グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

岡田八幡神社の正月祭

2013年01月22日 | 歴史・文化
1月20日の午後、表題の祭りを見に行って来ました。

「岡田八幡神社の正月祭」で踊られる「天古舞」は、東京都の無形文化財に指定されています。
11月29日のブログをまとめてから「今年は見に行こう!」と決めていました。
(その時のブログはこちら)
http://blog.goo.ne.jp/gscrikuguide6/e/f45c066be1738aa7a48b3c1e9604b116
実は大島在住25年目にして、初めての見学です。

祭りの最初は、2人の警固役の人たちの挨拶で始まりました。
草履を脱ぎ、すり足で進み出て、丁寧にお辞儀をします。

この“警固”の人たちは祭りの間中、何があっても口をきいてはいけないのだそうです。
(私には、とてもできない…)

その後、歌がはじまりました。「若い衆、これじゃいけないわい。めでたいことしよう。」という歌詞が聞こえてきます。なんだか楽しい歌詞!

歌が一曲終わるごとに、一段高い石垣の上から“おひねり(お金や食べ物)”が投げられます。
歌い手、踊り手の家族が、投げるならわしとのこと。

子ども達はそれを楽しみに集まっているようです。
1日で1万円拾う子もいるとか。

“おひねり”は釣り餌の“こませ(撒き餌)”を意味し、いっぱい拾ってもらうことが大漁を表すのだそうです。

祭りは2日間行われ、1日目は型どおり進行するけれど2日目は無礼講で、歌や踊りのリクエストがあると何度でも繰り返すので、夜になっても祭りが続くのが恒例らしいです。

しかしこれだと、“おひねり”を投げる家族が大変ですよね。
いったいどれぐらい、食べ物やお金を用意すれば良いのでしょうか?

「足りなくなってしまうことはないんですか?」
不思議に思って、私の横で色々なことを教えてくれていた女性に聞いてみました。

「足りなくなるから、みんな途中で必死にかき集めに回るのよ。」
なるほど。

確かに家族は大変だけれど、気前良く振る舞って分け合うことは、物のない時代には本当に晴れやかな楽しみだったことでしょう。

歌が数曲終わったところで、若者が出て来ました。

何やら飾りをつけた、大きな棒を持っています。
この棒を、回転させなければいけないようです。

うひゃ~!
若者、よろけました!

すかさず手助けが駆けつけます!
この後若者は助っ人に支えられて、なんとか無事に棒を回し終わりました。
大役、ご苦労様。

続いて、手踊りが始まりました。

式次第を見せてもらったら、この後に予定される9曲の題名には、日本各地の地名が入っていました。「鎌倉」「銚子巻いて出りゃ」「根室さんぱん」「お江戸通い」等々…。

古い火山が波に削られて高い崖を作り、その崖が風を遮るおかげで昔から天然の良港だった岡田港には、全国の漁船が強風を避けて入港したそうです。

風が何日も止まないと、岡田の人たちは他地域の漁師を家に招いてもてなし、酒を酌み交わすうちに日本各地の歌が残って歌い継がれてきたと…これぞまさにジオパーク!

岡田には、そのような歌が300も残っているとのこと。
すごいですね~。

私はこの後、用事で帰らなければなりませんでしたが、夕方まで残った柳場が“天古舞”の写真を送ってくれました。

大島に上陸した源為朝が、溶岩をテコでかき分けて切り開き、神社を作ったという伝説を表現していると言われる天古舞。来年は見たいなぁ…。

この祭りは100年以上、岡田地区で受け継がれて来たそうです。

大島には、誇るべき文化が沢山あるんですね。
歴史にさっぱり関心がなかった私に、ジオパークがそれを教えてくれました。

ところで今日ここに載せた記事のほとんどは、隣に居合わせた岡田の方が教えてくれたものです。
あれこれ質問しまくりの私に、嫌がりもせず色々教えてくれました。

本当にありがたかったです。その方のおかげで、この日のお祭りが単なる儀式ではなく、生き生きとした人の歴史のように感じられました。

大島に100年以上続いてきた、大切なもの。
それは祭りという形よりも、それを受け継いで来た人々そのものなのだと思いました。


(カナ)
























コメント (2)
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