私が何らかの研究をするとき、必ずstateとしての国家を意識する。というのも、歴史的な事象というものは、人間が関わっていないことはないと思われるからである。
もちろん、地震や津波、あるいは気象など、人間が左右できない自然の事象があり、それは人間の生活や社会に大きな影響を与える。したがって、自然、人間を取り巻く自然環境は決して無視できるものではない。それを前提にして書くのだが、人間社会で起きる様々な事象には、かならず人為的な作為が働いている。
たとえば、最近、インドシナ難民についての研究を聴く機会があった。インドシナ難民がなぜ日本に来たのか、どのくらいの人が難民として日本に入ることができたのか、そしてどこに多く住んでいるのか、どういう困難を抱えているのか・・報告の内容は、だいたいこういうものだ。そのなかで強調されていたのが、ことばの問題である。難民で日本に入った一世は、日本語がほとんど出来ない、2世は日本語とそれぞれの国の言葉を話すことはできるが、両方とも不完全である。したがって、親子の会話が円滑になされず、日本語を話せない親を軽蔑することもあるという。
確かにことばの問題は大きい。ことばの問題など、難民が抱える苦難の説明はあった。ではどうするか、どうすれば難民たちの困難が軽減されるのかといった報告はなかった。
私は近代以降の在日コリアンの歴史について調べたことがある。あるいは「満洲移民」についても調べたことがある。そのなかで感じたことは、日本国家は「外国人」に対して冷たい、ということであった。近代以降、コリアンは日本に出稼ぎに来ているが、しかし植民地にした朝鮮から自由に渡航させたわけではない。日本経済が雇用を拡大したいときに渡航させ、景気が悪くなったら渡航を制限するということをやった。
まさに現在の「外国技能実習生」制度と同じように、労働力不足を低賃金で補うために外国人を受け入れる。しかし、その人たちの賃金や権利などを、国家がきちんと面倒を見るわけではない。せっかく日本に来ているのだから、日本語をしっかり学ばせよう、などという配慮はない。
(中国から帰国したいわゆる「残留孤児」に対して日本国家がいかなる手当てをしたかを振り返れば、日本国家の冷酷さがわかるというものである。)
労働力不足を補うために日本国家がまず行ったこと、それは日系人の受け入れであった。今では多くの日系ブラジル人が日本に定住しているが、日本国家は彼等への言語教育や労働環境について関心をもったことはない。
浜松では、今でも多いが、早くから日系ブラジル人やペルー人が工場で働くようになった。しかし劣悪な労働環境や、子どもたちの教育問題など、国家や自治体がほとんど何もしないとき、私たちは「ヘルスの会」をつくって支援活動をおこなったことがある。
そういう経験から、難民と認定されて日本に入ってきた人たちを、日本国家はきちんと面倒をみるべきであること、日本政府の移民政策、難民対策を調べてきた私にとっては、インドシナ難民の困難を軽減させるためには、国家や自治体にもっと要求すべきであること、難民の困難を生み出しているのは、日本国家であること。
若い人たちの研究を聴いていると、国家への言及がないことに気付く。私は社会的な事象には、かならず人為的な面があり、それに国家がほとんど関係していることを経験的に知っているから、政府、自治体は何をしているのか、を探る。しかし若い研究者は、国家、政府・自治体などの「公」を問うことをしない。
「公」=国家を疑うことなしに、よい研究は出来ないと思う。
もちろん、地震や津波、あるいは気象など、人間が左右できない自然の事象があり、それは人間の生活や社会に大きな影響を与える。したがって、自然、人間を取り巻く自然環境は決して無視できるものではない。それを前提にして書くのだが、人間社会で起きる様々な事象には、かならず人為的な作為が働いている。
たとえば、最近、インドシナ難民についての研究を聴く機会があった。インドシナ難民がなぜ日本に来たのか、どのくらいの人が難民として日本に入ることができたのか、そしてどこに多く住んでいるのか、どういう困難を抱えているのか・・報告の内容は、だいたいこういうものだ。そのなかで強調されていたのが、ことばの問題である。難民で日本に入った一世は、日本語がほとんど出来ない、2世は日本語とそれぞれの国の言葉を話すことはできるが、両方とも不完全である。したがって、親子の会話が円滑になされず、日本語を話せない親を軽蔑することもあるという。
確かにことばの問題は大きい。ことばの問題など、難民が抱える苦難の説明はあった。ではどうするか、どうすれば難民たちの困難が軽減されるのかといった報告はなかった。
私は近代以降の在日コリアンの歴史について調べたことがある。あるいは「満洲移民」についても調べたことがある。そのなかで感じたことは、日本国家は「外国人」に対して冷たい、ということであった。近代以降、コリアンは日本に出稼ぎに来ているが、しかし植民地にした朝鮮から自由に渡航させたわけではない。日本経済が雇用を拡大したいときに渡航させ、景気が悪くなったら渡航を制限するということをやった。
まさに現在の「外国技能実習生」制度と同じように、労働力不足を低賃金で補うために外国人を受け入れる。しかし、その人たちの賃金や権利などを、国家がきちんと面倒を見るわけではない。せっかく日本に来ているのだから、日本語をしっかり学ばせよう、などという配慮はない。
(中国から帰国したいわゆる「残留孤児」に対して日本国家がいかなる手当てをしたかを振り返れば、日本国家の冷酷さがわかるというものである。)
労働力不足を補うために日本国家がまず行ったこと、それは日系人の受け入れであった。今では多くの日系ブラジル人が日本に定住しているが、日本国家は彼等への言語教育や労働環境について関心をもったことはない。
浜松では、今でも多いが、早くから日系ブラジル人やペルー人が工場で働くようになった。しかし劣悪な労働環境や、子どもたちの教育問題など、国家や自治体がほとんど何もしないとき、私たちは「ヘルスの会」をつくって支援活動をおこなったことがある。
そういう経験から、難民と認定されて日本に入ってきた人たちを、日本国家はきちんと面倒をみるべきであること、日本政府の移民政策、難民対策を調べてきた私にとっては、インドシナ難民の困難を軽減させるためには、国家や自治体にもっと要求すべきであること、難民の困難を生み出しているのは、日本国家であること。
若い人たちの研究を聴いていると、国家への言及がないことに気付く。私は社会的な事象には、かならず人為的な面があり、それに国家がほとんど関係していることを経験的に知っているから、政府、自治体は何をしているのか、を探る。しかし若い研究者は、国家、政府・自治体などの「公」を問うことをしない。
「公」=国家を疑うことなしに、よい研究は出来ないと思う。