元町には少し上にもう一段、段丘があるとのこと。
私はてっきり、駐車場を作るために人工的に削ったのだと思っていたので、最初からこういう地形だったと聞いて驚きました。(縄文海進期は今より数m海水面が高かったので、もしかしたらここは海の底だった可能性もあるかも…という話しも出ていますが、確実なことはわかりません。)
砂防ダムなどの防災施設は看板で確認したり、実際に歩いて回りました。
細い行き止まりの道も、皆さん、必ず歩いて確認します。
道はないけれど、大島では一番古い「下高洞遺跡」を目指して、海岸沿いも歩きました。
「大島の砂浜は、みんな沢沿いに発達しているよね。沢から運ばれた砂や砕かれた溶岩が砂浜を作ったんだね。」と島内参加者のOさんたち。ジオパークらしい発想、さすがです!
「庚申塔」というお地蔵様も教えてもらいました。昔は各の境目に、隣のからの疫病が入って来ないようにと、このようなお地蔵様が置かれていたとのこと。
現在は、通り向かいの家の方が、ボランティアで清掃してくれているそうです。
今まで地図に記載されていなかった薬師堂も訪ねました。
元町の中の細い路地も、かなり歩きました。
海岸の溶岩で作った石垣や…
まだ天水を利用していた時代の水瓶(島では「井戸」と呼ぶ)などが残っていて、大島の昔の暮らしを感じることができました。
何より興味深いのが、微妙に曲がりくねった細い坂道が多かったこと。
Oさんの説明では「風の強い大島では、このような作りの道が風を防いでいた。」とのこと。
なるほど…。
みなさん細い道を見ると「行ってみましょう!」と言って入って行きます。
誰も止める人がいません。(笑)
Oさんの通学路だったいう道は、この細さ!
道の先には緊急物資を置いていたという建物がありました。
さすが、大島生まれ&大島育ちの方です!
これは案内してもらわないと、わかりませんよね~。
地図上で不明瞭な道があると、主催メンバーの1人でもあるMさんが、すぐに確認に行きます。
めちゃめちゃ、フットワーク軽いです!
「地図を見ながら歩くのって面白いな。」とOさん。
皆が持ち歩いていた地図は、こんな感じです。
これとGPSデータを元に、地図を作ります。
こうして、歩き続けて約4時間で、フィールドワークは終了しました。
町中で眺めた夕日が美しくて、感動しました~。
その後、室内でデータを入力し中間発表して終了。
(島外から参加された皆さんがどんどん作業を進められるのを見て感心しました。)
さて、今日です。
今日も朝9時からデータ入力。
2時間の作業後、各班の発表がありました。
(島外参加の皆さんは、昨日ほぼ徹夜で作業されていたようです。)
室内で作業していたグループの方達は、海の向こうに見える山や島等の景色の情報を調べ、携帯(スマホ)をかざすと、景色の説明を見られるアプリを、作業開始後ほぼ1日で作り上げていました!!
窓の外に見える伊豆諸島の方角で試してみると…
この通り!
こんな仕組みを、ゼロからたった1日で作れるんですね。
(時代が猛スピードで変わっているのを実感しました…)
さらに飛び入り大学生達(現在、大島の高校生達と“島の防災のあり方”を研究中)は…マップに等高線を書き込み、大島を立体的に表示。「このツールはスゴイと思った。」ので、一晩でこれを仕上げたのだそうです。
大学生達は「この情報を防災に役立てられのではないか」と語っていました。
飲み込み速い~!←感心するだけで、まるでついていけていない。
最後に、参加者全員で記念撮影しました。
場所と並び方が、少し変ですが…?
実は「大島」の「大」の字型に並んでいたのです。
なぜなら…
撮影は、島外参加者の方が持参された、リモコンのヘリからだったのです!
いや~、最後の最後まで、違う世界をのぞいているような気分で過ごしたイベントでした。(笑)
今回のイベントでは「みんなで1つのものを作り上げるということが楽しかった。」という声があがっていました。
本当に!楽しくて貴重な経験でした。
地図作りが好きな方、島が好きな方、ぜひ皆に伝えたい情報をお持ちの方、伊豆大島ジオパークデータミュージアムやマップ作りは、どなたでも参加できますので、アカウントを作成してぜひご参加ください。
みんなで素敵な大島を、伝え、育てていきましょう~。
(カナ)
「何のこっちゃ?」と思った方、わかりにくくてスミマセン。実は現在、伊豆大島ジオパークでは、ウィキペディアのように複数の人間で、火山、自然、歴史文化、暮らし、食べ物などのジオに関連する情報をまとめてWEB上に公開し、広く情報提供していこうという「伊豆大島ジオパーク データミュージアム」という取り組みが進行中です。
これは、火山、海、歴史文化、暮らし、食べ物などのい情報を、みんなで投稿し作っていこうというものです。高校生の目線で書かれた島の美味しいものや、歴史家の方のの貴重な資料、昨日見たばかりの美しい風景、そして大島にずっと受け継がれて来たこの島ならではの文化、などなど、これからいくらでも膨らませて行くことができます。トップページも昨日リニューアルし、見やすくなりましたので、皆さんぜひご覧下さい。http://oshima-gdm.jp
さて今回は、そこに載せる地図を「オープンストリートマップ」という形で、皆で作成しようというイベントでした。
そしてオープンストリートマップとは、GPS、航空写真、地図とペン、などを使って情報を集め、ウェブ上にみんなで地図を作っていく仕組みです。詳しいことは以下ページをご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/オープンストリートマップ
さて、どんどん進むITの時代にさっぱりついていけない私は、最初は「なにをするんだろう?」という状態で参加しました。参加者は島内外あわせて30名弱。
主催者の方からの「こうやって伊豆大島の詳しい地図を作ります。」という説明の後、三原山、元町、南部、室内の4班に分けて活動することになりました。
私は元町チームに参加。
総勢7名で出発しました。(撮影してる人が写っていませんが…)
私以外の大島からの参加者は、私よりもずっと島の自然、文化に詳しい、大島生まれのダブルOさん。
「最強チームだ~!」と、最初からワクワクしていました。←本当はガイドを頼まれていたのですが、既に参加者気分。(笑)
紙に印刷した地図とペンを持って、地図上の建物を確認していきます。
トイレ情報は、バリアフリーかどうかも重要な情報だとのこと。
これが車椅子の方達のための地図作りにも、役立つとのこと。
通り沿いにある「ハマンカー」と呼ばれる昔の水源もチェック。
細い道は二手に分かれて、また合流するという方法で記録しました。
写真右手の平らな高まりは段丘だと教えてもらいました。
元町には少し上にもう一段、段丘があるとのこと。
私はてっきり、駐車場を作るために人工的に削ったのだと思っていたので、最初からこういう地形だったと聞いて驚きました。(縄文海進期は今より数m海水面が高かったので、もしかしたらここは海の底だった可能性もあるかも…という話しも出ていますが、確実なことはわかりません。)
砂防ダムなどの防災施設は看板で確認したり、実際に歩いて回りました。
細い行き止まりの道も、皆さん、必ず歩いて確認します。
道はないけれど、大島では一番古い「下高洞遺跡」を目指して、海岸沿いも歩きました。
「大島の砂浜は、みんな沢沿いに発達しているよね。沢から運ばれた砂や砕かれた溶岩が砂浜を作ったんだね。」と島内参加者のOさんたち。ジオパークらしい発想、さすがです!
「庚申塔」というお地蔵様も教えてもらいました。昔は各の境目に、隣のからの疫病が入って来ないようにと、このようなお地蔵様が置かれていたとのこと。
現在は、通り向かいの家の方が、ボランティアで清掃してくれているそうです。
今まで地図に記載されていなかった薬師堂も訪ねました。
元町の中の細い路地も、かなり歩きました。
海岸の溶岩で作った石垣や…
まだ天水を利用していた時代の水瓶(島では「井戸」と呼ぶ)などが残っていて、大島の昔の暮らしを感じることができました。
何より興味深いのが、微妙に曲がりくねった細い坂道が多かったこと。
Oさんの説明では「風の強い大島では、このような作りの道が風を防いでいた。」とのこと。
なるほど…。
みなさん細い道を見ると「行ってみましょう!」と言って入って行きます。
誰も止める人がいません。(笑)
Oさんの通学路だったいう道は、この細さ!
道の先には緊急物資を置いていたという建物がありました。
さすが、大島生まれ&大島育ちの方です!
これは案内してもらわないと、わかりませんよね~。
地図上で不明瞭な道があると、主催メンバーの1人でもあるMさんが、すぐに確認に行きます。
めちゃめちゃ、フットワーク軽いです!
「地図を見ながら歩くのって面白いな。」とOさん。
皆が持ち歩いていた地図は、こんな感じです。
これとGPSデータを元に、地図を作ります。
こうして、歩き続けて約4時間で、フィールドワークは終了しました。
町中で眺めた夕日が美しくて、感動しました~。
その後、室内でデータを入力し中間発表して終了。
(島外から参加された皆さんがどんどん作業を進められるのを見て感心しました。)
さて、今日です。
今日も朝9時からデータ入力。
2時間の作業後、各班の発表がありました。
(島外参加の皆さんは、昨日ほぼ徹夜で作業されていたようです。)
室内で作業していたグループの方達は、海の向こうに見える山や島等の景色の情報を調べ、携帯(スマホ)をかざすと、景色の説明を見られるアプリを、作業開始後ほぼ1日で作り上げていました!!
窓の外に見える伊豆諸島の方角で試してみると…
この通り!
こんな仕組みを、ゼロからたった1日で作れるんですね。
(時代が猛スピードで変わっているのを実感しました…)
さらに飛び入り大学生達(現在、大島の高校生達と“島の防災のあり方”を研究中)は…マップに等高線を書き込み、大島を立体的に表示。「このツールはスゴイと思った。」ので、一晩でこれを仕上げたのだそうです。
大学生達は「この情報を防災に役立てられのではないか」と語っていました。
飲み込み速い~!←感心するだけで、まるでついていけていない。
最後に、参加者全員で記念撮影しました。
場所と並び方が、少し変ですが…?
実は「大島」の「大」の字型に並んでいたのです。
なぜなら…
撮影は、島外参加者の方が持参された、リモコンのヘリからだったのです!
いや~、最後の最後まで、違う世界をのぞいているような気分で過ごしたイベントでした。(笑)
今回のイベントでは「みんなで1つのものを作り上げるということが楽しかった。」という声があがっていました。
本当に!楽しくて貴重な経験でした。
地図作りが好きな方、島が好きな方、ぜひ皆に伝えたい情報をお持ちの方、伊豆大島ジオパークデータミュージアムやマップ作りは、どなたでも参加できますので、アカウントを作成してぜひご参加ください。
みんなで素敵な大島を、伝え、育てていきましょう~。
(カナ)