浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

年賀状の整理

2024-01-04 08:29:21 | その他

 今まで年賀状の挨拶を交わしてきた人から、「来年からは年賀状の挨拶をやめる」という趣旨の年賀状が毎年1通ほど来るようになった。お互い齢を重ねてきたからだ。私も徐々にそうしようと思い、今年からその旨を年賀状に書くようにした。

 その判断の基準は、まず毎年印刷されたものを送ってくる人で、一行も書き足していない年賀状である。書くこともないということだから、そういう人とは、もう縁を切ってもよいだろう。

 次に、自慢話を書いてくる人。その背後に「昨年私はこんなことをしました」というもので、その人の「こんなこと」については、私にとってはまったく関りがない。そういうことを書いてくるその人は、毎年そういうことを書いてきて、新年早々から自慢話かよ・・という気分である。今まで付き合ってきたが、もういいよ、というのが、私の判断である。こういう人には、ぜひセジウィックの『男同士の絆』、あるいは『100分で名著 フェミニズム』でも読んでほしい。ホモソーシャルな世界では、男同士の絆もあるが、その中では男性間の競争が行われていて、カネや権力、名誉や評判をめぐって争い、それぞれの男はその集団の中でより上位を占めようとする。「僕ってすごいでしょ」という内容の年賀状は、今までも不要であったが、これ以上はいらない。

 年賀状のつきあいも、取捨選択の時期が来たようだ。

 

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『世界』の石川健治論文

2024-01-03 21:21:34 | 

 今日『世界』2月号が届いた。早い到着であった。

 石川健治、東大の憲法学者が「『世界』の起源」を書いていた。彼が書いたものは、今までもいろいろ読んできた。問題意識をもち、新鮮で学問的な内容のものが多いからだ。

 さてこの文は、雑誌『世界』の「起源」を述べながら、現在から将来にかけてどういう姿勢をもつべきかを書いたものだ。

 創刊された頃の『世界』は、今で言うリベラルに徹したわけではなく、幅広い人びとがそれぞれの考えをもちながら集っていた。そういう創刊の頃のあり方をふり返りながら、久野収の文を紹介している。

 『世界』発刊に協力した『心』に集った人びとを思い浮かべながら、久野は「前近代的なもの、近代的なもの、超近代的なものにそれぞれ、しっかりした価値評価を持ち、自分の実践的スタイルの中にその価値評価を生かしているような古風な民主主義者、モダーンな民主主義者、ウルトラモダーンな民主主義者が出て来て、相互にしっかり協力しあうことだと思う。これがタテの民主戦線というものです。」と書いている。

 石川は、久野は、「ヨコの共同ばかりしか考えられない」人民戦線への反省をこめてそれを書いたと指摘し、「二〇二四年の『世界』が、「タテの民主戦線」を実現できるか」と記す。なるほど、である。民主主義を核として、いろいろなレベルの民主主義者を糾合すべきだというのであろう。

 もちろん石川は、久野の「無数の自立的小集団が文字通り、民衆の草の根を形成するようになって、“下からの”民主主義ははじめて根をおろすだろう」を紹介しているから、今、全国各地で動いている小集団の動きを否定しているわけではない。

 下からの民主主義者の動きと、様々なレベルの民主主義者とともに、「タテの民主戦線」をつくれないだろうか、というのだろう。

 考えさせられる提起である。

 

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複雑だ

2024-01-03 16:12:00 | 国際

 ユーチューブで、「ニューイヤーコンサート」と検索したら、ロシアのマリンスキー劇場管弦楽団のそれがでてきた。同管弦楽団は、ゲルギエフが芸術監督として名を挙げ、ウクライナ戦争までは世界各地で演奏会を開いていた。ゲルギエフがプーチンとつながっているということから、ウクライナ侵攻以後、欧米ではゲルギエフの演奏がぴたりととまっているようだ。

 ゲルギエフ指揮のマリンスキー劇場管弦楽団は、浜松市にも演奏に来て、私はそれを聴きに行ったことがある。素晴らしい演奏であった。

 音楽は国境をこえるものだという肯定的な考え方を持っていたが、ロシアのウクライナ侵攻以後、ゲルギエフとマリンスキー劇場管弦楽団を聴かなくなっていた。彼のCDは何枚か持っている。

 今日、指揮はゲルギエフではないが、マリンスキー劇場管弦楽団の「ニューイヤーコンサート」を聴いた。読書するときには、いつも音楽をかけているので、いつものように、それをバックグラウンドミュージックとしてながしておこうと思ったのだが、これができない。しっかりと聴いてしまうのだ。耳がその音をとらえてしまう。

 戦争状態にあるとき、音楽というものをどう考えたら良いのか。複雑な気持ちをもちながら聴いてしまった。

 

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航空機事故

2024-01-03 08:03:21 | 社会

 羽田空港で、JAL機と海保機が衝突炎上した。昨日のニュースは、北陸の地震がかすむほどこの事件が報じられていた。

 海上保安庁機には犠牲者が出、それも北陸の地震による被災者への救援物資を送るために新潟に向かおうとしていたとのこと。心からお悔やみ申し上げる。

 ただ、JAL機の乗客、乗員にはひとりの犠牲者も出なかったことは、ほんとうに奇跡だと思う。衝突直後から炎に包まれる中、皆さんが無事脱出できてほんとうによかった。御巣鷹山に墜落したあの日航機事故を思い出したが、おそらくJALの乗務員にはその事故の教訓が生きていたのだろう。

英報道、全員脱出「奇跡」 日航乗員を「信じられぬ仕事」と称賛

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日常生活の破壊

2024-01-02 16:16:41 | 社会

 昨日の大規模地震による被災の状態が徐々に明らかになっている。映像を見れば見るほど、心が痛む。被災地の人びとの日常生活が根本から破壊されている。東日本大震災の際に見た映像と同じような破壊の姿が目に入ってくる。

 人びとにとって最大の願望は、日常生活を続けることである。しかし映像に映る状態を見れば、それが叶わないことを知る。

 20代後半の頃、金沢、そして能登半島を一周したことがあり、その頃のことがなぜか思い浮かんできた。金沢、輪島、和倉温泉に宿泊した。金沢では高層のホテルから見える人家の瓦屋根、室生犀星の「かはらには一面に水が鋭く走っていた」(故郷にて冬を送る)に、その通りだと思った記憶もある。輪島の旅館では、はじめてナマコを食べた。輪島の朝市にも行った。その場所が火事で燃えてしまった。海岸沿いの車で通ったところも、おそらく崩落していることだろう。

 その頃読んだ本(荻野恒一『過疎地帯の文化と狂気』)にこういう一節があった。

 能登はやさしや土までも。能登の人たちを讃美するこれほど美しいことばはない。このことばを聞いて、あるひとは、能登を訪ねたときの人びとの親切とやさしさを想い出すだろうし、またあるひとは、厳しい生活条件のなかで仏教王国を築いていった能登の人びとの深い信仰心に思いを致すかも知れない。

 日常生活を破壊された能登の人たちに、政府には、早く救助の手をさしのべてもらいたい。義援金の募集が始まったら、私もすぐに拠出するつもりである。

 

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被害は甚大

2024-01-02 11:17:18 | 社会

 北陸地方などの地震の被害は甚大である。被災者の方々の心痛を思うと、やりきれない気持ちだ。

 昨日購入した『関東大震災 文豪たちの証言』(中公文庫)を読んでいる。

 そのなかに、フランスの外交官・ポール・クローデルの「炎上する二都市を横断して」がある。

 そこには次のような記述があった。

 日本は地球上の他のどの地域よりも、津波、暴風雨、噴火、地震、火事、洪水といった、何らかの天変地異にひっきりなしに晒された絶えざる危険と不安の国なのだ。この国の大地は堅固さというものをまるで持っていない。石と砂、溶岩と灰といったまちまちの物質の一時的に堆積した層に沿った柔らかい沖積土からなっており、それらの物質は、亜熱帯植物の強靭な根によってつなぎ止められているにすぎない。(48ページ)

 その通りだと思う。そんな危険な大地に、危険な原発が林立している。

 最近思うことは、ほんとうに日本は劣化しているということだ。道路の白線がハゲているところが多い。横断歩道の白線も消えている。また舗装も悪くなっていて、車で走ると揺れが多くなっていてそういうところが増えているように思われる。

 そのようななかでも、道路はあらたにつくられている。

 基本的な生活を維持するという視点はなく、カネ儲けに繋がる新設だけにカネが投じられる。

 北陸地方や新潟県では、道路が破壊され寸断されている。復興の土木工事がおこなわれる。

 「天真爛漫」の首相は、こういう危ない大地の上に人びとが生きていることをしっかりと見つめるべきである。

 

 

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能登半島

2024-01-02 09:34:45 | 旅行

 大地震の被害に遭われた方々の苦難を思う。

 地震に見舞われた能登半島を車で周遊したのは、20代後半のことだった。それ以降、訪れたことはない。その際に購入した御陣乗太鼓の面は、今も玄関で訪問者を凝視している。

 その時に書いた文を掲載する。今も覚えているが、車で走りながら、人の姿をほとんど見かけることはなかった。そのある種の衝撃を書いたものだ。「過疎地帯ー奥能登」という表題で書いた。

 奥能登の冬は寒い。暗い。わびしい。日本海から吹き寄せる潮風が、山裾の草木を枯らし、荒涼たる姿を現出させる。そしてどんよりとした厚い雲の下で冬の海が荒れる。 

 ほとんど人影は見えない。時おり道のすみを手ぬぐいをかぶった老婆が腰を斜めに曲げながら歩いている。それ以外の人には会わない。人家はあった。車もあった。しかし人はいない。コンクリート・ミキサー車が自らの巨体をゆっくりとまわしていた。しかし人はいない。見捨てられた家、そして車。

 大通りを車がひっきりなしに行き来し、たくさんの人がうごめきあっている「大都市」の生活に慣れた人の目に、奥能登は異様に、あたかもゴーストタウンのように映る。

 過疎。このことばが奥能登を象徴する。全国の山間僻地の状況がここにもある。若者たちは都市に出て行く。部落の男たちも農閑期には「出稼ぎ」に行く。厳しい冬の中、残された人びとは孤立に耐える。そのように生きてきたし、また生きねばならない。

 過疎―これは単に人口の減少ではない。現代に特徴的な極めて深刻な社会現象なのだ。過疎は、「人口減少のために一定の生活水準の維持が困難になり、それとともに資源の合理的利用が困難になって、地域の生産機能が著しく低下し、こうして人口密度が低下し、さらに年齢構成の老齢化が進み、従来の生活パターンの維持が困難になった状態」と、経済審議会地域部会の中間報告は定義する。しかし、過疎は進行する。過疎が過疎を呼ぶ。なぜ?

 冬が過ぎ、雪が溶けると奥能登に若者が来る。都会の若者たちだ。奥能登の人々は忙しくなる。だが、奥能登から出て行った若者は帰ってこない。仕方がない、と奥能登の人々は考えるのだろうか。

 

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「天真爛漫」と共感力

2024-01-02 09:34:45 | 政治

 能登半島を中心とした地域の大地震の被害が少しずつ報じられるようになった。1月1日という日にこのような大地震が起き、被災された方々の絶望は大きいだろう。心から同情し、早く地震がおさまり復興へと進んで行くことを願う。

 「天真爛漫」を座右の銘としているこの国の首相は、おそらく庶民への共感力は欠如しているだろうから、北陸地方の被災者のことを考えることもないだろう。この国は、ほんとうに不幸だ。ろくでもない、ズルばかりする者どもが政治の舵を取っているのだから。

 日本列島は、地震の巣が各所にある。明日はわが身である。大地震がいつ襲来するか、いつも気にして生きていかなければならない。

 「天真爛漫」のこの国の首相は、そんなことを考えることもなく、「オレが首相だ、ワハッハ」とばかりに生きていることだろう。

 他者の苦しみを自らの苦しみとする共苦、そこから何とかしなければ・・・と思うのだろうが、「天真爛漫」の首相は、共感する力を当初から持ち合わせていないようで、「天真爛漫」に生きているのだろう。

 昨日注文していた『関東大震災 文豪たちの証言』(中公文庫)が届いた。昨年は、関東大震災100年、関東大震災を忘却してはいけない。今年も、関東大震災に関わって起きた事件を考えていきたい。そのために、購入した。

 萩原朔太郎の「近日所感」が掲載されていた。

 朝鮮人あまた殺され 

 その血百里の間に連なれり

 われ怒りて視る、何の惨虐ぞ

 

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揺れた!!

2024-01-01 16:41:59 | 日記

 石川県で強い地震があった。

 私はパソコンでスキャンしてPDFファイルを作成していたところだった。

 東日本大震災のときも、2階の自室でパソコンをしていた。そのとき、大きな横揺れを感じ、これは大きな地震だと思い、家の外にでた。

 石川県の人たち、正月元旦のくつろいだ一日を過ごしていたことだろう。

 強い地震にあった地方の人たちに心からお見舞い申し上げます。

 

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浜松市の行政区再編ー住民自治が消えていく

2024-01-01 09:58:03 | 社会

 1月1日から、浜松市の区が、7つから3つになる。スズキトップの鈴木修の野望がやっと実現したというわけだ。広域合併した浜松市が政令指定都市になるに際して区を7つにしたのは理由がある。それについては以前説明したことがある

 今回の区の再編には理念はまったくない。共同通信配信記事が「浜松市の行政区、三つに 再編でコスト削減」とあるように、まさにコスト削減、つまり公務員の人減らしである。人件費を削って、そのカネを産業界に投入するというものである。あるいは産業界の要請に基づいて、某社の陸上競技部のために浜松球場と隣り合っている市営グランドの拡充費用として使われるのだ。そのために浜松球場をなくして浜松市西南部の海岸沿いに県営の野球場を建設させるという荒業までやってのけるのだ。浜松市は、市の名称を、豊田市のように、スズキ市としてしまえばよいのだ。

 浜松市の区が3つになるのは、おそらく静岡市にならっているのだろう。静岡市は、葵区、駿河区、清水区の3つである。浜松市の支配層である産業界は、静岡市への対抗心を隠さない。静岡市が政令指定都市になるなら、浜松市も・・・・という具合である。

 静岡市はなぜ区が3つしかないのか。地方自治は、団体自治と住民自治により構成される。市域が広域になればなるほど住民自治は遠ざかっていく。広域であるからこそ、住民自治を実現させる方策が考えださなければならない。浜松市が政令指定都市になったとき、住民自治を保障する制度を構築した。その制度は、鈴木修の指示を受けた鈴木康友市政により崩されていった。

 静岡市は政令指定都市になるにあたって、住民自治を考えなかったようだ。静岡市にある静岡大学には、自治体論の高名な学者らがいた。彼らはなぜ住民自治の方策を静岡市に進言しなかったのか。著書などで住民自治を論じるのに、足元では何もしない。「学者」らしきふるまいではある。学者たちは、静岡市など県内の自治体が設置する審議会などの委員を務めるので、口出しができないのだろう。

 浜松市は、高山市についで、市の面積が広い、全国第二位の面積を持つ。だからこそ、住民自治の方策が必要なのだ。

 ついでに記しておけば、天竜川以西の自治体は、浜松市と湖西市しかない。平成の大合併で、県西部は政府のいうことをほんとうに素直に聞いたのだ。現在の浜松市は、浜松市、浜北市、天竜市、舞阪町、雄踏町、三ヶ日町、引佐町、細江町、佐久間町、龍山村、水窪町、春野町が合併してできた。湖西市は、湖西市と新居町が合併した。天竜川以西は市だけがある。

 静岡県東部に行けば、まだ町がある。合併はしたが、広域合併はしなかった。今も町がある。熱海市、伊東市、東伊豆町、三島市、函南町、伊豆市、伊豆の国市、沼津市、西伊豆町、松崎町、下田市、南伊豆町、河津町。

 他県も、市町村が混在している。なんとまあ、静岡県西部は、政府の意向を素直に受け入れたことか。

 

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