今日は車で静岡へ向かった。国道一号線を、遠江から駿河へ。国越えである。国境の大井川は、いつものように河水は少なかった。文明という病に奪われ、地の中を通る。
周辺の山裾に、ところどころさくらの花が見えた。山の中のさくらは、あまり自己を主張しないからいい。
安倍川を渡り、国道一号線を外れ、市街地に向かう。途中小さな花屋さんがある。店の前に、鉢植えの花が色とりどりに咲き誇っていた。
一日、会議を行う。何とか書き上げた文について、説明をする。なかなか書くということには、時間がかかる。まだ完成しない。
夕方帰宅したら、『週刊金曜日』が届いていた。特集は「追悼 石牟礼道子」である。いつかは石牟礼さんが書いたものを読まなければならないと思いつつ、現在まで来ている。唯一、『苦海浄土』だけを読んでいる。それもずっと前だ。
私にとって、石牟礼道子のことばは、異次元の世界のそれに見える。私のようなちっぽけな存在には見えない世界を見ていた。
高峰武氏の「石牟礼道子さんが見ていた世界」には、石牟礼さんの「花を奉る」が載っている。読んでいて、ただ唸るしかない。この文が描く世界を、私は、とらえようとしてもとらえられない。
末尾だけでも記しておこう。
現世は いよいよ地獄とやいわん 虚無とはいわん
ただ滅亡の世せまるを待つのみか
ここにおいて われらなお地上にひらく
一輪の花の力を念じて合掌す
私も、「一輪の花の力」を念じる。
周辺の山裾に、ところどころさくらの花が見えた。山の中のさくらは、あまり自己を主張しないからいい。
安倍川を渡り、国道一号線を外れ、市街地に向かう。途中小さな花屋さんがある。店の前に、鉢植えの花が色とりどりに咲き誇っていた。
一日、会議を行う。何とか書き上げた文について、説明をする。なかなか書くということには、時間がかかる。まだ完成しない。
夕方帰宅したら、『週刊金曜日』が届いていた。特集は「追悼 石牟礼道子」である。いつかは石牟礼さんが書いたものを読まなければならないと思いつつ、現在まで来ている。唯一、『苦海浄土』だけを読んでいる。それもずっと前だ。
私にとって、石牟礼道子のことばは、異次元の世界のそれに見える。私のようなちっぽけな存在には見えない世界を見ていた。
高峰武氏の「石牟礼道子さんが見ていた世界」には、石牟礼さんの「花を奉る」が載っている。読んでいて、ただ唸るしかない。この文が描く世界を、私は、とらえようとしてもとらえられない。
末尾だけでも記しておこう。
現世は いよいよ地獄とやいわん 虚無とはいわん
ただ滅亡の世せまるを待つのみか
ここにおいて われらなお地上にひらく
一輪の花の力を念じて合掌す
私も、「一輪の花の力」を念じる。