浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

桜桃

2018-03-03 21:10:11 | その他
 ひどい寒さからやっと春の姿が見えるようになった。とはいっても、庭はみどりにおおわれているわけではない。まだまだ冬がそこにあるような季節。

 だが実家の庭には、今花が咲き誇っている。薄いピンクの花がいっぱい、今日の青空にみずからの存在を誇示していた。

 子どもの頃からあるこの木を、ぼくらは「さくらんぼの木」といってきた。4月末から5月初めにかけて、生き生きとした葉と色を競い合うように、赤い小さな実がいっぱい結ぶ。鳥とぼくらの取り合いが始まる。

 「さくらんぼの木」。この木のほんとうの名を知らなかった。「桜桃」というのだそうだ。ほかの呼び方もある。「ゆすら」。何といういい名だろう。

 「桜桃」(おうとう)より、「ゆすら」がいい。

 今月号の『図書』(岩波書店)、新しく出た『広辞苑』を紹介した文に、これがあった。あたらしい知識を得た喜びがある。

 そういえば、「桜桃忌」というものがある。太宰治をしのぶ日である。太宰は「桜桃」という小説を書いている。

 子どもの頃、ぼくは毎年「ゆすら」の実を食べた。子どもが生まれたら、子どもに食べさせた。太宰の小説では、父親が「桜桃」を食べては種を吐き、食べては種を吐きしている。「子供よりも親が大事」が末尾の文である。

 「ゆすら」の実は、子どもが食べるものだ。
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【本】田中伸尚『囚われた若き僧 峯尾節堂』(岩波書店)

2018-03-03 15:03:08 | その他
 著者による「大逆事件」の三番目の著書である。

 今回は、新宮グループのひとり、峯尾節堂。彼は、臨済宗妙心寺派の僧侶であった。

 青春の懊悩の中、様々なものに関心を持ち、そのなかで新宮のドクトル・大石誠之助と出会う。社会主義、無政府主義の思考に傾いたときもあったが、彼は「信念」としてそういう思考をもったことはなかったようだ。しかし、大石たちと交遊していたことが契機となり、彼も事件の被告人として、国家の毒牙にかけられた。死刑の判決がでたが、天皇の「恩」ということで、無期懲役となった一人である。しかし彼は獄中で亡くなった。33歳であった。

 田中氏は、峯尾の妻、「ノブ」の行方を捜す。事件の被告人となった者だけではなく、その家族、親族も巻き込まれた。峯尾が拘束されたとき、彼は新婚早々であった。だが峯尾の周辺に、妻ノブの影が見えない。田中氏は、ノブの足跡をたどる。その追跡は、読む者を引きつける。

 本書は、峯尾節堂とその妻であったノブのその後を描いている。

 まず節堂であるが、彼は社会主義の「信念」を持っているわけではない。しかし国家権力に、持っているだろうと推測されただけで、死刑判決を受けた。国家はいかにも恣意的に、ねらった者を下獄させることが出来るのだ。

 事件の前の節堂の思考、獄中での思考を、残された数少ない文書により(他の研究者が節堂の大きなブレを感知したことにより節堂に言及しなくても)、節堂の思考に沿いながら、節堂を描く。節堂のような、青春の懊悩の中で社会主義に近づいた者であっても、国家権力が社会主義者、無政府主義者であると「断定」すれば殺すことさえ出来る、その問題性を、本書は浮き彫りにする。

 だが、そうした問題性は、今もって放棄されたままである。

 また事件に巻き込まれたノブの行方を執拗に、事件に巻き込まれた人々の苦難を描くのだが、これがとても緊迫感溢れている。

 本書は、治安維持法と肩を並べる共謀罪が通過した現在への警鐘ともなっている。

 ぜひ多くの人に読んでいただきたい。


 
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官僚は信用できず

2018-03-03 09:15:09 | その他
 わが国の官僚は、「優秀」だといわれていたが、かくまで品性劣悪で能力が低いとは。森友問題や、裁量労働制のデータ隠しとそのデタラメのデータをみると、「低劣」と言うしかないようだ。

 『毎日新聞』記事。

<立憲・長妻代表代行>データ「100%おかしいと確信」

 『朝日新聞』記事。

土地の賃貸と売却契約の決裁文書、書き換えか 森友問題
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