福岡県西区の博多湾に能古島がある。ここは伊藤野枝の生誕地今宿に近く、野枝はこの島まで泳ぐことが出来たほど水泳が得意だったという。
私は野枝の生誕地を訪ねたとき、この島を遠く眺めた。野枝も、その島を遠望しながら育ったはずだ。
ところで、能古島(のこのしま)、「残の島」という演劇が、10月25日から28日迄、劇団朋友により東京六本木の俳優座劇場で上演される。「伊藤野枝、そのおじ・代準介、そして野枝の娘ルイズ」をとりあげたものだ。
野枝は、大杉栄らと共に、1923年9月16日、憲兵隊によって虐殺された。この劇の上演の意図は、なぜ野枝たちは虐殺されたのか、という問題意識をもった劇である。
野枝は28歳で命を絶たれた。いったいなぜ?
国家権力は、ときに牙をむいて(戦時下に於いては恒常的に)、人間の命を簡単に奪う。そこには何らかの意図があるはずだ。
野枝は、自らの生を拡充すべく生きた。この時代、いや今も、人がおのれの生の充実を求めて自由に、それを妨げる障礙をはねのけて生きようとするとき、その生を疎ましく思う輩がいる。誰が、何が、大杉や野枝らの存在を疎ましく思ったのか。そして命を奪ったのか。
暴力性を本質的な属性とする国家権力、その権力を、私たちは凝視しなければならない。
私は野枝の生誕地を訪ねたとき、この島を遠く眺めた。野枝も、その島を遠望しながら育ったはずだ。
ところで、能古島(のこのしま)、「残の島」という演劇が、10月25日から28日迄、劇団朋友により東京六本木の俳優座劇場で上演される。「伊藤野枝、そのおじ・代準介、そして野枝の娘ルイズ」をとりあげたものだ。
野枝は、大杉栄らと共に、1923年9月16日、憲兵隊によって虐殺された。この劇の上演の意図は、なぜ野枝たちは虐殺されたのか、という問題意識をもった劇である。
野枝は28歳で命を絶たれた。いったいなぜ?
国家権力は、ときに牙をむいて(戦時下に於いては恒常的に)、人間の命を簡単に奪う。そこには何らかの意図があるはずだ。
野枝は、自らの生を拡充すべく生きた。この時代、いや今も、人がおのれの生の充実を求めて自由に、それを妨げる障礙をはねのけて生きようとするとき、その生を疎ましく思う輩がいる。誰が、何が、大杉や野枝らの存在を疎ましく思ったのか。そして命を奪ったのか。
暴力性を本質的な属性とする国家権力、その権力を、私たちは凝視しなければならない。