昨夜”伊豆大島ジオパーク推進委員会”主催、“伊豆大島ジオパーク研究会”が共催の「津波体験講演会」が、町役場の2F大会議場で行われました。今回はその講演会のご報告です。
お話をして下さったのは、”南三陸町語り部ガイド”として活動している後藤一磨さん。
会場には南三陸町からお預かりしたパネルが展示され、皆さん真剣に見入っていました。
後藤さんは、幸いご家族は全員無事だったものの、ご自宅は津波で流され現在も仮設住宅で生活をなさっているとの事でした。
さて講演は、バックスクリーンに画像を投影しながら話を進めていく形がとられ、会場には100名以上の方達が集まっていました。
話はまず、当日どの様な事が起きたのか?から始まり、スクリーンにはあの想像を絶する・・・、新聞やTVで何度となく報じられた光景が写しだされました。
何の前触れもなく襲ってきた巨大地震によって、平和だった日常が突然奪われた事。
今まで経験した事がない激しく長い揺れと、その時の家族や住民の様子。
昭和35年に起きた”チリ地震大津波”を教訓に作られた5m50の防波堤が、楽々と波に飲み込まれていった事。
時速40キロで迫りくる海水の巨大な壁、そして一瞬で木屑と化して飲み込まれる家々。
最後まで残っていた自宅までもが、失われていく悲しい光景等、
目の前の出来事に言葉も出ず、頭の中からは現実感がすっかり失われてしまったそうです。
後藤さんの口からは、体験した者でなければ判らない事細かな事柄が次々と語られていきます。私も含め、会場に居た方達は固唾を飲んで、食い入る様に話に耳を傾けていました。
その後話は、避難する段に移ります。
後藤さんが住まわれていた志津川は小さな集落で全員が知り合い、身近な人には声を掛け、姿が見えない人達に対しては無事を祈りながら、ひとまず着の身着のまま高台へ逃げたそうです。
高台に集まったのは70人程、雪の降る寒い夜を焚火を囲んで一睡もせずに過ごしました。この時、暗闇の中でも7~8回の津波が押し寄せたのが判ったそうです。
それは、壊れた家がぶつかりあいながら、バキバキ音を立てる、沖合に有った航路標識のライトを付けたブイが沖と陸とを行き来している。そんな事からでした。
やがて夜が明けて目にした光景は、今も私達の脳裏にも焼き付いているあの変わり果てた集落の姿でした。
国道398号線に打ち上がった、20~30t級の幾つもの漁船。
無残にも打ち砕かれたコンクリートの防波堤や建物
この時、改めて自然の力・津波の恐ろしさを嫌と言うほど思い知らされたそうです。
その後逃げ延びた皆さんは、瓦礫に埋もれた1,5キロ程の道のりを3時間掛けて歩き、宿泊設備の整った”自然の家”へと移り、24時間ぶりに”おにぎりと水”を口にしました。
この”おにぎり”について・・・
「過去に食べたどんなご馳走よりも旨かった」「この時まで空腹にも気付かなかった」との事です。
お話によると、震災後、志津川は道路が分断され陸の孤島と化していました。人の行き来が全く無かったのです。しかし、1週間ほどしてから徐々に兄弟や親戚縁者・友達等が訪れる様になってきました。抱えられない程沢山の救援物資を持って・・・。
みんな肩を抱き合って喜んだそうです。
そして更に日が経つにつれ、全国から支援者達も集まってきました。
時代と共に、「人間関係が希薄になってきたなぁ」と感じていた後藤さんは、これにとても驚いたそうです。そして思ったのは、「形あるものは全て失ったけど、人と人の繋がりは失われなかった。」という事。そして、この震災によって沢山の新たな絆が生まれたのです。
今回の津波は多くの人命と財産を奪いましたが、恩恵も生まれているそうです。
少しずつ回復しつつある漁業ですが、震災前と比べると養殖牡蠣やワカメの成長が著しく早いそうです。「海が50年若返ったのだ」と仰っていました。自然がリセットされたのですね。
後藤さんは、被災して気付かされた事が他にも沢山あったと言います。
「震災だけなら、瓦礫を片付ければまた其処に新たな町が数年で出来るが、津波に襲われた場所を再生するのは容易ではない。」
「今回の災害を受けて地元を離れる人が大勢います。人口の減少が止まりません。人が居なければ町も成り立たない。」正にその通りだと思いました。
しかし、もっと恐ろしいのは原発だと言います。
私達自身が便利なモノや文明を追い求める為にエネルギーをドンドン使い、そのエネルギーを生み出すために作った原発。ひとたび災害が起きて破壊されれば、その影響は何世代先まで残るのです。又、実際に災害が起きた時には、電気は使えなくなる。電気に頼り過ぎない生活を考えたり、少し謙虚になって日頃の生活を見直す必要性も述べていました。
優しく語り掛ける様な口ぶりで自らの経験を元に、自然災害の恐ろしさや、その災害に対しどの様に向き合っていくべきかをお話してくださった後藤さん、様々な教訓を含んだお話はまだまだ沢山有りましたが全てはお伝えしきれません。
最後の方で述べられていた、「私達は、地球の大きな活動の中で生かされているという事を踏まえ、自然と人間がどの様な関係を築いていくのか?真剣に考えなければいけないのではないだろうか?」との言葉がとても印象深く心に残りました。
また、「南海トラフで地震が起きれば32万人の犠牲が見込まれ、決して他人ごとではない。被災地はこれらに備える学びの場になっている。ぜひその地に立って、見て・聞いて・触れて・嗅いでみてほしい」とも仰っていました。
1時間15分程の講演でしたが、あっと言う間でした。
最後は、大島の方も係って作られた”つなみのえほん”の朗読が有りました。
被災されたご家族の、素直なお子さんの気持ちが綴られています。
興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、伊豆大島ジオパーク推進委員会
もしくは、グローバル・ネイチャー・クラブまでご連絡下さい。お取次ぎ致します。 柳場