1月20日の午後、表題の祭りを見に行って来ました。
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「岡田八幡神社の正月祭」で踊られる「天古舞」は、東京都の無形文化財に指定されています。
11月29日のブログをまとめてから「今年は見に行こう!」と決めていました。
(その時のブログはこちら)
http://blog.goo.ne.jp/gscrikuguide6/e/f45c066be1738aa7a48b3c1e9604b116
実は大島在住25年目にして、初めての見学です。
祭りの最初は、2人の警固役の人たちの挨拶で始まりました。
草履を脱ぎ、すり足で進み出て、丁寧にお辞儀をします。
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この“警固”の人たちは祭りの間中、何があっても口をきいてはいけないのだそうです。
(私には、とてもできない…)
その後、歌がはじまりました。「若い衆、これじゃいけないわい。めでたいことしよう。」という歌詞が聞こえてきます。なんだか楽しい歌詞!
歌が一曲終わるごとに、一段高い石垣の上から“おひねり(お金や食べ物)”が投げられます。
歌い手、踊り手の家族が、投げるならわしとのこと。
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子ども達はそれを楽しみに集まっているようです。
1日で1万円拾う子もいるとか。
“おひねり”は釣り餌の“こませ(撒き餌)”を意味し、いっぱい拾ってもらうことが大漁を表すのだそうです。
祭りは2日間行われ、1日目は型どおり進行するけれど2日目は無礼講で、歌や踊りのリクエストがあると何度でも繰り返すので、夜になっても祭りが続くのが恒例らしいです。
しかしこれだと、“おひねり”を投げる家族が大変ですよね。
いったいどれぐらい、食べ物やお金を用意すれば良いのでしょうか?
「足りなくなってしまうことはないんですか?」
不思議に思って、私の横で色々なことを教えてくれていた女性に聞いてみました。
「足りなくなるから、みんな途中で必死にかき集めに回るのよ。」
なるほど。
確かに家族は大変だけれど、気前良く振る舞って分け合うことは、物のない時代には本当に晴れやかな楽しみだったことでしょう。
歌が数曲終わったところで、若者が出て来ました。
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何やら飾りをつけた、大きな棒を持っています。
この棒を、回転させなければいけないようです。
うひゃ~!
若者、よろけました!
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すかさず手助けが駆けつけます!
この後若者は助っ人に支えられて、なんとか無事に棒を回し終わりました。
大役、ご苦労様。
続いて、手踊りが始まりました。
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式次第を見せてもらったら、この後に予定される9曲の題名には、日本各地の地名が入っていました。「鎌倉」「銚子巻いて出りゃ」「根室さんぱん」「お江戸通い」等々…。
古い火山が波に削られて高い崖を作り、その崖が風を遮るおかげで昔から天然の良港だった岡田港には、全国の漁船が強風を避けて入港したそうです。
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風が何日も止まないと、岡田の人たちは他地域の漁師を家に招いてもてなし、酒を酌み交わすうちに日本各地の歌が残って歌い継がれてきたと…これぞまさにジオパーク!
岡田には、そのような歌が300も残っているとのこと。
すごいですね~。
私はこの後、用事で帰らなければなりませんでしたが、夕方まで残った柳場が“天古舞”の写真を送ってくれました。
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大島に上陸した源為朝が、溶岩をテコでかき分けて切り開き、神社を作ったという伝説を表現していると言われる天古舞。来年は見たいなぁ…。
この祭りは100年以上、岡田地区で受け継がれて来たそうです。
大島には、誇るべき文化が沢山あるんですね。
歴史にさっぱり関心がなかった私に、ジオパークがそれを教えてくれました。
ところで今日ここに載せた記事のほとんどは、隣に居合わせた岡田の方が教えてくれたものです。
あれこれ質問しまくりの私に、嫌がりもせず色々教えてくれました。
本当にありがたかったです。その方のおかげで、この日のお祭りが単なる儀式ではなく、生き生きとした人の歴史のように感じられました。
大島に100年以上続いてきた、大切なもの。
それは祭りという形よりも、それを受け継いで来た人々そのものなのだと思いました。
(カナ)
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「岡田八幡神社の正月祭」で踊られる「天古舞」は、東京都の無形文化財に指定されています。
11月29日のブログをまとめてから「今年は見に行こう!」と決めていました。
(その時のブログはこちら)
http://blog.goo.ne.jp/gscrikuguide6/e/f45c066be1738aa7a48b3c1e9604b116
実は大島在住25年目にして、初めての見学です。
祭りの最初は、2人の警固役の人たちの挨拶で始まりました。
草履を脱ぎ、すり足で進み出て、丁寧にお辞儀をします。
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この“警固”の人たちは祭りの間中、何があっても口をきいてはいけないのだそうです。
(私には、とてもできない…)
その後、歌がはじまりました。「若い衆、これじゃいけないわい。めでたいことしよう。」という歌詞が聞こえてきます。なんだか楽しい歌詞!
歌が一曲終わるごとに、一段高い石垣の上から“おひねり(お金や食べ物)”が投げられます。
歌い手、踊り手の家族が、投げるならわしとのこと。
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子ども達はそれを楽しみに集まっているようです。
1日で1万円拾う子もいるとか。
“おひねり”は釣り餌の“こませ(撒き餌)”を意味し、いっぱい拾ってもらうことが大漁を表すのだそうです。
祭りは2日間行われ、1日目は型どおり進行するけれど2日目は無礼講で、歌や踊りのリクエストがあると何度でも繰り返すので、夜になっても祭りが続くのが恒例らしいです。
しかしこれだと、“おひねり”を投げる家族が大変ですよね。
いったいどれぐらい、食べ物やお金を用意すれば良いのでしょうか?
「足りなくなってしまうことはないんですか?」
不思議に思って、私の横で色々なことを教えてくれていた女性に聞いてみました。
「足りなくなるから、みんな途中で必死にかき集めに回るのよ。」
なるほど。
確かに家族は大変だけれど、気前良く振る舞って分け合うことは、物のない時代には本当に晴れやかな楽しみだったことでしょう。
歌が数曲終わったところで、若者が出て来ました。
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何やら飾りをつけた、大きな棒を持っています。
この棒を、回転させなければいけないようです。
うひゃ~!
若者、よろけました!
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すかさず手助けが駆けつけます!
この後若者は助っ人に支えられて、なんとか無事に棒を回し終わりました。
大役、ご苦労様。
続いて、手踊りが始まりました。
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式次第を見せてもらったら、この後に予定される9曲の題名には、日本各地の地名が入っていました。「鎌倉」「銚子巻いて出りゃ」「根室さんぱん」「お江戸通い」等々…。
古い火山が波に削られて高い崖を作り、その崖が風を遮るおかげで昔から天然の良港だった岡田港には、全国の漁船が強風を避けて入港したそうです。
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風が何日も止まないと、岡田の人たちは他地域の漁師を家に招いてもてなし、酒を酌み交わすうちに日本各地の歌が残って歌い継がれてきたと…これぞまさにジオパーク!
岡田には、そのような歌が300も残っているとのこと。
すごいですね~。
私はこの後、用事で帰らなければなりませんでしたが、夕方まで残った柳場が“天古舞”の写真を送ってくれました。
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大島に上陸した源為朝が、溶岩をテコでかき分けて切り開き、神社を作ったという伝説を表現していると言われる天古舞。来年は見たいなぁ…。
この祭りは100年以上、岡田地区で受け継がれて来たそうです。
大島には、誇るべき文化が沢山あるんですね。
歴史にさっぱり関心がなかった私に、ジオパークがそれを教えてくれました。
ところで今日ここに載せた記事のほとんどは、隣に居合わせた岡田の方が教えてくれたものです。
あれこれ質問しまくりの私に、嫌がりもせず色々教えてくれました。
本当にありがたかったです。その方のおかげで、この日のお祭りが単なる儀式ではなく、生き生きとした人の歴史のように感じられました。
大島に100年以上続いてきた、大切なもの。
それは祭りという形よりも、それを受け継いで来た人々そのものなのだと思いました。
(カナ)