ひどい寒さからやっと春の姿が見えるようになった。とはいっても、庭はみどりにおおわれているわけではない。まだまだ冬がそこにあるような季節。
だが実家の庭には、今花が咲き誇っている。薄いピンクの花がいっぱい、今日の青空にみずからの存在を誇示していた。
子どもの頃からあるこの木を、ぼくらは「さくらんぼの木」といってきた。4月末から5月初めにかけて、生き生きとした葉と色を競い合うように、赤い小さな実がいっぱい結ぶ。鳥とぼくらの取り合いが始まる。
「さくらんぼの木」。この木のほんとうの名を知らなかった。「桜桃」というのだそうだ。ほかの呼び方もある。「ゆすら」。何といういい名だろう。
「桜桃」(おうとう)より、「ゆすら」がいい。
今月号の『図書』(岩波書店)、新しく出た『広辞苑』を紹介した文に、これがあった。あたらしい知識を得た喜びがある。
そういえば、「桜桃忌」というものがある。太宰治をしのぶ日である。太宰は「桜桃」という小説を書いている。
子どもの頃、ぼくは毎年「ゆすら」の実を食べた。子どもが生まれたら、子どもに食べさせた。太宰の小説では、父親が「桜桃」を食べては種を吐き、食べては種を吐きしている。「子供よりも親が大事」が末尾の文である。
「ゆすら」の実は、子どもが食べるものだ。
だが実家の庭には、今花が咲き誇っている。薄いピンクの花がいっぱい、今日の青空にみずからの存在を誇示していた。
子どもの頃からあるこの木を、ぼくらは「さくらんぼの木」といってきた。4月末から5月初めにかけて、生き生きとした葉と色を競い合うように、赤い小さな実がいっぱい結ぶ。鳥とぼくらの取り合いが始まる。
「さくらんぼの木」。この木のほんとうの名を知らなかった。「桜桃」というのだそうだ。ほかの呼び方もある。「ゆすら」。何といういい名だろう。
「桜桃」(おうとう)より、「ゆすら」がいい。
今月号の『図書』(岩波書店)、新しく出た『広辞苑』を紹介した文に、これがあった。あたらしい知識を得た喜びがある。
そういえば、「桜桃忌」というものがある。太宰治をしのぶ日である。太宰は「桜桃」という小説を書いている。
子どもの頃、ぼくは毎年「ゆすら」の実を食べた。子どもが生まれたら、子どもに食べさせた。太宰の小説では、父親が「桜桃」を食べては種を吐き、食べては種を吐きしている。「子供よりも親が大事」が末尾の文である。
「ゆすら」の実は、子どもが食べるものだ。