浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『琉球新報』コラム

2018-03-02 23:30:19 | その他

<金口木舌>「酒は買えないのに、銃は買える?」

2018年3月2日 06:00

 「19歳は酒を買えないのに、なぜ、半自動小銃は買えるのか」「銃ではなく、子どもたちを守れ」「安全な学校で勉強したい」

▼フロリダ州の高校で起きた銃乱射事件を受け、生徒たちが銃規制を求めて立ち上がった。銃所持の権利を推進する圧力団体・全米ライフル協会(NRA)の献金を受ける政治家たちに「恥を知れ!」と訴え、「Never Again(二度と起こさない)」を合言葉にSNSで草の根運動を広げる。各地で行う演説やデモはパワフルだ
▼一方のNRAトップは「悲劇の政治利用」と批判。トランプ大統領が検討を表明したのは、銃購入可能な年齢の引き上げと、教職員を武装させる案だ。生徒らを「雇われた役者」とするデマがウェブ上で拡散した。悲しいことだ
▼乱射事件のたびに銃規制の論議を巻き起こしながらも、実質的な対策を打ち出せず、悲劇を繰り返してきた米国。だが、若者たちの強い決意と行動が大きな転換点になるかもしれない
▼航空会社や銀行、レンタカー会社はNRA会員割引などの廃止を打ち出した。ファッションブランドのグッチや俳優のジョージ・クルーニーさんらは生徒らの活動に寄付を申し出た。全米で共感、支援が広がっている
▼教室を飛び出して行動する未来の有権者たち。政治に対し、何をやっても変わらないという風潮を改めなければならないのは、大人の方だ。

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『信濃毎日新聞』コラム

2018-03-02 23:26:53 | その他

斜面

敗戦翌年の1946年夏、国会で9条を巡る論議が白熱していた。社会党の議員が「世界に向けた平和宣言」を加えるよう提言した。当初及び腰だった政府も姿勢を転換。間もなく憲法担当相の金森徳次郎が修正に応じる考えを示した

   ◆

特別委では法律家でもある社会党の鈴木義男が、平和を求め国際信義を重んじる国是を挿入するよう提案。委員長の芦田均は外務省の意向もくんで調整し、9条1項の冒頭に加筆した。〈日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し〉

   ◆

連合国軍総司令部(GHQ)案や、それを基に作った政府案の9条1項がうたっていたのは「戦争放棄」だけだった。古関彰一著「平和憲法の深層」を読むと日本人が自らの手でこの「平和条項」を加えた経緯が分かる。平和への貢献こそ日本が目指す道理との覚悟がにじみ出る

   ◆

誰のためか何のためか分からない。自民党の9条論議だ。安倍晋三首相(党総裁)は自衛隊を明記しても任務や権限は変わりないという。ならば必要があるのか。3月25日の党大会で条文案を決めるという。日程ありきの駆け足論議にはついていけない

   ◆

芦田は「平和条項」加筆を報告した本会議で訴えた。戦争の全面否認こそ数千万人の犠牲を出す体験をした万人が「懇望(こんもう)」するところ。世界平和への大道である、と。自民党の9条改定案は世論の抵抗が小さい安倍案に落ち着くのだろう。改憲そのものが目的の「願望」に道理は見えない。

(3月2日)
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【本】山本義隆『近代日本150年ー科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書)

2018-03-02 19:38:46 | その他
 読み終えた。強靭な批判的知性、様々な博捜された資料、それぞれの時代の特徴を分析しながら、ビシビシと問題点を指摘していく。

 今、政府・自治体は、明治維新からの150年を称揚する行事を繰り広げようとしている。本書は、そうした時に、緻密で批判的な科学技術の歴史を対置し、明治150年は称揚で良いのか、称揚に値するのか、と鋭い問題提起を行う。

 「序文」に、本書の見取図が記されているが、それが多数の文献によって明らかにされていく。

 明治以降の科学技術は現在まで一貫して、「列強主義ナショナリズムに支えられた成長イデオロギー」であったということを指摘する。したがって、1945年で区切ることをしない。

 今、2018年の時点において、1945年の区切りは見えなくなってきている。「列強主義ナショナリズムに支えられた成長イデオロギー」が、その区分を消そうとしているのだ。

 しかし山本は、福島の原発事故を契機に、「明治以来、「富国強兵」から「大東亜共栄圏」をへて戦後の「国際競争」にいたるまで一貫して国家目的として語られてきた「国富」の概念の、根底的な転換」が求められている、という。

 今こそ、あるべき区切りを付けるべきだとする山本の主張は、150年にわたるわが国の科学技術の展開を叙述してきたことにより出された結論である。

 詳しい説明をここに書くことはしないが、これは名著である。

 『図書』でこの本の発売が知らされたとき、買わなければと思ったが、すぐに注文しなかった。発売直後に注文したら、「在庫なし」であった。しばらくたってから届けられたが、この本がよく売れること、よく読まれることを望む。

 私は、氏の『16世紀文化革命』(みすず書房)も読んだが、資料の博捜ぶりに驚き、またその分析に多くを学んだ。氏は、将来を嘱望された科学者であった。東大闘争を経て、氏はその道ではなく、科学史家として数々の名著を著した。氏の肩書きに「元東大全共闘議長」とある。あの時代の問題意識を、今なお持ち続けていることを示しているのだろう。

 私が尊敬するもと『世界』編集長・吉野源三郎氏の著書の中に、家庭教師としての氏の姿が描かれていた。そういう側面を含めて、氏の生き方が気にかかっていた。あの時代の問題意識をかなぐり捨てて体制のなかに入り込んだ者は私の周りにもいるが、批判的知性を持ち続けている氏の姿に、私は安堵する。

 山本義隆氏は、1941年生まれである。まだまだ現役で活躍している。私も頑張ろうと思う。
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大学は何処に向かう

2018-03-02 08:49:57 | その他
 今日の『朝日新聞』

 大学VS教授 解雇巡る法廷バトル次々 学長権限強まり

私立大学の教授らが解雇を巡り、大学側と訴訟などで対立するケースが相次いでいる。教職員組合によると、2014年に学長権限を強めた改正学校教育法が成立した後に目立つようになったという。

 つまり、大学経営陣に対して意見を言ったりする人や教職員組合の幹部を馘首する例が続いているというのだ。今や、大学は、1930年代以前の大日本帝国憲法時代の大学よりも後退している。

 1933年の滝川事件などがあり、戦前にもあった「大学の自治」は後退していくのだが、今の大学も、1930年代以降の戦時体制へとつながる時期の大学とよく似ている。

 今、山本義隆の『近代日本150年ー科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書)を読んでいる。すばらしい本だ。たくさんの資料を博捜し、それらを分析し、批判的な記述をしているのだが、知的に冴え渡っている。さすが山本義隆である。

 そのなかに、田辺元の「科学政策の矛盾」を紹介している箇所がある(172頁)。いま田辺の引用元をさぐることはできないので、山本の文をそのまま載せる。


 田辺は、「一方に於て文化科学、社会科学に関する知識を制限して、知識の代りに情操と信仰を鼓吹することを務めながら、他方に於ては主として国防充実の目的を以て、自然科学の奨励に極力力を致すの矛盾」指摘している(『改造』1936年10月)。ここで田辺は、「民衆の知識を制限し、社会の進展に関する法則をくらまして批判を封じるも、為政者自身がその政治的施設に科学的知識を必要とし、特に経済財政の正確なる知識を有する者が今日の政府の主脳となるの必然なることは如何ともすることができないのではないか」と指摘し、自然科学だけではなく社会科学と文化科学の教育の重要性も語り、「教育の反知識主義を鼓吹する如きは、明白なる時代錯誤でなくして何だろう」と結んでいる。

 今、政府・文科省は、大学における文化・社会系学部をなくし、直接巨大企業に役立つ理系・工学系などの学部にカネを回し、企業と提携してカネを儲けることが可能な研究へとシフトさせている。そして「生きる力」を強調しつつ、知識ではなく、政府文科省が考える「情操と信仰」、「道徳」を子どもたちに押し付けようとしている。

 まさに現在の文教政策は、1930年代の戦時体制へと向かう中で行われた施策ときわめて似ているのだ。そのなかで、そうした方向性に異を唱える者たちを、大学から追放しようとするのだ。

 しかし、こうした政策の流れに危機感を抱く者は少ない。となると、その先に待っているものが何であるかは、予想できる。


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「公」としての資格

2018-03-02 08:45:16 | その他
 日本の官僚達には、「公」という自覚がないようだ。ひたすら政権党の顔色を窺って、みずからの立身出世を望む。真実なんかはどうでもよいのだ。かくも日本の国家組織は腐敗堕落している。

 『朝日新聞』記事。

財務省「決裁文書、開示したものだけ」 書き換え指摘に

 森友学園との土地取引の際に財務省が作成した決裁文書が、契約当時のものと、問題発覚後に国会議員に開示したもので内容に違いがあることがわかった。財務省の中村稔・理財局総務課長は1日、決裁後に内容が変更されていないか、との朝日新聞の取材に対し、「我々が決裁文書として持っているものは、情報開示請求などに出しているものだけだ」と答えた。


 その内容は。

学園側との交渉についての記載や、「特例」などの文言が複数箇所でなくなったり、変わったりしている。複数の関係者によると、問題発覚後に書き換えられた疑いがあるという。

 デタラメのデータを国会に提出したり、文書を改竄したり・・・・
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