昨日、三宅島GEOセミナーに参加しました。
午前中はガイド付きジオツアーでした。
まずは新澪池へ。
「看板の前の石垣は、噴火で飛んで来た石を使って作ってある」のだそうです。
火山のパワーもスゴいけれど、人間も逞しい!
続いて新鼻新山へ。
前回は上から眺めただけだったので、下から見上げられるなんて嬉しいです。
真っ赤な崖!
色が赤いのは、かなり高温の溶岩が降り積もったから…
この崖、たった20時間で積もったのだそう。
噴火の最中は、いったいどんな光景だったのでしょう?
崖はカーブを描きながら、色を黒に変えて行きます。
私たちが立っていた場所は、かつての火口。
丸い火口の海側は、波が削りとってしまったようです。
移動中のバスの車窓からは、溶岩が山腹を流れ下った様子を観察できます。
大島よりも噴火周期が短く、ほぼ20年ごとに噴火する三宅島。
しかも中央火口からではなく、山腹や海岸から噴火することが多いので、バスで周回道路を走るだけで“火山の存在”を感じることができるのです。
噴火の歴史を語る“地層”もあちらこちらの道路脇で観察できます。
地層に穴が空いていることもあります。
これはススキが焼けてしまった跡なのだそう。
昨年、自分で遊びに来た時も立ちよった“椎取神社”
2000年噴火後何度も泥流が流れ、神社の鳥居がだんだん埋まっていったとのこと。
近くの看板には、雨の度に泥流が流れて鳥居を埋め、火山ガスで木が枯れていった経過が紹介されています。
そして目の前には、一時枯れた木が新しい枝を延ばし、緑の森を作りはじめた風景を見ることができます。
昨年はこの風景を見て“命の逞しさ”に感動しましたが、今は「“火山灰”が地表に降り積もると何年もその影響を受けるのが、火山島の運命」だということも実感します。それは近い将来、私の身の回りにも起こる可能性のあることなのだと…。
ガイドさんが1枚の絵を元に「今、私たちがいるこの場所は、かつては海でした。」と説明してくれました。
ガイドさんは「この場所に来ると、ロマンを感じる」と語っていました。
その気持ち、よくわかります。
この絵を描いた人は、やがて目の前の海が陸地に変わってしまうと想像したことがあったのでしょうか?
さて、ツアー終了後、午後からは室内で“GEOセミナー”が行われました。
講演内容は以下のとおりです。
「伊豆半島ジオパークのGEO普及ツールについて」
鈴木雄介氏(伊豆半島ジオパーク事務局)
「伊豆半島は、三宅島の皆さんをお待ちしています。何万年待てば来ますかね?(三宅島がフィリピン海プレートに乗って、伊豆半島に近づいていることを語っていますが、会場が和むナイスな言葉でした!)
歴史、火山、動植物、をおもしろく伝えるのがジオガイド。歴史を学びつつ自然災害についても学び、観光にも防災にも、教育にも役立てる。伊豆半島では認定制度をとっていて、現在73名のジオガイドが認定されている。ジオ検定も行い、昨年は全国で800名が受験した。他に面白い取り組みとして、ジオ生け花、ジオ絵本自費出版、その日定置網で取れた魚で作るジオ丼(地魚)、ジオ菓子、スコリア積んだピザ釜など。
17.000年前の噴火で平らな土地ができ、溶岩の先端に滝ができ、キレイなわき水がワサビを育て、ワサビ農家で子どもが育つ。今年のポスターはわさび農家の子ども。(このポスター、素敵です!)
地面の上にあるものは、全てジオパーク。その土地そのもの,生態だけでなく、歴史文化、すべてがジオパーク。地域の人が専門家の助けをもらいながら、地域の良い所を発見する。ジオパークは認定して認めてもらうのものではなく、ネットワークの仲間入りをすること。
事例は違うけれど、私も同じことを語っていたと思います。
なぜなら私が作ったパワポの前半のまとめは…
ひとつひとつ事例を挙げながら最後にまとめてみたら、このような図になりました。
ジオパークで活動していると、離れた場所で活動しているのに、同じように考えて仕事をしている人に出会って感動することが多いのですが、昨日もそうでした。全国に同じ思いの仲間がいる…いや~、ジオパークは面白いです。
「GEOの楽しさ、伊豆大島でのGEOの取り組み」
私。(西谷)
いつもこのブログで語っているので、今回の報告は省略します。
「三宅島のGEOの取り組みの紹介」
青谷知己氏(府中高校地学教諭 元・三宅高校)
噴火後 避難して帰ってきて、ジオを見せる仕組みを作るため2006年から活動開始。火山を生かした観光、噴火遺構の保全を中心に進めて来た。都からの予算で、遊歩道、郷土資料館、ジオ看板(3年間で作成)、ジオセミナー、ジオマップ、ジオツアー、観光ガイドと子ども達の学習の順で実施。小学生がジオスポットを巡ってジオカルタを作ってくれた。その時「火山の恵みを楽しみながら学べるようにと、こころをこめて作りました。」という泣かせる言葉が添えられていた。活動は地道に広げていくのが大事。ジオは特別なことではない。私たちが大地に生かされている。
三宅島の今後について、三宅の年寄りに語り部の会で参画してもらってはどうか?山頂ツアーを有料ガイド付きにし、避難所も側に作る。ジオバスツアーにガイドが乗る。ヘリツアー、ジオ看板巡りのポイントラリー、研究者トークイベント、気象庁からの話しなどを行ってみてはどうか?
…次々に出てくるアイデアを聞いて、三宅島を離れた後も、これほど島を思ってくれる人の存在があることに感動しました。三宅島も沢山の宝物を持っている島だなぁ、と思いました。
「三宅島火山の新展開について」
及川輝樹氏(産業総合研究所 火山地質の専門家)
現場を歩きながら三宅島の地質図を調べている。噴火前は、緑の島。それが噴火で植物が枯れて、崖ができ観察しやすくなった。地図を作る技術、年代測定の進歩もあり、今までの地質図の間違えがわかるようになった。以前は噴火に休止期があったと言われていたが、実は休み無く噴火を続けて来た火山だとわかって来た。
昨日のセミナー報告は以上です。
ところで今日は、ガイドスタッフと専門家の方達による勉強会でした。観察した地層の中には、2500年前に三宅島にカルデラが空いた時の火山灰層が入っていました。
写真の一番下にある、人の背丈もある火山灰の層。
この時の灰は、全島に降り積もっているそうです。
及川氏の「2000年の噴火はマグマが横に移動して、地上に出てこなかったから、不幸中の幸いだったのかもしれませんよ。こんなに大量の火山灰に覆われたら、それこそ何10年も住めませんよね?」という言葉が、とても印象的でした。
火山の島に住むということは、人の力の及ばない大きな存在を受け入れながら暮らすこと…。
そのことを、しみじみ感じました。
(カナ)
午前中はガイド付きジオツアーでした。
まずは新澪池へ。
「看板の前の石垣は、噴火で飛んで来た石を使って作ってある」のだそうです。
火山のパワーもスゴいけれど、人間も逞しい!
続いて新鼻新山へ。
前回は上から眺めただけだったので、下から見上げられるなんて嬉しいです。
真っ赤な崖!
色が赤いのは、かなり高温の溶岩が降り積もったから…
この崖、たった20時間で積もったのだそう。
噴火の最中は、いったいどんな光景だったのでしょう?
崖はカーブを描きながら、色を黒に変えて行きます。
私たちが立っていた場所は、かつての火口。
丸い火口の海側は、波が削りとってしまったようです。
移動中のバスの車窓からは、溶岩が山腹を流れ下った様子を観察できます。
大島よりも噴火周期が短く、ほぼ20年ごとに噴火する三宅島。
しかも中央火口からではなく、山腹や海岸から噴火することが多いので、バスで周回道路を走るだけで“火山の存在”を感じることができるのです。
噴火の歴史を語る“地層”もあちらこちらの道路脇で観察できます。
地層に穴が空いていることもあります。
これはススキが焼けてしまった跡なのだそう。
昨年、自分で遊びに来た時も立ちよった“椎取神社”
2000年噴火後何度も泥流が流れ、神社の鳥居がだんだん埋まっていったとのこと。
近くの看板には、雨の度に泥流が流れて鳥居を埋め、火山ガスで木が枯れていった経過が紹介されています。
そして目の前には、一時枯れた木が新しい枝を延ばし、緑の森を作りはじめた風景を見ることができます。
昨年はこの風景を見て“命の逞しさ”に感動しましたが、今は「“火山灰”が地表に降り積もると何年もその影響を受けるのが、火山島の運命」だということも実感します。それは近い将来、私の身の回りにも起こる可能性のあることなのだと…。
ガイドさんが1枚の絵を元に「今、私たちがいるこの場所は、かつては海でした。」と説明してくれました。
ガイドさんは「この場所に来ると、ロマンを感じる」と語っていました。
その気持ち、よくわかります。
この絵を描いた人は、やがて目の前の海が陸地に変わってしまうと想像したことがあったのでしょうか?
さて、ツアー終了後、午後からは室内で“GEOセミナー”が行われました。
講演内容は以下のとおりです。
「伊豆半島ジオパークのGEO普及ツールについて」
鈴木雄介氏(伊豆半島ジオパーク事務局)
「伊豆半島は、三宅島の皆さんをお待ちしています。何万年待てば来ますかね?(三宅島がフィリピン海プレートに乗って、伊豆半島に近づいていることを語っていますが、会場が和むナイスな言葉でした!)
歴史、火山、動植物、をおもしろく伝えるのがジオガイド。歴史を学びつつ自然災害についても学び、観光にも防災にも、教育にも役立てる。伊豆半島では認定制度をとっていて、現在73名のジオガイドが認定されている。ジオ検定も行い、昨年は全国で800名が受験した。他に面白い取り組みとして、ジオ生け花、ジオ絵本自費出版、その日定置網で取れた魚で作るジオ丼(地魚)、ジオ菓子、スコリア積んだピザ釜など。
17.000年前の噴火で平らな土地ができ、溶岩の先端に滝ができ、キレイなわき水がワサビを育て、ワサビ農家で子どもが育つ。今年のポスターはわさび農家の子ども。(このポスター、素敵です!)
地面の上にあるものは、全てジオパーク。その土地そのもの,生態だけでなく、歴史文化、すべてがジオパーク。地域の人が専門家の助けをもらいながら、地域の良い所を発見する。ジオパークは認定して認めてもらうのものではなく、ネットワークの仲間入りをすること。
事例は違うけれど、私も同じことを語っていたと思います。
なぜなら私が作ったパワポの前半のまとめは…
ひとつひとつ事例を挙げながら最後にまとめてみたら、このような図になりました。
ジオパークで活動していると、離れた場所で活動しているのに、同じように考えて仕事をしている人に出会って感動することが多いのですが、昨日もそうでした。全国に同じ思いの仲間がいる…いや~、ジオパークは面白いです。
「GEOの楽しさ、伊豆大島でのGEOの取り組み」
私。(西谷)
いつもこのブログで語っているので、今回の報告は省略します。
「三宅島のGEOの取り組みの紹介」
青谷知己氏(府中高校地学教諭 元・三宅高校)
噴火後 避難して帰ってきて、ジオを見せる仕組みを作るため2006年から活動開始。火山を生かした観光、噴火遺構の保全を中心に進めて来た。都からの予算で、遊歩道、郷土資料館、ジオ看板(3年間で作成)、ジオセミナー、ジオマップ、ジオツアー、観光ガイドと子ども達の学習の順で実施。小学生がジオスポットを巡ってジオカルタを作ってくれた。その時「火山の恵みを楽しみながら学べるようにと、こころをこめて作りました。」という泣かせる言葉が添えられていた。活動は地道に広げていくのが大事。ジオは特別なことではない。私たちが大地に生かされている。
三宅島の今後について、三宅の年寄りに語り部の会で参画してもらってはどうか?山頂ツアーを有料ガイド付きにし、避難所も側に作る。ジオバスツアーにガイドが乗る。ヘリツアー、ジオ看板巡りのポイントラリー、研究者トークイベント、気象庁からの話しなどを行ってみてはどうか?
…次々に出てくるアイデアを聞いて、三宅島を離れた後も、これほど島を思ってくれる人の存在があることに感動しました。三宅島も沢山の宝物を持っている島だなぁ、と思いました。
「三宅島火山の新展開について」
及川輝樹氏(産業総合研究所 火山地質の専門家)
現場を歩きながら三宅島の地質図を調べている。噴火前は、緑の島。それが噴火で植物が枯れて、崖ができ観察しやすくなった。地図を作る技術、年代測定の進歩もあり、今までの地質図の間違えがわかるようになった。以前は噴火に休止期があったと言われていたが、実は休み無く噴火を続けて来た火山だとわかって来た。
昨日のセミナー報告は以上です。
ところで今日は、ガイドスタッフと専門家の方達による勉強会でした。観察した地層の中には、2500年前に三宅島にカルデラが空いた時の火山灰層が入っていました。
写真の一番下にある、人の背丈もある火山灰の層。
この時の灰は、全島に降り積もっているそうです。
及川氏の「2000年の噴火はマグマが横に移動して、地上に出てこなかったから、不幸中の幸いだったのかもしれませんよ。こんなに大量の火山灰に覆われたら、それこそ何10年も住めませんよね?」という言葉が、とても印象的でした。
火山の島に住むということは、人の力の及ばない大きな存在を受け入れながら暮らすこと…。
そのことを、しみじみ感じました。
(カナ)